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戦術重視な生き方♪

今、サッカーのワールドカップが盛り上がってますねぇ~。

僕は小・中・高とサッカーをやっていたものだから、もちろん、日本の試合は見てますが、とりあえず全試合を録画して、昼休憩や、寝る前にちょっとづつ見てますけど…なかなかワールドカップ開催中に全部見きれるものではありませんねぇ~…(^_^;)

先日、休日に録画していた、フランスvsセネガルを見終えました…。偶然なんだけど、昨日は午前中に予約されていた患者さんの予約キャンセルがあったものだから、午前中に地上波のNHKで放送していた、ノルウエーvsセネガルも観ました。

ノルウェー代表が勝った後にやっていた、バイキング・ロウ…。初めて見たけど、楽しそうだったなぁ~♪

試合を見ていて「セネガルも強いなぁ~」…って思ったんだけど、やはりスター選手がいるチームは、それに輪をかけて強いなぁ~…って思いましたねぇ~。

まぁ~…いつ、いかなる時でも、パスがつながる戦術が機能すれば、相手方のスター選手の良さを半減させたり、無くしたりする事は可能だとは思いますが、正直言って前・後半の90分間、ず~と戦略が機能し続ける事なんてありませんしねぇ~。

戦略とスター選手の破壊力が備わっているチームが最強だとは思いますが、スターも人の子…、彼も人なり…我も人なり…(^_^;)…(時々人間離れしたスター選手っていますけどねぇ~)。何があるか分からないのがサッカーのワールドカップですから、見ていて色々と楽しめるんですよねぇ~♪

そんななか…

今朝、7時台のTVニュースを見ていたら、サッカーのワールドカップの話題から、子供向けサッカー教室の話題になり「近頃の子供達は、いつでもスマホで映像が見れるし、戦術を個々で理解していて、試合に活かしている…」という話をしていたんです。

確かに、日本代表の試合を見てると、ハイプレスとか、ボランチが最終ラインに下がったり…と、変幻自在な戦術を取ったりするので、子供達も映像で観れたり、それを解説者が解説してくれたりすると、戦術を理解しやすいから、真似をして自分のモノにしやすいんでしょうねぇ~。

僕らが子供の頃は、戦術と言っても、サイドからセンターリングでボールを上げる精度を上げる…とか、ポジショニングも、FWが3人、MFが3人、DFが3人、あと…キーパーの前にスイーパーという配置や、WMのフォーメーションを真似る程度だったと思うんですよねぇ~。

まぁ~…僕が子供の頃でも、強かったチームは色々な戦術を持っていたとは思いますが…、僕の個人的な感覚としては、あの頃は戦術というより、個々の技術を重視する風潮だったような気がするんですよぉ~。

昔も個人技の南米サッカー…、戦術のヨーロッパサッカー…って言われていたけど、僕が子供の頃は、自分に課せられた役割というより、憧れの選手の真似をするよな感じで、ペレみたいに…とか、ベッケンバウワーみたいに…とか、ヨハン・クライフみたいに…とかね!

戦術というより練習中に繰り返しで覚えた動きしか出来ず、個々で考えて動くという事は無かったように思うんですねぇ~。

実際に映像で、動くペレや、ベッケンバウワーのプレーを見たのは、ニューヨーク・コスモスと日本代表の試合が放送された中学の時ですし、ヨハン・クライフの動画を見たのが高校生の頃、引退宣言して、日本に来日した際に、どこかのチームと試合をしているニュース映像だけでしたもんねぇ~。

実際にプロ級のというか…、世界レベルのプレーを目の前で観たのは、高校生の時に、セルジオ越後さんのサッカー教室に行った時かなぁ~…(^_^;)

あとは…、唯一、世界のサッカーに触れるというか、見れるのがワールドカップだったんですよねぇ~。

当時は今みたいに色々な試合映像なんか、気軽に見れないものだから、雑誌で得た知識や、人から教えてもらったフェイントなどを、子供の頃に必死でやってた記憶があるんですけど、今の子供達は、映像を見て、戦術を理解し、チームの中での自分の役割を、自ら考えるようになっているんですって!…(゜o゜)

