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モチベーションを削る言葉…(^_^;)

モチベーションを削る言葉…、テンションが下げる言葉ってありますよねぇ~。
先日、あるレストランのSNSを見ていたら、スタッフの方が…
「お客さんは悪気はないんだけども…」という解説付きで…
『「行きたいお店に予約を入れようとしたんだけど、ことごとく断られてしまって…悲しかったけど、ココが開いていて助かりました。」っていう本音は、スタッフのモチベーションを削るので…(笑)、心にとどめておいていただけると大変ありがたいです…』…的な書き込みを読んで…
あぁ~…そういえば、鍼灸院でも、患者さんは悪気はないんだろうけど、患者さんからモチベーションを削る言葉を言われた事があるよなぁ~って思い出したんです…(^_^;)
ジャブ的な…軽い感じで、モチベーションを削る言葉としては…
「近所だから…来てみました…」
…という言葉…。
患者さん的には「近所なんですよ!」っていう事を伝えたいとか…、挨拶がてらというか、会話のきっかけとして「御近所さんだからよろしくね!」的な感じで…、な~んにも悪気はないとは思うんですが、僕の性格が捻くれているからか…(^_^;)…この言葉を聞くと「この患者さんは、別に、僕じゃなくても、近ければ…どこの治療院でもいいって事なのかなぁ~?」って思っちゃう時があるんですよねぇ~。
僕の心が穏やかな時は、そんな事は思わないんですけどね…(^_^;)
冷静に考えれば、僕自身が、ちょいと卑屈すぎるのかもしれないけど…(-。-)y-゜゜゜ この言葉を聞くと、軽~~~くですが、モチベーションを削られるような気がするんですよぉ~。
…で、
今までで、一番モチベーションを削られた言葉として、覚えているのが…
「昨日、病院で痛み止めの注射を打ったしね!」…です。
これは、腰痛だったか?肩が痛い?…という主訴で来られた患者さんだったと思うんですが…
同じような言葉を、初めて来院された患者さんからも、久しぶりに来られるような患者さんからも、…何人か…から…聞いた事がある言葉なんですよ!
その言葉は、こんな感じで発せられます。
「整骨院とかマッサージに通ってたけど痛みが取れず、昨日も病院で痛み止めの注射を打ってもらったけど、あまり変わらないんですよね!…鍼灸でなんとかなりませんか?」
…というような症状を訴える患者さんで、まぁ~僕なりに精一杯、できる限りの事をして、治療を終えて、ベッドから起き上がってもらい「どんな感じですか?」と尋ねたら…
「そうですね…、痛みが無くなったわけではないけど、だいぶ楽になりましたね!…まぁ~昨日、病院で痛み止めの注射を打ったしね!」
…って言われた時、正直言って…膝裏を膝カックンされた気分になり、「あぁ~そうですか…」って苦笑いするしかない感じになったのを思い出しますねぇ~(^_^;)
僕の本音としては…、「まぁ~百歩譲って、そうかも知れんけど…。昨日、病院で打った痛み止めが、今になって効いたのかもしれんけど…、この状況で、鍼灸治療を受けて痛みが和らいだのなら、昨日、病院で打った痛み止めの注射の事は言わなくていいんじゃない?」
…って言葉が、その時は、喉元まで出そうになりましたもんねぇ~…(-_-;)
まぁ~…「昨日、病院で痛み止めの注射を打ったしね!」に限らず、悪気はないんだろうけど…、鍼灸院には来ているものの、この人は心のどこかで、鍼灸治療を認めてない人なんだろうなぁ~…って思うような言葉を、何人かの患者さんから言われた事があります。…まぁ~…23年、鍼灸院をやっていれば、そんな患者さんが3~4人いても不思議じゃないですけどね…。
確かに、こういう言葉を聞いちゃうと、モチベーションは削られちゃうから、鍼灸治療を認めてなくても、心にとどめておいていただけると大変ありがたいですねぇ~…(^_^;)
症状は二の次…

医療関係の人から「症状は二の次…」と聞いたら、どう思われますか?
