すぐに取れる痛みと、すぐには取れない痛みについて…

ウチの治療院に初めて来られる患者さんで、時々…

「以前、鍼灸治療を受けた事があるんですけど、痛みが一発で取れたんですよぉ~!」

…と仰る方がいらっしゃいます。

この「一発で治った…」とか「一回で治った…」という言葉ですが…

いつも、こういう話を聞く度に、これは素直に、「鍼灸って、とても良い治療法ですね!」…と、患者さんが、鍼灸治療を信頼されている事で、発せられた言葉として受け取っていいのか?

…それとも、言葉の裏を読んで…「以前、行っていた鍼灸院の先生は一発で治す事が出来たけど、あなたは、この痛みを一発で取る事ができますか?」…って、僕の鍼灸の腕前を試しているのだろうか?…(^_^;)…と、勘ぐってしまいたくなる言葉でもあります。

まぁ~…僕の希望としては、前者であって欲しいんですけどね…。(^_^;)

こういう…「一発で…」という話をされた患者さんには、いつも、こんな話しするんです。

「痛みには、すぐに取れる痛みと、すぐには取れない痛みがあるんですよ」…って。

基本的に、鍼灸院に来られる患者さんは、どこかが痛くなって…来られるわけですが、痛みにも色々な種類があり、原因も様々です。

なので、患者さんに、分かりやすく説明したいので、例え話として、筋肉痛の話をします。

筋肉って伸びたり縮んだりするものですけど、ある動作をする時に、伸びるはずの筋肉が、何らかの原因で固くなってしまい、伸びなくなる事で痛みって起こるんですよねぇ~。

筋肉が固くなる原因としては、姿勢が悪かったり…、猫背だったり…、デスクワークで長時間座って仕事をしていたり…、スマホを長時間見続けたり…、まぁ~色々な事が原因で、伸びるはずの筋肉が固くなってしまうんですが…

こんな時は、鍼と灸を使って、固くなっている筋肉を緩めてやると、通常の動作が出来るようになり…

「あっ!痛くない!一発で治った!」

…となるわけです。

でも、筋肉が損傷を起こしている場合は、一発で…という訳にはいきません。

筋肉が損傷しているって事は、例えとして、外傷と言われる、切り傷や、擦り傷が筋肉の中で起こっているのと同じなので…

通常、外傷の切り傷は、止血して出血がとまり、傷が塞がって、痛みを感じなくなるまでには、ある程度の時間が必要な事は、皆さん御存知だと思います。

それと同じ事が、筋肉に中で起こっている場合は、傷が治るまでの時間が、どうしても必要になるから、治療に時間がかかります。

しかも、損傷の度合いにもよりますが、損傷部位が古傷になっていたり、過去に手術で何らかの処置をしないといけないような事があった場合は、完璧に元通りに戻るという事は、なかなか難しいですね…。

ただでさえ、歳を取ると体力も落ちますし、体の再生能力も低下しますしね…。

そこまで酷くなると、日常生活が出来る事を第一に考えて、損傷部位に負荷を与えないように、現状維持に最善を尽くすという事になるんですが、多くの患者さんは、以前のような元気な体を取り戻したいという気持ちを抑えられず、色々な治療を試される方も多いですね…。

何度も、このブログに書いてますけど、人の体って、ある程度の事だったら、自己治癒力で治す事が出来るんですよ!…それには細胞の再生など、時間を要するわけですが、ボーダーラインのようなものがあって、そのボーダーラインを越えなければ、体が持ち合わせている自己治癒力で回復できるんですけど、ボーダーラインを、ちょっとでも超えてしまうと、体の自己治癒力では、どうしようもなくなるので、手術や…、例えば、抗がん剤のような強い薬を使わなくてはいけなくなる。

できれば、ボーダーラインを越えない範疇で、治すように心がけたいものですよねぇ~。

鍼灸治療って、そのボーダーラインを超えないようにする、お手伝いをする治療でもあるんですよね!