それがホントなら、今後の日本のサッカーは、今の強さを維持できるでしょうねぇ~。

それと…今朝のサッカー教室のニュースを見ていて、別な事を思いついたんですよ…

「戦術を練る」という事で、想像を膨らませば…

若い頃から、健康に対する戦術を実行できれば、病気になる確率は低くなると思ったんですよねぇ~。

ただ…、若い頃って、健康とかは二の次で…、無理や無茶を繰り返す。そんな時期だとは思うんだけど、いま時の子供達がサッカーの戦術を理解して、それを実行し、試合に臨むことが、当たり前になると、日本のサッカー界の地盤が盤石なものになるのと同じで、子供の頃から健康に対しての意識改革をしていれば、病気になる確率は減るはずなんですよねぇ~。

まぁ~…昔から「早く寝なさい!」「御飯は、よく噛んで、ゆっくり食べなさい!」とか、お風呂で湯船に浸かって「100まで数える」とかね…、色々と言われてたけど、いつのまにか、そんな事はやらなくなっていませんか?…年中、睡眠不足だし、早食いだったり…、湯船には浸からずシャワーで済ましているし…

サッカー選手に例えると、僕ら一般人は、クリスティアーノ・ロナウドとか、ハーランドとか、メッシとか、エムバペとか、ネイマールのようなスター選手では無いわけなので、戦術重視な試合というか…戦術重視な生き方をしていかなければいけないと思うんですよぉ~。

「じゃぁ~…戦術って何すればいいの?」

…って言われそうですが、それは、日常生活の食事だったり、睡眠だったっり、運動だったりが戦術に繋がる、大事な事だと思うんですよねぇ~。

西川きよしさんではないけど「小さなことからコツコツと」が、生きていく戦術としては、一番大事だと思うんですよねぇ~。

なので、僕らは、戦術重視な生き方で健康な生活を送りましょうよ…♪



し・ま・え・た

僕も九州で生活し始めて43年目なので、ある程度の九州弁は理解しているつもりですし、時々、九州弁で話したりもしますが、どうしても、自分は九州生まれではない…、というよそ者意識が働いて、九州弁で話している時に、相手が「ん?」と疑問に思った顔をすると、すぐ標準語に直したりもします…(^_^;)

そんな…九州弁がネイティブではない…僕が、最近、ある環境下で、よく頭の中で浮かぶ言葉があるんです。

それは…「しまえた」という言葉。

これは、「終わりだな…」とか、「絶望した…」とか、そんな時に使う言葉が、「しまえたな…」なんですが…

「あぁ~あ…日本もしまえたな…」と毎回、思う場所があるんです。

それは、地下鉄の車内。

毎日ではないけど、よく地下鉄を利用します。

僕はスマホは持ってますが、地下鉄に乗っている時はスマホを見ないようにしているんです。

見たとしても時間の確認くらいですかねぇ…

地下鉄に乗って周りを見渡すと、みんな…スマホと睨めっこ…

まぁ~古い例えになりますが…、受験勉強で暗記カードを片手に、必死に何かを記憶しようとしている受験生の如く…、もしくは、お守りを握りしめて、必死に何かを祈っている参拝者のような…、

地下鉄の中でスマホと睨めっこしている人達って、まったく周りとの関係を断ち切って、無関心領域に入り込んでいる感じがして、なんか…気持ち悪いというか、居心地の悪さを感じるんですよねぇ~。

で…、スマホを持っている人が何をしているかと言うと…

別に覗いているわけではないけど、大勢乗っている地下鉄に乗って、座れずに立っていると、目のやり場に困るほど、周りの人たちがスマホと睨めっこしているので、チラッと見えちゃうんですよねぇ~。

