鍼灸!取って出し4(エッセイ)


はりきゅう|福岡|はりきゅうふくた

針灸・健康に関してのエッセイです。

鍼灸取って出し Vol.4

以前、2014年~2020年にかけて書いていたブログの中で、鍼灸や病気や健康に関する事や日頃,思った事などを抜粋して掲載してます。エッセイの感覚で読んでみて下さい。



・雑草取りと免疫力のバランス

2020年5月21日

気温が乱高下する昨今ですが、昨夜から朝にかけて福岡は結構寒かったので、お布団の中が暖かく、今朝は後ろ髪を引かれる思いで起きましたが、ここのところ、コロナ自粛で身体を動かしていない人も多いでしょうし、ちょっとした寒さで、背中や肩や首の筋肉がガチッ!と固くなったりする人も多いんじゃないでしょうか?

それを防ぐには寒さを感じたら、薄着は避けて暖かい服装を心がける事と、自宅で出来る事と言えば、お風呂に浸かって身体を温める事しかないんですが、それでもダメなら我慢せずに、すぐに鍼灸院で
療を受けて下さいね!そうした方が早く治りますよ!

「5月も後半になろうとしてるのに寒いなぁ~」なんて思う昨今ですが、季節の変化は植物を見ていると季節の変化はあきらかですよね!若葉は綺麗だし色々な植物に花が咲き始めてるし…。

先日の11日に植えた茗荷の根なんですが、今週の月曜日には幼虫のような芽が出てきて、昨日には立派に葉っぱが生えてきました。別の鉢に蒔いたパクチーもいっぱい芽が出てきましたし、水やりが楽しくなりますね!

でも、一方では1ヶ月前に綺麗に草取りしたはずなのに、この季節は雑草もいっぱい生えてくるので、目に付いたモノは抜くようにしてますが、雑草は取っても取っても生えてきます。毎回思う事なんですが、雑草取りをしながら、身体の中の免疫の仕事って雑草取りしているようなモノなんだろうなぁ~って思うんですよねぇ~。

そんなに面倒くさければ「除草剤をまけばいいじゃん!」って思う人もいるかも知れませんが、除草剤をまいちゃうと植えたい植物とか野菜は育たなくなりますし、育ったったとしても身体に影響がありそうな土壌で出来た野菜は食べたくないですよねぇ~。体調が悪くなった場合、必要範囲内での薬は日常生活を送るのに必要なものですが、強い薬を使うような状況…、もしくは、不安だからと言う事だけで飲む薬などは、身体にとって除草剤のようなモノなので、リスクが大きくなる事を理解しておかないと「薬を飲めば治る!」と、たかをくくって日常生活を送っていると、体調が悪くなった時に痛い目を見ることになりかねないんですよね!

だから「出来るだけ除草剤を使わず草取りをする」事は「規則正しい日常の生活を送る事で免疫のバランスを整える」という事と同じだな…って思うわけなんですよねぇ~。





・天邪鬼な鍼灸師の戯れ言

2020年6月27日

井の中の蛙どちらかと言えば、僕自身…天邪鬼な性格だと思っていますが、素直な側面も持ち合わせてはいるので、ある程度のバランスを保つことが出来ているんじゃないかなと思っています。(自己分析……(^-^;))

「井の中の蛙」という言葉がありますよねぇ~。

『井の中の蛙大海を知らず…。狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことをいう。』

辞書で調べてみると、このように書いてありました。

例えば…誰かが僕の事を陰で「あいつは井の中の蛙だからな…」と言ったとします。
で…、それを伝言ゲームみたいに「誰にも言っちゃ駄目だよ!…」というふれ込み付きで回り回って、僕が井の中の蛙呼ばわりされている事を知ったとします。

多分、その時は「そうだよなぁ~俺って井の中の蛙なのかもなぁ~」と素直に思うと思うんです。(実際、井の中の蛙なのかも知れませんからねぇ~(苦笑))

