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便利さを求めたら、必ずどこかにシワ寄せがくる…

よく「便利は不便…」という言葉を耳にしますが、便利さを追及すると、必ずどこかに不便が生まれる…。

便利さも、ちょうど良い塩梅で止めときゃいいのに、ドが過ぎた便利さを求めると、必ずどこかにシワ寄せがくるって、リアルに感じるようになりました。

今朝、NHKの『あさイチ』を見ていたら、テフロン加工のフライパンの話しをしていたんですが、テフロン加工のフライパンの買い換え時って2~3年らしいんですね!?焦げ付かないので便利なんだけれども、結局、ゴミが増えるって事だよねぇ~。再利用とかリサイクルとか言ってるけど、全てが再利用・リサイクル出来てる訳ではないと思うんです。

そう言えば、先日…「今後、AIの普及で電力不足となり、原発が必要…」ってニュースで言ってたなぁ~…。AIってそんなに必要ですか?今後、AIに仕事を奪われる人が大勢出てくるんでしょ!?…何だかんだ言いながら、原発を再開したいんだろうなぁ~って図式が思い浮かびます。結局、原発の再処理問題って何も解決してないよね!

あっ!そうそう!

先日、運転免許の更新の為に講習受けたんですが、その中で電動キックボードの説明を受けたんです。「環境への優しさとコストパフォーマンスの高さだとか…手軽な乗りやすさが…とか、世界中で急速に普及してるから…」という理由で普及してるみたいですが、そんなのに乗るくらいだったら「歩けよ!」って言いたくなるんですよ!

僕は鍼灸師だから「人が健康でいるためには…」っていつも考えてるんです。人が健康でいるためには動かないとダメなんですよね!人って歩かないと健康を害するんですよぉ~!…少し楽して移動したいのであれば自転車でいいじゃない!

やはり、便利さを求めると絶対と言っていいほど、シワ寄せがくるんですよねぇ~。

ただ、そのシワ寄せは、今ではなくて十数年後…数十年後…もしくは未来の人達に先送りされるから「今は便利さだけ享受出来ればいいや!」的な自己中な考え方で便利さを追及してるから、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる…」というような感じで、いつしか慣らされている。

…そんな感じがするなぁ~。

憂うのは、ホントに面倒くさいけど…、最近、憂いたくなるような事ばかりで、「はぁ~」(-_-;)…って溜息が出ちゃいますねぇ~。

景気も良くならないし、政治家も自分が目立つ事しか考えず、目先の手柄ばかり追及しようとするし…。あっ!これ…前原さんの事ね!(^^;)

森卓さんの『ザイム真理教』を読んでると、この先、この国は、お先真っ暗って感じがするなぁ~。もう落ちるところまで落ちて、一揆でも起きない限り、何も変わらないんじゃないかな?…って思える今日この頃ですよ。

深谷伊三郎さんの『お灸で病気を治した話』

いつも腰痛の治療で来られている患者さんが「年末から鼻炎が続いて、耳鼻科に行ったら手術した方がいいと言う事になって、先日、副鼻腔炎の手術をしたら『好酸球性副鼻腔炎』という難病指定の病気らしいんですよねぇ!だから定期的にステロイドの薬を飲まなきゃいけないらしいんです。」…と仰ったんです。

好酸球性副鼻腔炎?????

漢字だけで判断すると、好酸球が原因で副鼻腔が炎症を起こすって事なのか??

好酸球って…たしか、白血球の分類だったよなぁ~…寄生虫やアレルギーの抑制に働くって授業で習った覚えがあるけど、その…免疫システムの一部である好酸球が副鼻腔炎を起こす…。…って事は免疫システムの異常って事か…。だから難病指定なのね…。

…って色々と調べていたら「好酸球性副鼻腔炎は、両側の鼻にポリープ(鼻茸)が多発する慢性副鼻腔炎で、難治性の病気です。」と表記されてる文章にでくわし、「あぁ~…好酸球性副鼻腔炎って鼻茸の事なのね!」って認識出来ました。

鼻茸かぁ~…

そう言えば、僕が鍼灸の専門学校に通っていた時の担任の先生が話しの中で、自分が鍼灸師になろうとしたキッカケとして、御自身が鼻茸に悩まされ鍼灸院でお灸をしてもらったら改善した事がキッカケで…鍼灸師になったって話されてなぁ~って事を思い出したんです。

ただ、どこにお灸をしたのか?…話されていたとは思うんですが、話しを聞いたのは22年以上前の事なので覚えてないなぁ~。

鼻茸の治療に関して書いてある本…

あったっけなぁ~??