そうすると…、ゲームをやっていたり、lineやSNSの画像を見ていたり…

別に地下鉄の車内で何しようが、個人の自由と言えば、自由なんですけど、例えば、優先席…、まぁ~基本的に優先席でなくても、立ってるのが辛そうな人がいたら、席を譲るべきだとは思うんですが…、時々、優先席に、どう見ても体に障害があるわけでもなく、見た目は20代から50代くらいの、健康な人が座って、スマホでゲームをしている所に、杖を使った老人が乗ってきても、スマホでゲームをしている若者は、無関心領域に入ってますから、席を譲ろうともしない…。

こういう光景をよく見るんですよね…。

そんな時に思うんですよ…

「あぁ~日本…しまえたな…」って。

身体の声を聞く…♪

長年、…と言っても、鍼灸師歴は23年ほどしかないんですけどね…(^_^;)

日々、鍼灸師として色々な患者さんと向かい合っていて、感じる事の1つに…

鍼灸治療に「向き・不向き」の患者さんっているよなぁ~って思う事があるんです。

「鍼灸治療に不向きな患者さんとは?…どんな人なの?」…と問われると…

えぇ~っとねぇ~…。

※身体の発する声に耳を傾けない人…。

※身体に無関心な人…。

※薬で、すぐ治そうとする人…。

※手術すれば、すぐ治る。…薬を飲めば、すぐ治る。…と思っている人。

…という思考の人は、鍼灸治療に向いてないと思うんですよねぇ~。

でも…、時々、そういう思考の患者さんも、鍼灸院に来られたりするんです。

多分、そういう人達が鍼灸治療を受ける理由として…「薬を飲んでも改善しないし、病院に通院しても治らない。…なんとなく…東洋医学って神秘的な感じがするし…、もしかしたら…鍼でも刺してツボを刺激したら治るんじゃないかな?」…というような発想で来院されると思うんですけど、そういう患者さんは、得てして鍼灸治療に対して即時効果を期待して来られるので、すぐに効果を感じなければ「あっ!この鍼灸師はダメだ!」と、自己判断で治療に来られなくなる。…そんなパターンが多いかな…(^_^;)

僕が事あるごとに言っている話で、何度も、このブログにも書いていますが、病気や体調不良は薬や鍼や灸の刺激が治すのではなく、体に備わっている修復能力が働く事で、正常な状態に戻るわけで、薬や鍼灸治療の鍼や灸の刺激は、体に備わっている修復能力を後押しというか、助けているだけなんですよね!

植物を育てるにしても、種を蒔いて水をやったら、すぐに花が咲いて実が出来るわけではないし、人に何かを教えようとしても、教えたらすぐに出来る人も、なかにはいるんだろうけど…、人って、何かを学んで技術を会得しようとするには、ある程度の時間を要するものですよね!

植物の花や実がなるのに時間を必要とするのと同じで、体も、体調を整えたりするのには、ある程度の時間を必要としますし、ましてや病気を治すとなると、体調を整えるのとは桁違いな時間が必要になる場合もあります。

この…『人間の体の仕組み』が理解できていない人は、多忙な日常生活を優先する傾向にあるので、薬で痛みを取り除く事で、日々をやり過ごすようになるんですよねぇ~。

で、…長期間、薬を服用して、薬が効かなくなった段階で東洋医学や鍼灸治療を試してみようかな…。

…という感じになる。

基本的な考えとして、人間も自然の中の一部であるから、自然の流れに逆らうと、体調って崩しやすくなると思うんですよね!

ちなみに…、痛み止めにも色々な種類がありますが、処方箋でも、ドラッグストアーでも買える痛み止めを常用している人で、ロキソニンやイブプロフェインやアスピリンなどの非ステロイド性の抗炎症薬は、長期服用すると腎臓がダメージを受けやすいっていう事を知ってる人って少ないんじゃないかな?