9割くらいの人が「…ん?…どういう事?????」って思うかも知れませんね。
よく、このホームページでは、現代医学と東洋医学の思考の違いを、分かりやすく書いているつもりなんですが…
今回もそのパターンです…(^_^;)
例えば…、どこかが悪くなって病院に行く時は、何かの症状を訴えて…「ここが痛い…」とか「咳が出る…」とか「便が出ない…」とか、体調の変化に伴う、色々な症状を治して欲しくて、病院や治療院に行くと思うんです。
でも、その症状を取って欲しいのに、治療者側から「症状は二の次…」と言われたら、患者さんとしては「この人は何を言っているんだ?」「こいつは藪医者なのか?」と疑念を感じると思うんですよね…。
ここで患者さんに理解してほしいのが、これは「治療する側の人が、どういう思考で治療をしているのか?」…という考えの違いが明確に表れる分岐点のようなもので、多少のグラデーションはありますが、治療方法って、大きく分類すると、現代医学的思考と東洋医学的思考に分かれるんですよね!
これは医者とか鍼灸師とかの区別ではなく、どういう思考で治療を行っているのか?という分かれ道なんですよ!
現代医学的思考が強い治療者は、エビデンス(科学的根拠)を重視して、症状を取る事を優先すると思うんです。
簡単に言えば…「症状を取る事で、体は楽になるので、健康体に戻る」…という考えですね!
確かに症状を取れば、患者さんも喜ぶし、「あそこに行けば、あっという間に治してくる!」と噂にもなりwin winの関係が出来上がり、言う事なしなんですが…
薬剤に関して言えば…、裏を返せば…「症状がすぐに取れる=強い薬を使っている」という事でもあったりします。
でも…、症状が、すぐ取れる事は、健康体を維持するうえで、患者さんにとって、全てがプラスになるのかというと、そうでは無い場合も多々あるんですよね!
症状が取れると、患者さんは、また…すぐに…体や精神的に無理を強いる生活に戻ってしまう…。いわゆる、病気を発症した環境に戻ってしまいがちになる…という事です。
例え話としては…
「癌」…、御存じの通り、遺伝的や突発的なものは別として、癌は自分の細胞が暴走することで発症する病気ですよね!なので、食生活や生活パターンの乱れが大きな要因の一つと考えて間違いないと思うんです。
随分、癌治療も昔より進歩はしてますが、未だもって、日本での癌治療は、抗がん剤や放射線やホルモン療法といわれる、三種の神器的な治療法が癌治療の主な治療です。…その治療で…、体に負担をかける厳しい治療により、運よく癌の治療が成功したとしても、以前と同じような生活をしていたら、再発という事になりかねない事は、医療従事者ならずとも、身内に癌を患った事がある人がいる人もなら、容易に理解できる事だと思うんです。
ですから…、癌治療や大病の場合は、症状を取るよりも、体の根幹とでも言いますか、食生活や生活パターンの改善が重要になってくるんですよね!
でもって…
現代医学では、痛みを取ったり…、咳を止めたり…、排便を促したり…と、症状を止める事が、薬を使うことで容易に出来るという強みがあります。
なので、適量を与えるのであれば、毒も薬になるわけで…
「症状を取り、患者さんを楽にする事は悪い事ではないはずだ!」という理屈から、現代医学的思考で治療する人は、症状を取る事を第一義としているように見受けられます。
たぶん…、色々な患者さんを診ていて、話を聞いていると病院通いをしてる人は、色々な薬を大量に飲んでいる人が多いので、そんな風に感じるんですよねぇ~。
お医者さんだったら患者さんが訴える症状の数だけ薬を処方するでしょうし、鍼灸師でも「このツボは、この症状に効く」という感じで、症状とツボの穴性を照らし合わせて鍼や灸をする人達も、現代医学的思考が強いと思うんです。
それとは別に…
東洋医学的思考で治療する人は、体が治れば症状も治るはずだという考えで、体を治す事を第一義としますし、経験と感覚を重視するように思えます。
例えば、木の幹が体の本体で、葉っぱが症状だとします。紅葉の時期でもないのに、葉が黄色くなって、葉が落ちる原因は基本的に木の幹に原因があるので、落ちる葉を落ちないように維持するのではなく、落ちる葉は無視して、幹の状態を改善して、新たに若葉が芽吹きやすいようにする。
「咳が出る…」とか、「ここが痛い…」とか、「便が出ない…」とう症状は、体が健康になれば治る症状なので、その症状を取る事よりも、いかに体をいい状態に戻すか!?…という事を目標に治療します。
ここで重要なポイントとなるのは「症状に踊らされはいけない…」という事ですね。
臨床をしていていて、これは…よく感じます…。
患者さんは色んな症状を訴えるんですが、その一つ一つに対して治療をしていると、結果的に堂々巡りに、なりがちになっいてしまうんですよねぇ~。
なぜ、その症状が起こっているのか?…と原因を探って原因を突き止めて、それが治せるものなのか?どうなのか?を思考する。
なので…「症状は二の次…」という事になるわけなんですよね!
