ちょっと気になっている「哲学対話」…

ちょっと前に、podcastの『COTEN RADIO | 歴史を面白く学ぶコテンラジオ』を聴いていたら、「哲学対話」という事を話されていたんです。

「哲学」…と…「対話」…

はて?

学が薄い僕は「対話」という言葉は素直に受け入れる事が出来ますが、「哲学」というワードを聞くだけで、「あぁ~頭の良い人がやる学問ね!…」的な感じで、自然と遠ざけたくなるワードではあるんですよねぇ~…(^^;)

でも、話しを聞く限りでは、この「哲学対話」って、何となく「良いなぁ~」って思えるんですよぉ~。

ネットで「哲学対話とは」で検索してみると…

「発言をしなくてもよくて…、何を言ってもいいけど、知識で話す事はせず、体験をベースにして、否定的な態度は取らず…、対話的に、お互いの立場を理解する事で、自分の価値観を形成しつつ、他の人の価値観を尊重できるように心がけ、自由で心理的な安全性を確保するのが基本…」というような事が書いてありました。

COTEN RADIOを聞く限りでも…

ルール的には…

①否定しない

②知識ではなく経験で話す

③無理に話しをしなくても良い

…というのを基本として、一つのテーマについて話す。…っていう感じだったと思うんです。

知識で話さず、全て経験で話す事になるので、自分の言葉で話す事になり、お互いの意見がちゃんと出て、心理的な安全性が高まるというものらしいんですよね!

COTEN RADIOの人が言うには「これをやると、終わった後、メッチャ仲良くなる…」って言ってました。

…この話しを聞いた時に…、

会社の会議とか…

学会とか…

勉強会…

これらに、一番欠けている部分じゃないかな?…って思えたんですよね~。

学会とかは、知識の発表会のような場所だから、致し方ないのかも知れませんが、「最近、学会に行っても面白く無いなぁ~」って思う理由の一つが「自分の言葉」ではなく、知識自慢の場になってる事が…僕が学会から足が遠ざかっている理由のような気がします。

2010年頃くらいからでしょうか…「論破」という言葉が、カッコイイ…的な感じで世間で飛び交うようになり、子供までが「…それってあなたの感想ですよね?」…と言うようになったりして…(^^;)

「哲学対話」って「論破」とは真逆な事柄のように思える…と同時に、僕は過去…、人と話をする時に、自然と知識を中心に話しをしていなかっただろうか?…と、少し不安を感じ…

もう60歳にもなったんだから、「哲学対話」的な会話を心がけるようにしなきゃだな…って思うと同時に、ちょっとづつでも良いから、自分を変えていこうかなぁ~って思ってます。

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