…でも、その夜くらいに「井の中の蛙???」…「するって~と何かい!? ○○学会に所属して、○○先生に師事し、○○流の講師をしている…というような人達が本流で、それ以外の人は亜流なのかい?… 井の中の蛙と言ってる方が、実は井の中の蛙だったりして…」と天邪鬼な性格が鎌首をもたげ始めるんですよねぇ~(苦笑)

何か(流派)に属す事を第一義としたり、縛りがキツイ学会や、縛りがキツイ先生を師事していたりすると、案外、自由な発想って出来なかったりするものなんですよねぇ~。自由な発想すら出来ないのであるならば、それが本当に井の中の蛙状態なのではないかな?って思うんです。案外、人を批判する人って、往々にして井の中の蛙のような気がするんですよねぇ~。

気をつけましょうねぇ~~(苦笑)( ̄▽ ̄;)





・「気」について…

2020年6月20日

気についてまた…こんな事を書くと「何も分かっていない奴が、いい加減な事を書くな!」…と、お叱りを受けるんだろうな…(苦笑)

でもね…以前から…というか、最近、ホント!「気」って便利な言葉だなって思うんですよねぇ~。

東洋
学や鍼灸の勉強をしていると「気」について書かれている文章を目にしますし、必ず周りの人の中で、私は気を感じる事が出来る…。もしくは気の流れを感じる…。はたまた気をコントロール出来る…。というような人が現れます。(苦笑)

「気」は丹田に集まり…云々、経絡を巡り…云々、血(ケツ)と水(スイ)を押しているのが「気」で…云々。というのは文章から得た学問として理解できますが、見たり感じたりする事が出来ないモノに関しては、正直言って、如何ともしがたい。

…何となく集団心理とでも言いますか、今まで「気」などというモノを考える事もなく生きてきた、ごく普通の人が、いきなり「この気を感じますか?」と問われると、気が弱い人なら、気は感じないんだけども、ここで「感じます…。」と言っておいた方が、この場の雰囲気を壊さずにすむのかな?…(;´゜,∀゜)…、などと気を使ったりするだろうし…(^-^;)  もしくは、あざとく、「この場で ”気” を感じると言っておいた方が周りの人より一歩抜きん出る感じで振る舞えるので、ここは気を感じているフリをしておこう…」などという輩がいないとも限りませんし…、目に見えないモノをど~こう言ってもねぇ~…っていうのが、この「気」という代物なんですよねぇ~。

僕自身は今の所、気は感じませんし、オーラも見えません。鍼灸院に入ってきた患者さんを見て「あ~この人…元気がないなぁ~」とか「なにか…あったのかな?」「おっ!この人は元気そうだ!」程度に、察するというような…、その程度の能力しか持ち合わせておりません。

なので、僕の気の解釈は「気」はエネルギーなので誰の身体の中にも流れているモノであり、エネルギーはカロリーとか電力とか数値には表せるものだけれど(※気は今の所数値化できていません。あしからず… (´∀`;))元来、エネルギーは目に見えるものではないので、気を感じる事が出来なくても、オーラの色が見えなくても鍼灸師として何も問題ない。…と思っています。

気を感じる事が出来なくても、僕ら鍼灸師は、知らず知らずのうちに鍼とお灸を使って気(エネルギー)を動かしているんでしょうし、筋肉を緩ませてコリを解しているんでしょう。

「人から気をもらう…」とか、「気を分け与える…」というような事を時々聞きますが、基本的に、どの人の身体の中にもエネルギー(気)はあり、若ければ活発にエネルギー(気)は生産され、歳を取れば気(エネルギー)の巡りは悪くなるものなので、人からもらったり、分け与えたりするようなモノじゃないと思うんですよねぇ~。

ただ…、楽しかったり、好きな人と一緒にいたり、美味しい物を食べたりすると、気(エネルギー)は生産され、活発に巡ると思うので、その瞬間は若かろうが、老人だろうが、元気になるんでしょう。