知っていたら、気軽に痛み止めを飲もうとは思わないだろうしね…

多分、処方箋として、お医者さんが、非ステロイド性の抗炎症薬を出す場合「使い過ぎるとダメだよ!」的なアドバイスはあると思うんですが、患者さんに「腎臓がダメージを受けやすい」…という知識が無ければ、お医者さんからの注意事項は、右から左に聞き流されるでしょうしねぇ~。

患者さんの中には、腎臓がダメージを受けやすい事を認識していたとしても…「痛み止めは飲まない方がいいって言うけど!痛いからしょうがないじゃん!…薬を飲んだからって、今日や明日に腎臓にダメージが出るわけではないんだろ!」…って感じで、痛み止めを常用している人もいるでしょう…。

そんな人に「鍼灸治療や東洋医学は体に備わっている修復能力を手助けして…」なんて言っても、聞く耳をもってくれないと思うんですよねぇ~。

なので、長年、鍼灸治療をやっていて、問診で常用している薬とか、患者さんの生活パターンを聞いていると「あぁ~…この患者さんは、鍼灸治療は向いてないかなぁ~」って感じる事があるんですよぉ~。

でも…、毎回、治療しながら思う事として…

どんな患者さんであれ、鍼灸治療に「向いていない・向いている」…は関係なく、鍼灸治療に助けを求めて来られているのだから、何か一つでも効果を感じてもらう事が出来たなら、患者さん自身が体質改善をしようという気になってもらえるかも知れないし…、それが病気を治す第一歩になるわけですしね。少しでも効果を感じてくれたなら、即時効果を求めていたとしても、いつの日か「あの鍼灸師の言ってた事は間違いじゃなかったかもなぁ~…」と、僕の言葉を思い出してくれたら、御自身で体質改善を心がけられるかも知れない…。

100%の違和感が、鍼灸治療を受けた後に、25%くらい下がって、感じる違和感が75%くらいに下がってくれたなら…、それでいいかな…って思うんです。

若い頃は、あまり感じなかった事ですが、僕も50歳代後半から「人って病気をしたり、体にメスを入れる手術をした場合、100%だったパフォーマンスが、100%に戻るって事は無い…」と思うようになったんですよねぇ~。

老化というものもあるんでしょうが、病気と言っても、大病であればあるほど、その傾向にあると思うし、手術で体にメスを入れると、日常生活には支障がなくとも、運動や持久力などのパフォーマンスは確実に低下すると思うんです。

まぁ~…治療する側の希望としては100%の違和感が半分以下の45%くらいまで違和感が無くなるようにしたいんですけどね…。コレばかりは患者さんの体次第なので…。

いくら神の手を持つ名医が手術しようが…、ノーベル賞を受賞した学者さんが考案した高価な薬を飲んだとしても、患者さんの体に『生きる力』が無ければ、何の効果も生まれませんしね…。

基本は、患者さんの身体次第なんですよねぇ~。

だから、食事・排泄・睡眠・運動・姿勢が重要ですし、体に異常が起きた時、もしくは、異常が起きそうな時に、身体が発する声というか、身体が発する痛みや不調という警報に耳を傾けて、身体の声を聞くようにする。

身体の発する声を無視するなんて、火災報知器が鳴っているのに、それを無視しているようなものです。

医療は日々、確実に進歩していますが、現在、テレビやメディアで紹介されている、夢のような医療の発展の恩恵にあずかれるのは、多分、僕らの子供世代…もしくは孫世代だと思うんですよねぇ~。

なので…、今現在、大病と言われる病気が、いつに日か、薬だけで治す事が出来たとしても、今すぐには無理だという事を自覚して、医療というのは体の修復力を手助けするものだという認識を持って、自己管理で病気にならないようにする。