…と、本棚から本を引っ張り出して見ていたんですが、鼻茸について書いてある本を持ち合わせていないんですねぇ~。

じゃぁ~鼻茸というワードに囚われず、鼻の不具合としてのアプローチではどうだろうか?…と、深谷伊三郎さんの『お灸で病気を治した話』を手にとって、パラパラとページをめくっていると第2集の『蓄膿症』に目がとまったんです。

『上星』というツボを使うんですが、上星の場所の周りを押してズーンとくる所がポイントらしいんですよねぇ~。

なので、先日、その患者さんが、腰痛治療で来られた際に、鼻の状態を尋ねたら「鼻の詰まりが取れない…」との事だったので、頭のお灸の話しをして、頭皮へのお灸だから多少…1~2本、髪の毛が焦げる事があるかも知れないし、お灸をした場所に一箇所だけ瘡蓋が出来るかも知れませんが、やってみますか?…と尋ねると「やってみたい!」と仰るので、上星へのお灸をしたんです。

深谷先生が書かれている通り、患者さん曰く、教科書通りの上星の位置を押しても、ズン!という感じは無いそうなんですが、上星の右側を押してみるとズンと響く場所があり、そこにお灸を据えると、患者さん曰く「熱さがツーンと詰まっている鼻にきて、ス~と鼻が通るようになった。」…との事。

同じ患者さんが1週間後に来院された時に「先日の頭のお灸…どうでしたか?」と聞いてみると、「あっ!あれから鼻の通りがイイ感じですよ!」と言われてました。

おぉ~~~!深谷灸法…凄ぇ~~~~♪(^^;)

深谷さんが「蓄膿症は体全体を整えないといけない」って書かれてましたが、好酸球性副鼻腔炎は免疫システムの異常であるならば、鼻の異常と捉えるのはなく、体全体を整える事が重要なんでしょうねぇ~。

この、深谷伊三郎さんの『お灸で病気を治した話』は、僕が鍼灸の専門学校に通ってた時に、バイト代をつぎ込み、通販で買った本で、結構…今でも、この本に助けられている事って多いんですよねぇ~。鍼灸学校に通っている学生さんには必修アイテムと言っても過言ではないと思いますよぉ~。

因みに…御存知の方も多いと思いますが、この深谷伊三郎さんって、落語家の立川志らくさんのお祖父さんです。

不自由を常とおもへば不足なし…

先日、友人と近所の居酒屋さんに行った時に、居酒屋さんのトイレの壁に、ある文章が貼られていたんです。

なんでも…徳川家康の遺訓だとか…

まぁ~居酒屋とかに行くと、よくトイレの壁に「人間だもの…」的な文章が貼られていたりするんですが、ついつい…読んでしまうんですよねぇ~(^^;)

こういうのに目が行くって事は歳を取ったという事なのかもしれません。

でもね…

こう言うのって、良い言葉が書いてあるんですよね。

歴史上の人物の遺訓だとか…、辞世の句だとかは、本当に本人が書いたのか?…本人が詠んだのかは定かではないと思うんです。でも…、たとえ別な人が歴史上の人物の名をかたって書いたとしても、時代を超えて読んでみると「あぁ~あの人だったら、こんな事を言い残すかもね…」と納得出来たりするものが多いし、とても良い文章だったりするので、心打たれたりもするんですよねぇ~。

以前、鍼灸師になる前の話しなんですが、仕事を辞めて鍼灸師になろうと決めた時…、鍼灸の学校に入学する前の数ヶ月間…、収入がなくなる不安と、未知なるモノへの挑戦からくる武者震いからか…、ちょっと不安になった時があったんです。その時に行きつけのBarの常連さんが「坂本龍馬がこんな言葉を残してるよ!」と教えてくれたのが…

世の人は 我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る

この言葉は、当時の僕を勇気づけてくれましたねぇ~。今でも好きな言葉の一つです。

今回、良いな~って思ったのが、この…『徳川家康の遺訓』

東照公御遺訓

人の一生は重荷を負て遠き
道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる
時を思ひ出すべし 堪忍は無事
長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知て まくる事をしらざれば
害其身みにいたる 
おのれを責て人をせむるな 
及ばざるは過たるよりまされり