よく鍼灸業界で「本治」「標治」という言葉が飛び交いますが、これでいうと症状を取るのが「標治」で、体、本体を治すのが「本治」という事になります。
でも…、体の回復力が強い人は、症状を取る事で、重い荷物を降ろして体を軽くして身動きがとりやすくなるかの如く、症状を取る事で、一気に治る人もいるので、まんざら「本治」が良い治療で、「標治」がいい加減な治療という訳ではないんですよねぇ~。
ここで考えて欲しいのは、症状を取る事が体にとって良い事なのか?症状は二の次として、症状に耐えながら、体を労わる治療をするのが良い事なのか?…という事なんです。
喘息とか、アレルギー反応のような、緊急を要する場合は症状を取る事が最優先事項ですが、そうではない場合はどうしたらいいのか?
先ほど書いたように、回復力がある人なら症状を取る事で、早く健康体に戻れるわけなので、現代医学的思考も、まんざら悪い事では無い。…と思うんです。
患者さんの体の具合による…という事なんでしょうねぇ~ 。
あっ…あと、人間の体って、後戻りできるボーダーラインみたいなものがあって、そのボーダーラインの圏内であれば、どんな病気になったとしても自力で健康体に戻れると思うんです。でも…、警報が鳴っているにも関わらず、いつしか、そのボーダーラインを越えてしまった場合、癌とか大病を発症して、現代医学的な治療に頼らざる負えなくなる。東洋医学的思考は後戻りできるボーダーライン圏内で有効な治療法だと思うんですよね…。
それと…、医療者側だけではなく、患者さんも東洋医学的思考な人と、現代医学的思考の人に分かれると思うんですよねぇ~。
まぁ~基本的に、鍼灸院に来られる患者さんは東洋医学的な思考の人が多いんですが、時々、現代医学的思考の人が、あの病院に行っても、その整骨院に行っても、治らないから、しょうがなく…切腹覚悟で鍼灸院の敷居をくぐって来られる人もいらっしゃいます…(^_^;)
ちょっと前の話ですが…、うちの鍼灸院でも、以前、開業当時から数年通われていた患者さんが久しぶりに来られて…「御無沙汰してます…最近、家の近くの整骨院や病院に通っているんですが、思うように治らないので…鍼でも刺したら治るかな?…と思って…」っていう人がいたんですが、「針を刺せば治るかも…」という思考の人って現代医学的思考が強い患者さんなんですよねぇ~…(-_-;)
鍼灸師も東洋医学を勉強してはいますが、現代医学的思考の人も大勢いますし、お医者さんなどは、特に東洋医学的思考になるのは難しいかもしれません。
医者になるためには、現代医学の知識を頭に叩き込んで、医師免許を取得するわけですから、東洋医学的思考にチェンジするのは並大抵な事ではないと思うんですよねぇ~。
邪推ではありますが…、東洋医学的な思考で治療しているお医者さんは、現代医学の治療に限界を感じて、東洋医学的思考に、新たな道を求めた人のような気がします。
先日、ある漢方医が…「下剤で有名な大黄という生薬があるんだけど、あれは気を動かす薬なんだよ!石膏とか附子とかも気を動かす薬ではあるんだけども、漢方を勉強していない医者は、症状と薬の名前を覚えて、コレにはコレ!的な思考でしか処方しないし、そういう使い方しか知らないんだよね!附子とか大黄とか石膏を使って、気を動かすことで病気を治せるようになったら、漢方医としては一流だね!」
…って言ってました。
まず…現代医学のお医者さんにとっては「気を動かす?」…「気ってなに?」…っていう感じになるんだろうし…、現代医学的思考の人にとっては「気」って謎だろうなぁ~…って思いますねぇ~。
それと…、「症状を取る事を優先すると、患者さんの期待に応える事にもなるので、東洋医学的思考が体にとって、いくら優しいと分かっていても、病院を維持する為には、症状を取る事も必要になるわけだから、西洋医学的思考と東洋医学的思考の選択って、…難しい選択だよね!」
…とも言ってましたね!