何となく…「気を感じる!」と言っておけば、優劣で言うと「あなたには感じないモノが私にはわかるのよ!」的な、少しばかり…優勢な立場でモノが言えるかも…。というような人に取っては「気」って、人を煙に巻く…(苦笑)便利な言葉だなって思うんですよねぇ~(^-^;)…すごく穿った見方ですけどね!(苦笑)





・久々に聞いた良い言葉

2020年6月16日

日曜日に鶴瓶さんのラジオを聞いていたら、ゲストに漫才のミルクボーイが出ていて「今ある不満はすべて自分のせい」と書いた紙を部屋の壁に貼っているという話しをしていたんです。

なるほどなぁ~「今ある不満はすべて自分のせい」か…。

確かに国家間の問題とか、人種差別の問題とか、いち個人ではどうしようもない事柄に於いては、この言葉は当てはまらないかもしれないけど、個人的な不満に於いては8割9割は「今ある不満はすべて自分のせい」…なのかもなって思いますね。

精神的に弱い人間じゃなくても、人って得てして人のせいにしてしまう傾向にあると思うんですよね!「自分は悪くない…でも…まぁ~100歩譲って自分が悪いとしても、お前も悪い!」……的な(苦笑)必ず数%は人のせいにして、幾分か自分の負担を減らそうと自己弁護というか反射的に自己保身してしまう。まぁ~…これって僕自身のの事を言ってるわけですが…(苦笑)

多分、こういう行動って、誰しも一度や二度は心当たりがあるんじゃないかな?

何となく「己を見つめて生きる…」というような禅的な思考のようにも思える「今ある不満はすべて自分のせい」という言葉。久しぶりに良い言葉を聞いたなぁ~って感じました。





・この本、面白かった♪

2020年6月12日

感染症は存在しない岩田さんの本を読むのは、これで5冊目かな?
『感染症は実在しない』という本。
以前、Twitterで内田樹さんが

『2009年の新型インフルエンザの後に書かれた本ですけれど、11年後に「新装版あとがき」を付しただけでリーダビリティはまったくそのまま・・・というのはかなり「怖い話」です。

…と紹介されていたのを見て、「岩田さんの本って面白いから、僕も読んでみようかな…」とAmazonでポチッと買いしたんです。

タイトルを見ると、一元的な見方で物事を判断しがちな人や、多様的な物の考え方を普段からしていない人は「何言ってるの?…意味わからない…」ってなるのかもね…って思いましたが、読み進めていくと「なるほどな…」って思えてきて面白かったですね!
学というか、病気を今まで見たことない側面から見ると、こういう考えも成り立つんですね!

この本には普段、僕らが考えもしなかった事…

・病気をモノとして捉えるか?コトとして捉えるのか?
・ウイルスはモノ…。
・病気はコト…。
・病気は現象にすぎず病気は実在しない…。

などなど…、目からウロコ的な事が書いてあったり…

・「病気は医者が認識する事によって生み出されるもので、実在するわけではない…」
・「目に見えるから実在するのか?見えないモノは無視なのか?」

…というような、「なるほどなぁ~」って感心するというか、「そういう考え方もあるのね!」って思ったんですよね。一番、面白いなと思ったのは…

・「
療は価値の交換をする媒介物にすぎないとすれば、当人の価値に合致しない療は余計なお世話なのではないでしょうか…」

…って書かれていたとこですね。

一般的に「病気は治さなければいけないもの…」っていう考え方が定着していて、鍼灸の学生の頃や、鍼灸師に成り立ての頃は疑問も抱かず「病気は治すもの…」って考えると思うんですが、臨床を重ねると、そうじゃないな…って思う場面に出くわす事が多々あるんですよねぇ~。