最高の医療っていうのは、優れた手術技術や高価な薬ではなく…、病気にならない体作りこそが最高の医療だと思うし、一番重要な事だと思うんですよねぇ~。

『不便益のススメ』を読んでみた…♪

なんか…「不便益」って…聞いた事ない言葉だけど、不便と利益を掛け合わせた造語なんだろうなぁ~。

確かに…最近、スマホとか電子マネーとか…、やたらと便利を追求する事に力を注いでいる感じがして、「便利は不便…」というような言葉を耳にする事が多いしね…。 

『不便益のススメ』…面白そうな本だなぁ~…って思ったので、読んでみました。

本の最初の方に…

※『無駄な無駄と、無駄でない無駄』という項目があり…

なぁ~んか…この「無駄な無駄と、無駄でない無駄」って、今年の年明けにNHKの『テミスの不思議な法則』っていうドラマの中で、主役の松山ケンイチさん言ってた「分からない事が分からないと、分からない事は分からない…」というセリフを思い出させる言葉だなぁ~…って思いましたねぇ~…(^_^;)

確かに、現代人は「無駄と手間」を同じように捉える節があるし、何となくだけど「手間をかける」事を、良くない事と考えている人が増えているような気がするんですよねぇ~。

※本にも書いてありましたが…、「手間はいつでもネガティブなもので、出来るだけ避ける方が良いと無意識に考えてます」って書いてありました。

僕らは、もう一度「無駄と手間」について考え直す時期に来ているのかも知れないなぁ~って、この本を読んでいて感じましたねぇ~。

本を読み進めていると…

※『数式化できないものにある価値』という章に目が止まったんです。

僕は日頃から、鍼灸の鍼や灸の刺激量は数値化出来るものではないので、鍼灸の技術は伝承しづらく、現代医学のようなエビデンス(科学的根拠)を、数値として表しにくものでもあり、現代医学と鍼灸医学・東洋医学は、例えて言えば、同じような道着を着ていても、ルールが違う空手と柔道のようなものなので、現代医学の土俵で、鍼灸や東洋医学の理屈や治療方針を論じても理解されにくいという事を、常々、思っているんですよねぇ~。

なので、鍼灸治療って『数式化できないものにある価値』の枠組みに入ると思うんです。

この本によると…

※通常、試験の問題は、正確な計算で点数が取れる問題や、講義の内容を記憶している事で点数が取れる、…というような事で評価されるわけだけど、人格の良し悪しは数値化できない…というような事が書いてありました。

で…

例えとして、看護師さんの事が書いてあったんですが…

※看護の世界も数値では測れない事が多く、例えば…、静脈注射が上手な看護師さんは、朝から晩まで静脈注射をしていれば、技術は向上して静脈注射のエキスパートになるし、患者さんとしても、静脈注射が上手な人に注射をしてもらう方が安全だし、病院としても効率的なんだけれども、その看護師さんは、一人一人の患者さんとコミュニケーションを取れる時間が少なくなり、看護がベルトコンベアーのような工場での流れ作業になってしまう。…これでいいのか?…というような事も書かれていました。

やはり、数値に落とせる事が全てではないという事なんでしょうねぇ~。

それと…

※『便利な社会=やらせてもらえない社会』という項目にも目が止まりました。

※もし、日本で車が完全自動運転のレベル5が日常になったとすると、道路を効率よく使う為に、高速道路などで、手動運転と自動運転が混在すると事故の原因になるから、手動運転が禁止になるかもしれない。…って書いてありました。いわゆる…「運転しなくていいよ!」が「運転してはいけない!」になる…。

車の自動運転って技術促進や便利な側面のみがニュースで伝えられてますが、その裏側の事など、誰も教えてくれませんよねぇ~…(^_^;)

あぁ~…それと、こんな事も書いてありました…。

※主体性・自由について…

ご存知の通り、主体性って「自分の意志や判断により、自己責任で行動する事」なので、主体性の逆は「やらされる事」となるわけですよね!