まぁ~現代医学的思考と東洋医学的思考を上手に使いこなす事が一番いいわけなんですが…
日本人って、「臨機応変」って、とっても苦手な国民性ですし、すぐ…何かと何かを比較して「こちらが正しい!」と結論を出したがる国民性ですしね…
難しいとこでしょうねぇ~。
僕…個人の考えとしては、遠回りにのようには見えるけど、体に優しい治療は、東洋医学的思考の方が、身体を重要視しているように思えるんです。まぁ~…これは…、僕が鍼灸師で、東洋医学的思考よりの治療をしているからなのかも知れませんが…、やはり、医者であろうが、鍼灸師であろうが、現代医学的思考と東洋医学的思考を上手に使いこなす人が良い治療家だと思いますねぇ~。
そのうえで…、治療を今より充実したものにする為の下準備として、必要だと思う事が一つあるんです。
良い治療って、治療家と患者さんの思考がリンクする必要があると思うんですね!
難しい事ではあるんですが…、患者さん自身が、自分の体の状態を把握する必要性を感じるんですよぉ~。
自分の体は、症状を取ればすぐに回復できる体力を兼ね備えている状態なのか?それとも、地固め・基礎固めをするように治療しないと体調を崩してしまうような状態なのか?を認識する必要があると思うんですね!
そうじゃないと、治療家がプロの視点で「この患者さんは東洋医学的思考で治した方がいい…」と判断しても、患者さんが「私は体力には自信がありますから、症状だけ取ってくれれば、それでいいです。」というように言い張っていたとすると、もうその時点で、患者さんとの連携が取れず、治療が上手くいかなくなるのは目に見えてますよね!
ただ…長年、臨床をしていると…、患者さんって、体の疲れ具合や、老化度合いを認識してはいるんだけれど、気分的に「まだいける!」って感じで、気持ちだけは若さのモチベーションを維持している人が、体調を崩しがちだなって感じるんですよね…。
なので、治療する前に、まず患者さんに、自分の体の状態を認識してもらう事から始めないといけない事も多々あるんですよ。
まぁ~…その時点で、患者さんが納得するか?しないか?…で、治療が上手くいくか…上手くいかないか…が決まりますけどねぇ~。
『なぜ人だけが幸せになれないのか 小林武彦(著)を読んでみた…』

この本によると、「幸せ」は「死からの距離が保ててる状態」なのだそうな…。
人というか…生物は、いつか死ぬ運命にあると、誰でも理解しているけれど、若い人…、老いた人…、病気を患っている人…、健康な人…、人それぞれ死からの距離は違うわけで…、幸せの度合いは人それぞれだから、幸せの定義としては「幸せは死からの距離が保てている状態」という考えは、とても腑に落ちる感じがします。
ただ、この本に書いてあるように、最近は歩かず…動かず…PCやスマホですべて事たりる生活がメインになってきているので、自然と自ら死との距離を縮めているのも事実なんですよねぇ~。
「幸せ」というのは「死からの距離が保ててる状態」…と同時に、安心と平穏な気持ちを持続した状態をいうのだけれども…
人って、本来、何かと比べたり、すぐに飽きたり、他人を妬んだり、絶望したりする性質を持ち合わせているので、人は死の恐怖から逃げられないらしいんだそうな…。
…たしかに…。
でも…これを回避する方法が1つだけあって、何かに没頭したり、好きな事をすることで、自分を肯定して、死からの距離感を維持して、幸せを感じるのが、死の恐怖から解放される方法…との事。
…なるほどな…
…でもって…
…あと…、「豊かさと幸せは一致しない。」…という事も書いてありました。
太古の昔から比べると、現代は平均的寿命は延びてるんだけど、寿命が延びて肉体と精神が喜んでいるのかというと、そんな事はなくて、肉体と精神は、人が作り出している人工的な生活環境にもがいているのが現状なんですって!!
…確かに、近年、鬱病をはじめ、原因不明の病気も増えてますもんねぇ~…
この本によると、人間ってね…、新しいモノをありがたがるんだけど、ユーザーとしては、全く進歩していないそうなんです。テクノロジーを発明して、色々なモノを作り出すんだけど、使い方をよく知らない。
…耳が痛い話ですねぇ~。確かに、スマホの機能を100パーセント使いこなせている人って、何人いるんでしょうねぇ~???