この本、鍼灸師の卵とか、鍼灸師になりたての人達も読んでおいた方がいいなぁ~って感じました。

あと…、
療がオートマティズム化している事について書かれていた部分を読んでいて「そういえば…」って思い出したことがあるんですが、10年前だったかな?…4年間ほど、年に1回、胃カメラで胃の検査をしていた事があったんです。これは身内が胃カメラの検査をした時に、早期の胃ガンが見つかり、療して事なきを得た事があり、両親から「お前も、もういい歳なんだから、胃カメラの検査くらいしておけ!」と言われたもので、「そんなものかなぁ~?」と、年イチで4回ほど検査したんです。

毎回、検査後の、お医者さんから検査の結果の説明で「●○●△▽※※●○…アメリカの内視鏡の検査基準に照らし合わせると…&’&(%&%&&’’&%&$…で、$#%&$#‘&%’&…なので、異常ありません!」と専門用語混じりで同じセリフを聞かされるんですよぉ~。なので毎回、「この先生、また同じ事を言ってる…」って思っていたんですが、4年目に、また同じ説明があり、最後に「何か質問はありますか?」と聞かれたので「…もっと分かりやすく説明してもらえませんか?」と言ったら、同じセリフを、スピードを落としてゆっくり話されたんですよねぇ~。(苦笑)

僕としては「アメリカの内視鏡の基準ってこんなもので…」って説明してくれて「…そんなに気にすることはないですよ!」的な返答があるのかな?って思っていたけど…(苦笑)一言一句、同じセリフをゆっくりと話された日にゃぁ~呆れて物も言えなかったんですよねぇ~。あっ!このお医者さん…オートマティックな感じで、ハンコで押したようなワンパターンな思考で検査してるのか?それとも僕が馬鹿にされてるのか?…(苦笑)…そう感じたモノで、それ以来、もう検査には行かなくなったんですよねぇ~。

話は脱線しましたが…(苦笑)

この、『感染症は実在しない』という本、面白かったです。… (^-^;)






・鍼灸と対話

2020年6月3日

昨夜、Eテレを見ていたら『ハートネットTV』という番組で、~コロナの向こう側~ というのをやってたんですよ!精神科医の先生が色々と話されていたんですが、凄く共感できたのがソーシャルディスタンスとマスクの事…。

この先生、曰く、「ソーシャルディスタンスやマスクの着用は
学的配慮であったはずなのに、いつの間にかマスクを付けることや、人と距離を取る事が道徳的な規範となり「正義」にすり替わってしまい、社会がギスギスしてしまって、正義に従わないと、みんなで攻撃するようになる…」

そう言えば、一昨日だったかTVのワイドショーで大阪だったかな?バスの中でソーシャルディスタンスを守らないと小競り合いがあってましたし、数ヶ月前にはウチの近所の地下鉄七隈線でもマスクをしてない人を大声で責め立てるって事がありましたねぇ~。

埃っぽい所に入ったり、鼻炎をもっている人は、不意に咳き込んだりクシャミをすることがあるかとは思いますが、普通に黙っていれば飛沫は飛ぶことはありませんしね!マスクをしていないからって、大声で責め立てる必要はないはずなんですよね!

それと…

先生曰く…「引きこもり生活が長引くと、人の意識や考え方が狭くなり、幼稚化して考え方が0か100かという極端な発想(白黒思考)になる…」…らしいんですよ。

なるほどなぁ~…だからマスクをしていない人を見つけたり、ソーシャルディスタンスを守らない人を見つけたりすると、必要以上に攻撃するね!

あっ!あと…不要不急の重要性についても話されてました。

先生曰く「対話が必要…」とのこと。
会話は合意を目指し結論を出すことを目的とするものらしんですが、対話は議論や説得やアドバイスを抜きで言葉を交わす事なんだそうです。この話を聞いていて感じたんですが、これって鍼灸に来られる患者さんとの言葉のやり取りでも重要な事だと思うんです。説得やアドバイスは、どんなに正しい事を言ったとしても相手の主体性や自発性を抑圧してしまうらしいんですよね!

