ストーリーって必要ですか?…(^^;)

僕は美術館で絵を見る時、とりあえず展示場の中央から展示されている絵を見渡して、気になった絵を近くで見たり…、遠くから眺めて見たりした上で、絵の横に書いてある題名だとか、書かれた年代などを見る事にしてるんです。

そんでもって,ある程度、気になった絵をいくつか見たら、他の展示してある絵を見ていく…。

何となくですが…、美術館に絵を見に行くと、まず入り口に書いてある作者の半生や年表などを読み、その後、列をなして展示されている絵を順に見る。多くの人は…絵を見る前に題名を見てから絵を見てる…っていうのが定番というか、それが当たり前になってるようなんですが、…いつも僕は思うんですよ…。「あなた達…絵を見に来てるんじゃないの?…絵より、作者の人生というか半生や蘊蓄が絵より優先ですか?」…って。

ストーリーがあっての絵なんだろうか?…有名な人が書くから素敵な絵なんだろうか?無名な人が書いても素敵な絵は…素敵な絵なんじゃないかな?…って思うんですよぉ~。

まぁ~…素敵かどうかを判断するのは観客だと思うので、ある人にとっては心を打つ素敵な絵かもしれないし、またある人にとっては駄作に見えるかもしれないし…。

でも、画廊ならいざ知らず、美術館で見るような絵は、著名な画家の絵で…しかも歴史がある物ばかりなので、その歴史やストーリーも知りたいという気持ちも分からなくはないけど、なんのフィルターも通さず、今の自分が感じる「良い・悪い」の判断を、物語で邪魔されたくない。

…そう思うんです。

ストーリーより、その時の自分の感覚を大事にしたいんですよね~。若い頃に見た時は何とも思わなかったものが、歳を取るにつれて気になり始める…。その時は「悪い」と思っていても、後々、嗜好が変わり「良いね~」となる事も、当然ありますよね!

先日、北九州の美術館で見た横山大観も、絵を見終わった後に、読んだ説明書きによると…、横山大観の特徴って輪郭をハッキリ描かずに色の濃淡で表現しているって言うのは、なんとなく知ってたんですが、若い頃、その技法は、日本の画壇から全く相手にされず、30代後半くらいに世界各国への歴訪に同行した際、大観の絵が世界から称賛されたのを機に、彼の技法は日本でも認められるようになったそうなんです。

本当に…、日本っていう国は世界からの評価とか、良さを逆輸入で再確認しないと、目の前のモノの良さに気が付かない人種なんだなぁ~って思います…~(^^;)

出来れば、僕自身、逆輸入で外国からの評価が無いと、自国の良さに気が付かないような…、そんな判断しか出来ない人にはなりたくないなぁ~って思うんですよねぇ~。

そう言えば…、僕の知り合いで服を作ってる人がいるんです。

その人は以前、長い間、洋服のメーカーに勤めていて、パターンやデザインを自ら手がけていたんですが、独立を機に自分のブランドをいくつか立ち上げ、商品サンプルを数社のバイヤーに送ったそうなんです。

バイヤーの反応は「この服にはストーリーがないので、売り方が分からない…」という返事ばかりだったんですって!

商品自体は、どこに出しても恥ずかしくない,デザインや縫製もしっかりしているものなのに…「ストーリーが無い…」という一言で相手にされなかったそうなんです。

…そのストーリーって何?…って言う話しですが、アパレルでのストーリーって、所謂、デザイナーが10年間ニューヨークで活躍し…とか、素材に珍しい綿を使い…とか、アフリカの部族の人が書いた絵がプリントされている…とか、有名人の○○○も認める…とか、そういう物語が必要で、生地や素材の良さや、縫製の細かさや、デザインの良さなどは二の次なんだそうな…。

裏を返せば…、バイヤー自らが「私には商品の善し悪しの判断が出来ないんです」…って言っているのと同じで、”ストーリー”というパワーワードに頼らざる終えない…っていう感じなんじゃないかな?って思うんです。それって…、商品が粗悪でもストーリーがあれば流通される…という事なんですよねぇ~。

どうりでね!…最近、服屋さんに行っても、全く…興味をそそるというか、魅力的というか、「あ!コレ…欲しい!」って思う服に出会わないんですよねぇ~。素材とか着心地より、ストーリー重視の服が大量に流通しているから、服屋さんに行っても買いたくなるような服に出会わないんだろうなぁ~。

鍼灸も似たような側面も…あるには…あるか…。(^^;) 何代も続く家系というストーリーを売りにしていたり、流派というストーリーを看板に掲げたり…、治す・治さない…より、鍼を痛くなく刺す事を売りにしていたり…(^^;) 

「そんな肩書きやストーリーより、治す事が第一義なんじゃないの?」…って、僕は思うんですよねぇ~。

不安だからストーリーに左右されるという人間の心情は理解出来るけど、良い物と悪いモノの判断を、物語で曖昧にされてしまうのは、勘弁して欲しいなぁ~って思うんです。

料理ならば、ストーリーより…美味いか?不味いか?

服ならば、ストーリーより…着心地が良いか?着心地が悪いか?、似合うか?似合わないか?

鍼灸ならば、ストーリーより…治せるか?治せないか?

ストーリー…って基本は付属品というか、アクセサリーのようなもので、引き立て役のはずなんですよねぇ~。主役あってのストーリーのはずなのに、いつの間にか、その引き立て役に重きを置きすぎ、全ての事柄に、ストーリーがないと成立しないという図式を構築してしまったが為に、ストーリーが主役を凌駕してしまう存在になってしまっている。

それが、今の流通というか、世の中の流れになってしまっているように思えます。

裏を返せば…「ストーリーに騙されるヤツが悪い」…という言い方も成立しますねぇ~(^^;)

今の日本は景気が悪いので、安売りの店…、服ならユニクロ、家具ならニトリ、生活小物ならダイソーで、なんとかなる世の中になってしまいましたが、ユニクロが幅を効かせはじめて、日本のアパレル業界がおかしくなり、縫製技術が低下しましたし、ニトリが幅を効かせはじめたから、家具屋さんの廃業が目立ち、ダイソーが幅を効かせはじめてから、街の文具屋さんが壊滅状態になりました。

弱肉強食は世の常ですが、今の日本の景気の状態が、このままで良いわけないよな!…って思うんです。

少しでも今の状況を変えたいのであれば、まずはストーリーに頼る事をやめた方がいいんじゃないかな?日本の景気を良くしたいなら、良い物と悪いモノの判断ができる目というか、思考を持つべきだと思うんですよねぇ~。

そんなにストーリーって必要ですかねぇ?

そんなにストーリーが必要ならば語って聴かせてあげましょう!

…Once upon a time, there lived an old man and an old woman…(^^;)

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