自由は「強制や拘束や支配を受けずに、自らの意志や判断で行動できる状態」で…「義務から解放」「何もやらなくてもいい」も、自由のカテゴリーの中に入る訳なんだけど、「やらなくて済む」が「やらせてもらえない」に変わった時に自由が欲しくなる。

これは僕だけの意見ではないと思うんですが、世の中…長い事、生きてると、自由って、自己責任という名の、大きな責任を背負う事が多いので、案外、何かの傘下というか、会社組織や何かに帰属する事で行動の制限や、軽い拘束や支配下に身を置くことにはなるんだけど、責任を分散できて、気軽な気持ちを味わえたりするものではあるのだけれど、やっぱり、心のどこかで強制や拘束や支配というものに反発心を持ちがちになる…。

これって、無い物ねだりなんだろうなぁ~…と思う事もしばしば…あります。

あとねぇ~…書いてあった事に「だよねぇ~」って思ったのが…

※不便な物事は、主体的に何かをする事を許してくれるものが多く、便利な物ほど「やらせてもらえない」事が増えてくる…。…というような事が書かれていました。

近頃、よく「便利なのか?不便なのか?よく分からない!」「便利は不便」って言われているのは、こういう事なんでしょうねぇ~。

それと、この本の最後の方に書いてあったんですが…

※「効率的な…」を考えるのではなく、「いかに快適に…」を考える。

たしかに…、最近の世の中は効率ばかりを求めているような気がするもんなぁ~。

あとねぇ~…

※「常識を疑う」って事が書いてあったんです。でも…疑うべき常識って、何を疑えばいいのか分からない人は、一つ一つ疑っていけば、いつか疑うべき物が見つかるかも知れないけど、疑り深い人間になってしまいそうで、楽しくなさそうだから…(^_^;)「なんでも便利な方が良いに決まっている」という時の「…決まっている」を疑うと、考え方も広がるのでは?…というような事が書いてあり…

なるほどなぁ~と思った次第です。

私事ですが、つい最近、スマホを買い換えて…

スマホって使わない?使えない?機能がいっぱいあって…

料金ばかり高くて…

選ぶ選択肢が限られていて…

なんかモヤモヤするなぁ~、このままだと、年齢を重ねて、いつか「スマホ断ち」宣言をするようになるのかも…って感じる昨今…

この本を読んで「やっぱ、僕らは、もう一度『無駄』と『手間』を考え直す時期に来てるんだろうなぁ~って思いましたよ!

ラジオ体操…♪

日本人でラジオ体操をした事がない人っているのかな?

僕ら世代だと、小学生の頃の夏休みは、朝の6時25分くらいに、町内の集合場所に集まって、6時30分から放送されるラジオ体操をして、ラジオ体操の出欠の用紙にハンコをを押してもらう…。

それが、子供の頃の夏休みの風景の一部だったんですが、今はもう、そんな感じではないのかも知れませんねぇ~。

聞いた話によると、ウチの治療院の近所では、坂を登った、見晴らしの良い公園で、お年寄りが集まって、毎日、朝の6時30分から、NHKのラジオから流れるラジオ体操にあわせて、みんながラジオ体操をしているそうですが…

我が家では、嫁さんが6年前に、ちょっと…大病したもので、その頃から、今まで以上に体に気を遣うようになり、毎朝…起きてから、録音されたラジオ体操を流して、部屋の中でラジオ体操をするのが日課になっています。

ラジオ体操を毎朝やり始めて、今年で6年目ですけど、最近、歳を取ったせいか…、ラジオ体操の大切さをヒシヒシと感じるんですよねぇ~。

僕は、もともと体は硬い方なんですけどね…(^_^;) ラジオ体操をやっていなかったら、多分…、今の関節の可動域は維持できていないだろうなぁ~って思うんです。

まぁ~…、休みの日は近所の低山に登ったり、天神に行く時は天神から博多駅まで歩いて万歩計が1万5千くらいになったり…と、体を極力、動かしているつもりでは、いるのだけれども、普段…1日中、治療院で患者さんに鍼灸治療をして、一歩も家から出ず、家の中だけの移動での万歩計の表示は2700歩くらいですし…、やはり60歳を超えた頃から、体の硬さというか…関節の可動域が狭くなっている感覚はあるんですよねぇ~。