再三再四、このブログに書いてますが、僕ら鍼灸師は鍼とお灸を使って、身体に備わっている自己治癒力を手助けする事で病気を治しています。ここで重要なポイントは患者さん自身が病気を治す為に自発性…、及び主体性をもって生活習慣を変える必要があるって事なんですよね!

僕ら鍼灸師が、どんなに良いアドバイスをして生活習慣を変えるように説得しても、結論を出す事を目的とする会話のみで終わってしまえば、患者さんの主体性や自発性を抑圧してしまうという事になる。

鍼灸の合間に必要なのは会話ではなく対話なんでしょうねぇ~。

この精神科医の先生が仰るには対話は出来るだけ中身がなく、くだらない…不要不急な、ノンキなお喋り…。なんだそうです。

なるほど!なるほど!…。やっぱ、ここ数ヶ月、日本中…いやいや、世界中で対話が不足してるんでしょうね。






・『引く美学』 と 『足す美学』

2020年7月8日

よく日本料理は引き算の料理で、フレンチは足し算の料理だと言われてますよね!

日本は新鮮な素材が入手しやすいので、新鮮な素材の味を活かす為には、余分な味を加えること無く、引き算の美学で構成されているのが日本料理。

かたや、フランス料理は、土地柄、海産物など新鮮な食材を扱う事が出来ないので、足し算の美学で、ソースやフォンドボーなど、色々な味を作り出し、構成されているのがフランス料理。

…先日、年に1度くらいのペースでお邪魔している、お気に入りのレストランに行った時に、デザートを注文する際、珍しくシェフに「コロナで仕事に影響はありませんでしたか?」と話しかけられ、その流れで、シェフから色々な話しが聞けたんですよ!

・ルクセンブルクの日本大使館の料理長を辞めて日本に帰ってきた時の話し…。
・この場所でレストランをする事になった話し…。
・今回のコロナ騒動で外出制限で店を通常通りオープンすることが出来ず、鬱々としている中、今までは常に満席にする事が当たり前だった日常が崩れ、外出制限が解除されて以来、一人一人のお客さんに料理を提供する事の喜びを再認識出来たという話し…。 などなど…。

その話しの中で、足し算のフランス料理と、引き算の日本料理の話しが面白かったですねぇ~。

その日、食べた料理の中で、焼き茄子とアンチョビを合わせたものの上に、日本の薬味の生姜と茗荷と大葉を合わせたものをのせ、魚のイッサキを軽く燻製したものをのせて、数種類の野菜のジュレとクルトンをかけた前菜を食べたんですが、食べる度にいろんな味がして、確かに日本料理の素材が多く使われているんだけれども、味わいは日本料理じゃ無くてフランス料理なんですよねぇ~。

色々な味が楽しめる、フランス料理の妙…とでも言いますか、足し算ならではの巧みな味だったんですよねぇ~。

この話を聞いた時に、…ふと思ったんです!

鍼灸の世界でも『引く美学』と『足す美学』ってあるよなぁ~

鍼灸での引き算の美学は、出来るだけ少数穴で
療する。…刺激は少ない方がいい…。なんなら鍼を刺さずに治す方が素晴らしい!…極端に言えば一本の針で一つのツボを使い、もしくは鍉鍼だけで治す…、と言うような感じの鍼灸を良しとする鍼灸師。…こういうタイプの鍼灸師って、何となく学者タイプというか、理想を追い求めるタイプに多いような気がするんですよねぇ~。

鍼灸の足し算の美学は、複数のツボを使い、様々な鍼やお灸を使って効果を上げていく…と言うような感じの鍼灸。どちらかというと、こういうタイプは臨床家に多いような気がします。