技術的な進歩って、新しい価値観を生み出すんだけれど、技術が進歩すればするほど、ますます格差が生じてしまい、結果的に科学の進歩は格差の助長に働いてしまうらしいんですよ…。
まぁ~科学を進歩させるためには、ある程度の経済的な格差は容認されてもいいとは思うんだけど、一番やってはいけない事は、知識や技術を一部の人が独占して、権益が固定化される事。…って書いてありました。
…これって、今の日本社会というか、今の世の中、そのものじゃん!頭の中に、あの経営者や、この経営者。あの企業や、この企業の名前が浮かんできますね!
あと…、ドーパミンの事も分かりやすく色々と書いてありました。
ドーパミンは、快楽ホルモンと呼ばれて、気分を良くしてくれるので「幸せホルモン」とも呼ばれたりするんだけど、時と場合によっては、死との距離を縮めてしまう場合もあるんだそうな…。
…確かに…ドーパミン過多になると依存症になりやすくなるし、依存度が高くなれば、高くなるほど、健康とか幸せとかは、二の次になってしまいますもんねぇ~。
…ドーパミンの本来の仕事は、動物の本能…食欲や性欲をサポートする役割として使われるもので、〇〇依存症や〇〇中毒で働くための物質では、ありませんもんねぇ~。
…本の最後の方に書いてあったんですけど…
「幸せ」を「死からの距離が保ててる状態」と定義するならば、現代人は肉体的に寿命は延びても、死からの距離感が短くなっている社会だから、現代人は幸せとは縁遠い生活をしている。
…という事らしいんですね。
その理由としては、格差や生活様式や価値観の変化に対応できていない為に、自分達で作り出したものの使い方を知らない。…もしくは、使い方を間違っている事に気が付いていない。…と同時に、幸せになりにくくなった分、寿命を持て余すようになって、快楽を欲するようになったけど、快楽のみで幸せになる事はない。
…というような事が書いてありました。あぁ~これが本の『なぜ人だけが幸せになれないのか』というタイトルの答えなのね!
最近、自分自身…、年を取ってテクノロジーについてけなくなりつつある事を自覚し始めている昨今…、幸せを感じるには、ある程度の原点回帰な生活と、適切なテクノロジーの使い分け…(どっぷりテクノロジーにハマるのではなく…ね!)…を心がける事と、好きな事に没頭して幸せを感じることがポイントなんだろうなぁ~…って思いましたね!
ちょっと気になっている「哲学対話」…

ちょっと前に、podcastの『COTEN RADIO | 歴史を面白く学ぶコテンラジオ』を聴いていたら、「哲学対話」という事を話されていたんです。
「哲学」…と…「対話」…
はて?
学が薄い僕は「対話」という言葉は素直に受け入れる事が出来ますが、「哲学」というワードを聞くだけで、「あぁ~頭の良い人がやる学問ね!…」的な感じで、自然と遠ざけたくなるワードではあるんですよねぇ~…(^^;)
でも、話しを聞く限りでは、この「哲学対話」って、何となく「良いなぁ~」って思えるんですよぉ~。
ネットで「哲学対話とは」で検索してみると…
「発言をしなくてもよくて…、何を言ってもいいけど、知識で話す事はせず、体験をベースにして、否定的な態度は取らず…、対話的に、お互いの立場を理解する事で、自分の価値観を形成しつつ、他の人の価値観を尊重できるように心がけ、自由で心理的な安全性を確保するのが基本…」というような事が書いてありました。
COTEN RADIOを聞く限りでも…
ルール的には…
①否定しない
②知識ではなく経験で話す
③無理に話しをしなくても良い
…というのを基本として、一つのテーマについて話す。…っていう感じだったと思うんです。
知識で話さず、全て経験で話す事になるので、自分の言葉で話す事になり、お互いの意見がちゃんと出て、心理的な安全性が高まるというものらしいんですよね!
