「粋」っていう言葉がありますよね!「粋」の対義語は「野暮」「無粋」。
今、NHK大河ドラマ『べらぼう』で吉原の遊郭が描かれてますが、あのドラマを見ていて、今の日本に欠けてるモノは「粋」とか「野暮・無粋」の感覚なんじゃないかなぁ~?…って思うんです。
まぁ~…僕も、そんなに吉原の風習や、遊郭に関して詳しいわけでは無いんですが、落語好きなので…、落語の廓噺や、噺に入る前のマクラで、噺家さんが話す、吉原のトリビアが、僕の吉原遊郭の知識になっているだけなんですけどね…(^^;)
なんでも…吉原の遊郭では、大店の旦那でも、武士でも大名でも、野暮な行いをすると「あの人は野暮だねぇ~」と噂を立てられて、吉原への出入が出来なくなるだけでなく、商売をしている人は、商いに影響が出たり、武士もメンツが立たなくなり、江戸の街を歩けなくなっりしたらしいんですよね!
その反対と言っては何ですが…、カッコよかったり、洗練された行動を取ると、「あの人は粋だねぇ~」と、もてはやされる。
現代人は、この「粋」とか「野暮・無粋」という感覚を忘れてしまっているような気がするんです。
現代的に言うと。粋とか野暮は「カッコイイ!」「ダサイ!」…という感覚に近いのかも知れませんが、なんとなく…言葉の重みが違うと思うんです。粋とか野暮に比べて「カッコイイ!」「ダサイ!」には、軽さを感じるんですよぉ~。
「カッコイイ」「ダサイ」という言葉には、視覚的な要素が占める割合が大きいような気がするんです。「粋・野暮」にも視覚的要素は含まれているとは思うんですが、「人として…」という、人間の心理的要素というか、「己を律する」という要素が「粋・野暮」という言葉には多く含まれていると思うんですよねぇ~。
昔の感覚と、今の感覚の違いや…、言葉を受け取る人の感覚の違いにもよるんでしょうが…
「ダサイ…」って言われても、そんなに心に響かないんですけど、「野暮な事するなよ!」とか「無粋な…」って言われると、「人としてどうなの?」って言われてる感じがするんですよねぇ~。
「あの人は野暮だねぇ~」「無粋な事をするんじゃないよ!」って言われた日には、もう…立ち直れないくらいの…、人間失格的なレッテルが貼られる。そんなパワーが「野暮」とか「無粋」には、あったんだと思うんです。
だから、吉原で遊ぶ人達は「野暮…」「無粋…」と言われないように心がけて、出来るだけ「粋」だと思われるように行動することで、何ていうか…秩序みたいなものが保たんでしょうねぇ~。
「粋」っていうのは、見栄えもさることながら、人としての魅力が加味された上で「粋だねぇ~♪」という感じになると思うんですね。
今の日本には、この「粋」と「野暮」の感覚が薄れているような気がするので、今後の日本の為にも、もっと「野暮」と「粋」の感覚を意識するようにして生きていかないとダメなような気がするんです。
最近、思う野暮な話と言えば…(^^;)
近頃の政治家の言動を見聞きするに「野暮だなぁ~」って思う事が多いですねぇ~。野暮や無粋が服を着て、議員バッジを付けて歩いているのが政治家なのか?…って思っちゃうような事ばかりで…呆れちゃいます。
まぁ~100歩譲って…、政治家の言動に関して、野暮や無粋に感じるのは、人それぞれ違いがあるとしても…、今の政治家って「粋」でない事は確かですね…。
最近、ニュースを賑わしている闇バイトも…「粋じゃないねぇ~…なに無粋な事をやっいてるんだい!」…って思いますしね…。
皆が「粋でいたいなぁ~」って思えるような社会を作っていかないとね…って思います。
「楽しい日本」とか言ってる場合じゃないですよ!…石破さん!(^^;)