足し算・引き算…どちらが優れているという話しではなく、どちらも極めれば素晴らしいと思うし、その鍼灸師の成長過程で『引き算の美学』と『足し算の美学』がマイブームのように交互にやってきて、色々と学んでいく上で、足し算でも引き算でも無い、独自の☆療法が生まれるんでしょうねぇ~。

美味しい料理を食べれるんだったら、足し算・引き算…など、どうでもいいやぁ!って思えちゃいますよねぇ~。なので、鍼灸も、治るんだったら、少数穴だろうが、鍉鍼だろうが、太い鍼だろうが、細い針だろうが、鍼灸師として足し算・引き算に拘る必要はなく、その患者さんに合った
療を選択する。

…これでいいのだ!って思うんですよねぇ~。





・病気になる確率

2020年7月1日

病気と言っても、自分自身の生活パターンや疲労の蓄積が原因で起こるモノもあれば、遺伝的なものだったり、突発性な変異で起こるモノだったりと、いろいろな種類があると思うんです。

遺伝的なものや突発的な変異で起こる病気は、自分自身でどうこう出来るものではないと思うので、今回の話しからは除外しますね…。

生活パターンや疲労の蓄積が原因で起こる病気や体調不良の諸症状って、一つの原因で起こるものでは無いんですよねぇ~。ある程度の条件が揃って体調不良が起こると考えていいと思うんです。

今、コロナで騒がれているウィルスも、動物実験では100万個のウイルスで確実に感染させて、ウィルスの増殖がどうなるかを観察するらしいんですよね!先日ラジオに出演されていたウイルス学者の先生が、ウイルスの種類にもよるけど1万個くらい浴びれば感染する確率は高くなると言っていました。(1万個のウィルスって、感染した人のクシャミを吸い込む感じ…って言われてましたね!)

ウイルスの感染は数の原理なので、条件が揃えば感染するというもので、条件が揃わないようにすればいいという事なんですよ! 水で洗い流すだけで100分の1くらいなるので、クシャミを浴びて1万個のウイルスを浴びたとしても水で流せば身体に付着するウイルスは100個になるわけで、感染を防ぐことが出来る…という感じらしいんです。

生活パターンや疲労の蓄積が原因で起こる病気も、いくつかの条件が揃うことで成立すると考えるなら、条件が揃わないような生活を心がければいいわけですよね!

「健康でいなければ!」…とか、「健康にならなければ!」…って考えると、運動したり、食生活の改善をしたり、生活パターンを変える事を強要されがちで、最初は意気込んで改善しようとするんだけど、途中で息が詰まってしまいそうになり、挫折してしまうと思うんですが、条件が揃わないようにすればいいのであれば、何か一つだけを変化させれば病気になる確率が減るという事なですよぉ~。

例えば…

睡眠不足な生活をしていて、大食漢で、脂っこいモノばかり食べ、毎晩飲み歩き、運動もせず、休日返上でハードな仕事をしている。って聞くと「あぁ~これじゃ~病気になっても不思議じゃないよね!」って誰でも思うと思います。悪いモノを全て改善するに越したことは無いんでしょうが、どれか1つだけでも改善できたなら数%発病する確率は下がると思うんですよね!

騙し騙しではあるんだけれど、これって生活パターンや疲労の蓄積が原因で起こる病気を防ぐ大切な事だと思うんです。

ただ、人は歳を取りますから、年齢を重ねれば病気になる条件が少なくても発症しやすくなるという事は頭の片隅にとどめておく必要はあると思うんです。(※例えば…20歳代なら運動不足や睡眠不足などなどの条件が10個揃わないと発病しないとするならば、50歳代は5個の条件が揃えば発病する…そんな感じです。)