現代の言葉に直す必要はないと思うんですが…、今風な言葉に意訳すれば、こんな感じです。

人の一生は重荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
だから急ぐべきではない。
不自由を普通なのだと思えば、不満に思わずにすむ。
自分の心の中に欲が湧いてきたら
貧しさに苦しんでいた頃を思い出せ。
我慢する事は、無事に長く安らかに生きるための基本である。
怒りは敵と思え。
勝つ事しか知らずに、負ける事を知らない奴は、大事な時に失敗する。
物事の原因や責任は、自分を責めて他人を責めるな。
能力や財力など何事も、有り余るよりも足りないくらいの方が良い。

僕が目にとまった部分は…

「不自由を常とおもへば不足なし…」

…ですかねぇ~。

確かに…、語り継がれている徳川家康の一生を顧みると、この遺訓に書かれている文章に重みを感じますねぇ~。

皆さんは、この文章を読んで、気になる一文がありましたか?

「粋」と「野暮」

「粋」っていう言葉がありますよね!「粋」の対義語は「野暮」「無粋」。

今、NHK大河ドラマ『べらぼう』で吉原の遊郭が描かれてますが、あのドラマを見ていて、今の日本に欠けてるモノは「粋」とか「野暮・無粋」の感覚なんじゃないかなぁ~?…って思うんです。

まぁ~…僕も、そんなに吉原の風習や、遊郭に関して詳しいわけでは無いんですが、落語好きなので…、落語の廓噺や、噺に入る前のマクラで、噺家さんが話す、吉原のトリビアが、僕の吉原遊郭の知識になっているだけなんですけどね…(^^;)

なんでも…吉原の遊郭では、大店の旦那でも、武士でも大名でも、野暮な行いをすると「あの人は野暮だねぇ~」と噂を立てられて、吉原への出入が出来なくなるだけでなく、商売をしている人は、商いに影響が出たり、武士もメンツが立たなくなり、江戸の街を歩けなくなっりしたらしいんですよね!

その反対と言っては何ですが…、カッコよかったり、洗練された行動を取ると、「あの人は粋だねぇ~」と、もてはやされる。

現代人は、この「粋」とか「野暮・無粋」という感覚を忘れてしまっているような気がするんです。

現代的に言うと。粋とか野暮は「カッコイイ!」「ダサイ!」…という感覚に近いのかも知れませんが、なんとなく…言葉の重みが違うと思うんです。粋とか野暮に比べて「カッコイイ!」「ダサイ!」には、軽さを感じるんですよぉ~。

「カッコイイ」「ダサイ」という言葉には、視覚的な要素が占める割合が大きいような気がするんです。「粋・野暮」にも視覚的要素は含まれているとは思うんですが、「人として…」という、人間の心理的要素というか、「己を律する」という要素が「粋・野暮」という言葉には多く含まれていると思うんですよねぇ~。

昔の感覚と、今の感覚の違いや…、言葉を受け取る人の感覚の違いにもよるんでしょうが…

「ダサイ…」って言われても、そんなに心に響かないんですけど、「野暮な事するなよ!」とか「無粋な…」って言われると、「人としてどうなの?」って言われてる感じがするんですよねぇ~。

「あの人は野暮だねぇ~」「無粋な事をするんじゃないよ!」って言われた日には、もう…立ち直れないくらいの…、人間失格的なレッテルが貼られる。そんなパワーが「野暮」とか「無粋」には、あったんだと思うんです。

だから、吉原で遊ぶ人達は「野暮…」「無粋…」と言われないように心がけて、出来るだけ「粋」だと思われるように行動することで、何ていうか…秩序みたいなものが保たんでしょうねぇ~。

「粋」っていうのは、見栄えもさることながら、人としての魅力が加味された上で「粋だねぇ~♪」という感じになると思うんですね。

今の日本には、この「粋」と「野暮」の感覚が薄れているような気がするので、今後の日本の為にも、もっと「野暮」と「粋」の感覚を意識するようにして生きていかないとダメなような気がするんです。

最近、思う野暮な話と言えば…(^^;)