COTEN RADIOの人が言うには「これをやると、終わった後、メッチャ仲良くなる…」って言ってました。
…この話しを聞いた時に…、
会社の会議とか…
学会とか…
勉強会…
これらに、一番欠けている部分じゃないかな?…って思えたんですよね~。
学会とかは、知識の発表会のような場所だから、致し方ないのかも知れませんが、「最近、学会に行っても面白く無いなぁ~」って思う理由の一つが「自分の言葉」ではなく、知識自慢の場になってる事が…僕が学会から足が遠ざかっている理由のような気がします。
2010年頃くらいからでしょうか…「論破」という言葉が、カッコイイ…的な感じで世間で飛び交うようになり、子供までが「…それってあなたの感想ですよね?」…と言うようになったりして…(^^;)
「哲学対話」って「論破」とは真逆な事柄のように思える…と同時に、僕は過去…、人と話をする時に、自然と知識を中心に話しをしていなかっただろうか?…と、少し不安を感じ…
もう60歳にもなったんだから、「哲学対話」的な会話を心がけるようにしなきゃだな…って思うと同時に、ちょっとづつでも良いから、自分を変えていこうかなぁ~って思ってます。
一方を聞いて沙汰するな…

最近、大人になれば…なるほど、色々なトラブルや出来事に出来わす度に、よく頭に浮かぶ言葉があります。
「一方を聞いて沙汰するな」
何年前だったかな…、NHKの大河ドラマ『篤姫』で聞いた言葉なんですが、ず~っと頭に残ってる言葉なんですよねぇ~。
「あちらには、あちらの言い分があるのだから、それを聞かないうちに、軽々しく判断をするのはよくない…」…というシーンで使われていたセリフだったと記憶してます。
これだけネットが普及して、多くの情報が飛び交っている昨今、何が本当で?何が嘘なのか?…を見極める事すら難しくなっているのが実情で…、僕らが常に心がけておきたい事と言えば「情報を鵜呑みにしない事…」…なのかも知れません。
なぁ~んとなく…「右向け右!」って言われたら右を向く国民性というか…、今までは、号令に従いがちなのは日本人の性格か?…って思ってましたけど、今の世界情勢を見ていると、日本人に限らず、人間って、あるボーダーラインを超えるまでは「一方を聞いて沙汰するな」的な思考が機能していても、ボーダーラインを超えると指導者の「右向け右!」…もしくは「左向け左!」の号令に従うようになり、そうなると思考が停止したかの如く「コレは正しい!」「あれは間違ってる!」と、すぐ判断を下してしまいがちになる傾向にあるみたいですね。
最近の出来事をニュースなどで見てると、すぐに判断を下してしまうのは、今も昔も変わらず、人間の性なのかもしれないなぁ~…って思うようになりました。
イジメも、この図式で成り立っているように思えるんですねぇ~。
Aという人物がBという人物の悪口を皆に流布する事で、皆がAの意見を信じてBを無視し始めたり、嫌う事でBが集団の中で孤立し始める…。AがBの悪口を皆に言ってる時に、皆の心の片隅に「一方を聞いて沙汰するな」という思考が機能していれば、AがBを嫌っているというだけで、イジメは成立しないはずなんですよねぇ~。
人には色々なタイプがありますから、AがBを虐める理由も、Aは何かBから嫌な事をされたのかも知れないし、Bに対する、嫉みや嫉妬が原因なのかも知れません。
世界情勢からイジメに至るまで、人間には「気が合う…気が合わない…」って、大なり小なり…あると思うので、「自分には合わないな…」って感じたら、人とか、その事案には近づかない事が、ポイントになってくるんでしょうねぇ~…。
でも、近づかない事案が増えてくると、これまた…確実に孤立しますし…、全ての人や事案が、自分の思考に合わない訳ではないので、対策としては、そうなる前に環境を変える努力は必要になってくると思うんですね!
先日、見たTV番組で、ゲストの人が悩み相談のメールに対して言ってたんですが…「自分も、以前、世の中が全員、自分に背中を向けているって感じてる時があったんだけど、友人曰く、そんなふうに思う時は、…実は自分が世の中に背中を向けている時なんだよ…。世の中の人が全員、自分を拒否しているわけでは無いんだから、そういう時は自分が後を向いているだけなので、その時は、嫌かも知れないけど…頑張ってコッチを向きなさい…」って言われた事がある。…って話しをされてたんですが…
ホントに「そうだなぁ~」って思うんですよねぇ~。
それと…
人って、歴史を見ても、戦争はしてはいけない…って分かっていながら、戦争をやってしまうものなので、他人の思考を変えるのは難しいとは思うけど…、自分の思考は、如何様にも自分次第…、考え方次第で、どうとでも変えれると思うんですよねぇ~。
環境を変えるのも必要だけど、自分自身も変えてかないと…って思うんですよぉ~。
小さな事からコツコツと…ではあるのだけれど、ホントに…最近…「一方を聞いて沙汰するな」って思考は、常に持ち続けたいなぁ~って思う、今日この頃でございますよ♪