病には程度があるっていう事を、このブログによく書いていますが、病気になる条件を一つ外す努力をすれば病気になる確率は低くなると思うんですよねぇ~。






・なるほど…会話より対話か…

2020年8月8日

オープンダイアローグひょんな事から読み始めた『オープンダイアローグとは何か』と言う本。

会話というのは、知識が豊富な人が知識が無い人へ…、講師と受講生…、もしくは、語り手と聞き手…、とハッキリと役回りが決まっている状態で一方向でしかコミュニケーションが成立しない事が多い反面、対話は何かを決定するでもなく、抽象的な言い回しを多用してコミュニケーションをはかるものだそうな…。

この本には”対話”というのが精神的な事で体調を崩しがちな人には必要だという事が書かれていたんですが、確かに鍼灸院でも患者さんと鍼灸師のコミュニケーションが、対話ではなく会話になり、「こうしちゃいけない!」「あ~しちゃいけない!」と一方向的に鍼灸師から言われると、患者さんも「分かってるんだけどさぁ~!」と苦笑いするか、すこし嫌な気分になると思うんですよねぇ~。

もしかして僕も知らず知らず一方向的な会話で患者さんに嫌な思いをさせていたのではないか…?もしくは、患者さんの身体の事を思い、治療の一環としてのアドバイスで、良かれと話していた言葉が対話ではなく会話として捉えられ、患者さんが治療の継続を絶つ原因になっていたりしたのではないか?…、過去、治療が継続しなかった患者さんの中には、そういう人がいたんじゃないかな?…なんて思っちゃいました。

確かに…、会話からケンカに発展することはあっても、対話からケンカになる事はないよなぁ~。

今度から気をつけよっと!

そうそう、この本に書いてあった事で…「オープンダイアローグは、まるでジャズのアドリブのようだ!」って、ジャズの即興演奏について「トレーニングされた自由」という表現を解説されていたんですが、なるほどなぁ~って思いました。

あっ!それと…

『…効果のあいまいな代替療法の提唱者ほど、失敗例を無視するか、強引な肯定的な意味づけで押し切ろうとする傾向が目立つからです。

と書いてあったんですが、代替療法に分類されている鍼灸師として一言、言わせてもらえれば、それは偏った見方だと思います。言い逃れする人間性の問題で、代替療法に携わっていようが、お医者さんであろうが、政治家であろうが、言い逃れをする人は強引な肯定的な意味づけで押し切ろうとするものじゃないでしょうか?

毎度毎度、こういう文章を見ると、この文章を書いた人の多様性の低さを感じます。





・淘汰する…しないは時代が判断する…

2020年8月5日

古典昨日、風呂に入っていて「あ~…今年の夏はコロナ騒動だから里帰り出来ないなぁ~」って思った時に、ふと思った事なんですが…。

「古典は読んでおけ…、今ある知識だけで対応しようとすると必ず壁にぶつかるぞ!」
…これは、会う度に父から言われる言葉なんです。

漢方
の父の投薬を見ていると、古典ばかりを重視しているのかと言えば、そうではなく、患者さんの体調や状態に合わせて、今ある方法と古典的な方法を混ぜ合わせながら対応しているように思えるんです。

古典は「宝の山…」という見方もありますが、別の見方で見ると「今の時代に伝わっていないものは時代に淘汰されたもの…」という見方もできます。

淘汰されるものには、弾かれる理由というのがあると思うんですが、優れてはいたんだけど社会的な理由…、もしくは近代的ではないというような理由で淘汰されるものもあれば、技術や考え方が突飛過ぎて社会に受け入れられなかったものや、基本的に可もなく不可もない感じで自然と消滅していったもの…。色々な淘汰のされ方があるとは思うんですけど、これ…、全て「古典」なんですよねぇ~。

なので、古典に手を出す時は、古典というだけで、それを金科玉条のように扱うのではなく、全てを鵜呑みにする事なく、各々がよく吟味して「古典」を扱った方がいいという事なんですよぉ~。