去年の年末…、『究極の医学について考えてみた…』というブログを書いたんですが、おおまかな内容としては、AIに「医学って何?」と質問したら…

『医学とは、人体や病気の仕組みを科学的に研究し、病気の予防・診断・治療・回復を通じて、人々の健康維持と生活の質(QOL)向上を目指す学問…』という答えが返ってきて…

もう一度AIに「究極の医学とは…」と質問したら…

『「究極の医学」は一つの定義はなく、人間全体を看るホリスティック医学、生命の科学としてのアーユルヴェーダ、断食やヨガを取り入れた自然療法、チベット医学、宇宙医学など、多様なアプローチを指し、真の健康は心身の調和、予防、生活習慣全体から目指す考え方が主流です。特に現代医学が部分に偏りがちな反省から、全体性や精神性、根源的な生命力を重視する方向性が「究極」として注目されています。』…という答えが返ってきたんです。

今現在、現代医学界が「科学的根拠が無い!…エビデンスが無い!」と流布して、現代医学との差別化をはかり、蹴落とそうとしている…と言えば、言い過ぎかもしれないけれど…(^_^;)

科学的根拠を盾にしている医者や研究者達が、確実に、現代医学より下に見ているであろうと思われる医学や治療法を、AIは「究極の医学」と位置付けている。

…実に興味深い…(^_^;)

という内容のブログだったんです。

…でね!

今回、もう一度…、僕が考える、究極の医学について考えてみたんです。

僕の持論を唱えるとするならば、究極の医学って『自分で自分の体を管理する事』…だと思うんですよねぇ~。

セルフ・メディケーションという言葉があるけど、あれって…WHOの定義によると「自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること」…ってなってるけど、メディケーションって「薬物治療」「投薬」「薬剤」を意味する言葉だし、メディカルって「医学」「医療」「内科」という感じで「軽微な症状だったら市販薬を適切に活用し…」というようなニュアンスも含まれているから、薬に頼りがちになるような言葉だと思うんですけど…

僕が考える、『究極の医学』とは…

『自分で自分の体を管理する』…いわゆる、薬に頼らず、適切な睡眠時間・バランスの良い食事・適度な運動を行う事で健康を維持する事が、一番の『究極の医学』だと思うんですよねぇ~。

そう考えると、ラジオ体操って究極の医学の一部なんですよぉ~。

先日、年配の女性の患者さんに「ラジオ体操をした方が良いですよ!」と伝えたら、「やってます!」と返事が返ってきて、僕の目の前で、軽く腕を回されていたので、「あ!…肘は曲げずに…!」とアドバイスしたら「先生!…言うのは簡単だけど、歳を取ったら、なかなか難しいのよぉ~」と仰るもので、「そうかもしれないけど、そこは気を付けた方がいいですよぉ~」とお伝えしたら、「NHKのテレビでやっているラジオ体操は、若い人がシャキシャキと体操してるでしょ!我々は、あそこまで機敏に動けないもの…」とも言われてました。

確かに…テレビでラジオ体操をしている、お兄さんやお姉さん達は、たしか…日体大の人達だと聞いた事がありますし、日体大では無いにしても、体操部経験者だろうなぁ~って感じのアシスタントが、模範体操を見せてくれてますが、体の動きがキレッキレですもんねぇ~…(^_^;)

あんなキレッキレな動きは年配の人には無理だよなぁ~。

NHKさん…提案なんですが…

よかったら、テレビのラジオ体操の出演アシスタントって、各年齢層の人達を入れて、5人のアシスタントを入れるとするなら、30代・40代・50代・60代・70代の元気そうな人が、ラジオ体操をしてくれると、親近感がわくのではないかと思うんですよねぇ~。

編成会議にかけてもらえませんか?…(^_^;)