北山修さんの『「むなしさ」の味わい方』を読んでみた♪

気が付けば…7月7日を過ぎてましたねぇ~。2003年の7月7日に『はりきゅうふくた』を開院したので,今年で21年目に突入…なんですね。

皆さんのおかげで、なんとかここまでやってこれました。ありがとうございます。

話しは変わって…

何年前だっかな?…NHKで九州大学を退官される北山修さんの『最後の授業』という番組を見たのは…。

フォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」を初めて聴いた記憶があるのは、たしか…、僕が幼稚園児の頃だったと思うんですよねぇ~。

ネットで「帰って来たヨッパライ」を調べてみると、1967年にリリースされているので、僕が2歳の頃に発売されていた曲を、発売されてから数年後、多分…、幼稚園児の頃、商店街のスピーカーから流れていたのを聴いて「面白いなぁ~」って思ってた記憶はあるんですよねぇ~。

北山修さんの『最後の授業』をTVで見て、「へぇ~…北山さんって九大にいたのね!…福岡に住んでらっしゃったんだぁ~へぇ~…」と思った後は、コレと言って情報も耳にせず、数年前からradikoで東京の番組を聴くようになり、早朝の『あさぼらけ』という番組のパーソナリティーの上柳さんが、時々、北山修さんの話しをされるので、…「あぁ~お元気にされているのね!」って思っていたんですよね。

先月から『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』という映画が映画館で上映されていたんですが、観たいなぁ~と思いつつも,スケジュールが合わず、結局、見損ねちゃったんですよねぇ~。

つい最近、ニッポン放送の『あさぼらけ』に北山修さんがゲスト出演されていて、この『「むなしさ」の味わい方』の本の事や、精神科医である北山さんが、友人であり、音楽のパートナーでもあった加藤和彦さんの自死を止める事が出来なかったのか?…という話しをされいたので、読んでみたんです。

本の冒頭で、現代人は「間(ま)」…、間合い…とか、AとBの間の「間(ま)」ですね、…その「間」という時間を無駄な時間と捉えるようになっていて、出来るだけ、その「間」を何かで埋めようとしている節がある…というような事が書かれていましたねぇ~

確かに、地下鉄とか電車に乗ると99%の人はスマホを見て、スマホで「間」を埋めようとしてますもんねぇ~。

人は白か黒かハッキリしない場合、気持ちがモヤモヤして、早くどちらかに決めたくなるらしいんですよぉ〰︎

でも、白か黒の間…いわゆる「間(ま)」…という時間に、「むなしさ」を感じるものらしいんですが、この「間(ま)」のグラデーションの部分は、「むなしさ」という感覚と引き換えに、人との関係性や、自分自身の奥行きや…人としての器の幅を与えてくれるらしいんですわぁ〜

芸術的思考も、この「間」にいる時間に発揮される事が多いんだそうな…。

人は清濁合わせ持つ生き物ですが、「間」は時々「魔」に変わり、良からぬ事を思いついたりもするそうなんです。

過去を振り返ったり、世間を見渡して見ると、白黒つけない方が良かったりする方が良い場合も多々あるわけで…

「むなしさ」を悪い物と捉えず、その時を味わう事で人間的に成長する…って言う事が書いてありました。

あぁ~それと、北山さんは精神科医ですから、精神的な病を治す時には、薬を使う場合もあるにはあるんだけれども、一番大事なのは「間(ま)」…時間が必要だと書かれていました。時間をかけて徐々に治っていくという「間」を経験しなければ治らないって書かれてましたね…。すぐに治らないと,絶望してしまったり、怪しい特効薬に手を出してしまうのは危険だとも書かれてました。

勉強が出来ない子に「なんで100点取れないだ!」怒鳴りつけても100点なんて取れるものでもないのは、誰でも理解出来ると思うんですが…、焦っちゃうと、ついつい怒鳴っちゃうのかもしれませんが、やはり結果がでるまで待つ…という「間(ま)」が必要なんですよねぇ~。

これは鍼灸でも言える事で、早く治りたいという気持は分からないではないけど、身体にも「間(ま)」という治る時間というモノが必要なんですよぉ~。

トノバンの映画は、7月中旬から佐賀の小さな映画館で上映されるようなので、佐賀に観に行こうかと思っています…♪

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