何となく「古典」って、考えの違いで、流派に別れたり、思考的に朱子学・陽明学…、薬の世界では古方派・後世方派…、鍼だと…浅く刺す派?と深く刺す派?(苦笑)に別れて、自分とは違う考え方の流派をチクリチクリと非難する傾向にあると思うんですが、「君子豹変す…」という言葉があるように、いついかなる時に自分の考え方が変わるかもしれませんし、属している流派を守る…、もしくは自分の考え方を守りたいが為…、もしくは思い込みが強すぎる為に、他者を批判したいのは分かるんですが、そうなると、既に守りに入っている状態ですし…、保身に入ってる状態なので新しいものを見つけれなくなると思うんですよねぇ~。

自分の考え方と違う考え方で、相いれないものだとするならば、どちらが正しいかは現時点で分かるものではなく、時代が判断して淘汰していくんじゃないかな?って思うんです。なので、自分を流派で縛る?流派に属す事で固定化する?ような事はしない方がいいんじゃないかな?





・「港…港に女が」というのは実は逆だったというお話し

2016年4月1日

港港に先日、読んだ本に面白い話が書いてありました。

昔の船乗りさんの例え話で「港…港に女がいて…女はただ待っているだけ…」という話がありますが、実はアレ…、現代風に置き換えると男と女が逆転してるって話です。

その本に書かれていたのは「港…港に女がいて…」だと女性が港で、男性が船となるわけですが、精神的な思考で言うと男性が港で、女性が船らしんですよ!船が港に入る時は港のルールに従って停泊するんだけれど、その港のルールに違和感を感じたり、嫌になったりすると船は港を出て行き、2度と港に戻る事はない。港である男性は呆然とただ出て行く船を見送るだけ…。何となく世間一般で騒がれてる離婚騒動や恋愛の破局などを見たり聞いたりしていると、男の方が未練タラタラ、女性は別れて清々した!…って話をよく聞きますし… 「港=男性、船=女性」説…頷けますな!(笑)

これも、その本に書いてあった話で…
よく患者さんと
療者には上下関係があるという話を聞きますが、なんとなく療者は「先生」と呼ばれたり、患者さんより知識も豊富なので上下関係で言えば療者の方が「上」で、患者さんが「下」…のように見えるかも知れませんが、主導権は誰が握っているのかと言えば、気に入らなければ療を受けに行かなければいい話ですし、別の療者に鞍替えする事も可能なので、患者さんが主導権を握ってるって事になるんですよね。なので「港と船」の例えに当てはめると療側は港で、患者さんは船になる。

なるほど!なるほど!…実に興味深い!(笑)




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院長

福田 徹  1965年生まれ 
2003年 国家資格 鍼師灸師免許取得


             福岡市 早良区 鍼灸院



多くの方が鍼灸の施術を望まれる場合、肩が痛い…背中が痛い…腰が…首が…という症状を訴えて来院されます。


鍼灸では手・足・背中・お腹・頭など、身体のあらゆるツボを使って症状を改善していきます。

初めて鍼灸療法を受けられる方は「肩が痛いのに何で足に鍼をしているんだろう?」と不思議に思われるかもしれません。

これは、肩こりや腰痛に効くツボ(特効穴)が、足や手にある場合もありますが、伝統的な鍼灸療法の場合「なぜ肩や腰が痛くなったのか?」「なぜ頭や首が痛くなったのか?」という
根本的な原因を探り、その原因を改善する為に、体全体のツボを使って施術してきます。

2003年から2012年まで福岡市中央区白金で営業しておりましたが2012年3月から早良区野芥に移転し現在に至ります。



初めて来院される方へ

はりきゅうふくた では、予約優先で施術しておりますので、来院される前には必ず電話で予約を入れてください。

施術中の場合、電話を取りづらい事がありますので
6~7回コールしてみて下さい。

☎ 092-407-7746
福岡市早良区野芥6丁目1-4


営業時間
午前の部 8:30~13:00
午後の部 15:00~19:00
(休診:日曜日・月曜日・祝日)

福岡市 早良区 鍼灸院
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