近頃の政治家の言動を見聞きするに「野暮だなぁ~」って思う事が多いですねぇ~。野暮や無粋が服を着て、議員バッジを付けて歩いているのが政治家なのか?…って思っちゃうような事ばかりで…呆れちゃいます。

まぁ~100歩譲って…、政治家の言動に関して、野暮や無粋に感じるのは、人それぞれ違いがあるとしても…、今の政治家って「粋」でない事は確かですね…。

最近、ニュースを賑わしている闇バイトも…「粋じゃないねぇ~…なに無粋な事をやっいてるんだい!」…って思いますしね…。

皆が「粋でいたいなぁ~」って思えるような社会を作っていかないとね…って思います。

「楽しい日本」とか言ってる場合じゃないですよ!…石破さん!(^^;)

素養と努力の違いについての恣意的考察

別にたいした事じゃないんですけど…、最近「人の能力って凄いなぁ~」って思うんです。

僕は趣味でギターを弾くんですが、どうしても弾けないフレーズを、スピードを落として、ゆっくり…自分の指に覚えさせるように、何日かかけて練習してみると、数日後には力む事なく、弾ける確率が高くなるんですよねぇ~。

ゆっくり弾く練習は正直言って、全く楽しくないし…面倒くさいし…、出来ればやりたくない練習ですが、確実に技術を習得するのに必要な行程のような気がするんですよねぇ~。

ただ、これだけの事なんですけどね…(^^;)

「出来なかった事が出来るようになった…」って感じた時、人の能力って凄いなぁ~って思うんですよねぇ~。

こういう…コツコツと能力を高める行為は、素養と素質で言うと…『素養』に分類されるんでしょうね…。

「素養」という言葉の意味を調べてみると「普段から養い蓄えている教養。 普段から修養を積む事。」とあります。…思えば、子供の頃から親や、学校の先生から口酸っぱく言われていた事ですが、親や先生からは「素養」という言葉ではなく「努力」という言葉に変換されて伝えられていたように思うんです。

イメージとして…「努力」って、とても尊い行為で、努力しない奴はダメな奴…というレッテルを貼られる側面も持ち合わせていると思うんですよねぇ~。

結果を得られた場合は「努力が実った!」という事になるんですが、努力した結果を少しも感じられなかったら、やっている本人にとっても、努力って、とても無駄な行為にしか感じられず、「努力=無駄」という経験値が積み重なれば、次第に努力する事を避けて生きていくようになると思うんです。

僕も…どちらかというと「努力」って、良い結果を求められているような気がして、少しプレッシャーを感じるので、あまり好きな言葉では無いんですよねぇ~。

自分なりに努力はしていても、結果が出なかったら「努力が足りない!」…って言われる事に矛盾を感じる事が多かったからかも知れません。

それに反して「素養」って、自分自身が興味を持ったモノに対して、突き詰めていく行為として捉えているので、僕は努力より素養という言葉の方が好きです。

なんか…日頃から努力し続けてると、肩が凝りそうでね…(^^;) 

近頃、よく目にしますけど「努力義務」って言葉も好きじゃないなぁ~。「努力」に「義務」がくっ付いて…。重すぎるわ!…って思います。努力義務って、やんわりと強制する感じがして、嫌だなぁ~。

日頃から素養を高める方が、気軽な感じで自分を高めているように思えるので、僕には合ってるかなぁ~って思うんです。

『素質』っていうのは、所謂、天性の能力と言いますか、生まれつき持っている性質や能力ですよねぇ~。おっとりしてるとか、攻撃的だとか…、素質も人の将来を左右する重要な要因だとは思うんですが、生きていく上で重要なのは素質よりも素養だと思うんです。

能力を持っていても、使い方を間違えると、とんでもない事になりかねませんしね!

まぁ~素晴らしい素質の持ち主に、素晴らしい素養が兼ね備えられれば、最強だと思いますが、そんな人…いるのかな? …ん?…大谷君?(゜_゜)

案外、何かが欠けてたり…「そこは良いんだけど、あそこがねぇ~」っていう人が、大半だと思うんですよねぇ~。

僕自身も、子供の頃から現在に至るまで、何でもすぐに出来るような人では無かったから「素養と素質を兼ね備えている人なんていない…」…と思い込みたいのかも知れませんが…(^^;)

何かを少しずつ習得するという行為は好きなのかも知れませんねぇ~。…だから職人さんに憧れているのかもしれません。