「痛くなったから鍼灸治療を受ける…」というのもアリだと思うんですが、日頃からボーダーラインを超えないように、運動して、食事も体に良い食事を心がけて、よく噛み…、睡眠時間を確保して生活する。

…でも、歳を取ると体は老化していきますし、若くても疲れが蓄積すると、そこかしこが痛くなるものです。そんな時、日常生活に鍼灸治療という選択肢を取り入れて生活すれば、回復も早まり、良い歳の取り方が出来るはずなんですよねぇ~。

でも、今の時代は、医療の発展もあり、悪くなっても、薬や手術で何とかなると信じ切っている人が多いので、鍼灸など、時代遅れの代物だと思っている人も少なくないのが現実です。

まぁ~…鍼灸師の僕が言える事は、ボーダーラインを越えないようにすべきだという事に気が付いた人が、鍼灸を生活の一部に取り入れてくれたらいいと思うのと…、このブログを見た人が「生活改善をしてみようかな…」という気持ちになって欲しいな…という、淡い期待をもとに、ブログを書き続けてます。

でも…、そんなに多くの人の目に留まるブログでは無いので、期待薄…ですけどね…(^_^;)

軽いジレンマ…

鍼灸師になってからというもの…、この時期…軽いジレンマに襲われるんですよぉ~。

どういう事かって言うとね…

1月って、初詣で神社にお参りに行ったりしますよね…。

商売繁盛を祈願して十日恵比須神社に行って、福引を引いて「大当たり~!」とか「宝船~!」「福包み~!」と掛け声を掛けられ、福笹とか熊手とか、そろばんや干支の置物をもらうのが、福岡のお正月の始まりって感じなんですが…

鍼灸師になる前だったら、素直に「商売繁盛!」を祈願して、福引も引いてましたけど、鍼灸院が繁盛するって事は、病人が増えるって事だよねぇ~?…って考えると、少し二の足を踏んじゃうんですよねぇ~。まぁ~僕は…家内安全を願ってお参りはしますけどね…(^_^;)

「固い事言わずに…」とか「考えすぎじゃない?」って言われたりもしますが、どうしても『医は仁術』という言葉が、頭から離れないんですよねぇ~。『医は仁術』って言葉を捨ててしまうと「医業って何???」…って感じになってしまい、自分のやってる事に胸を張れないというか…、大事なものが自分の中から無くなっちゃうような気がするんですよ…。

なんとなくですが…

『医は仁術』という言葉を捨ててしまうと、患者さんが利益を生み出す商品のように見えてきたり、思えたりするんじゃないでしょうかねぇ~。…そうなると、呼称が「患者さん」ではなく「患者様」になっちゃったりするんじゃないかな?…(^_^;)

ただ…、鍼灸を生業としている限り、鍼灸治療を施し、対価としていただく代金で、生活をしているわけなので、ある程度の収入がないと生活が出来ないから、儲かるに越した事はないんでしょうが、やはり頭の片隅に『医は仁術』という言葉が門番のように立ちはだかっているんです。

まぁ~…どう考えても、鍼灸で財を成す事なんか到底無理なのは、火を見るより明らかですけどねぇ~…(^_^;) 人それぞれ、歳相応の人並な生活はしたいという願望は、誰しも持っているはずですし、やはり、考えを割り切れるか?…割り切れないか?…って事なのかなぁ~…とも思います。

まぁ~割り切った考え方で全てを解決しようとするならば…

僕が神社で商売繁盛を祈願しようが…、祈願しまいが…、人は老いていくものですし、この世の病気が無くなる事はないと思うので、それはそれで、割り切って考えた方がいいんじゃない?

…という考え方がベターなのかな…。

でも…僕は、割り切った考え方が出来ないので、毎年、この時期…軽いジレンマに襲われるんです。

「医は仁術なり…」っていう言葉は、「医は仁術なり、算術にあらず」という、医師は利益を追求せず、患者を救うことを第一義とするべきだという心構えを説いた言葉ですが、近頃は医が算術に傾いている話を時々、聴くんですよねぇ~。

やはり…病院といえども経営しなければいけない訳なので、働いている人達の給料や設備を整える為に、ある程度の利益を生み出さないと、病院も維持できなくなるのは重々承知してます…。

先日、僕の知り合いで、いくつかの病院を掛け持ちで働いているお医者さんと話していた時に「メインで勤めていた病院の院長が代替わりで、息子に変わって以降、必要ないと思われる検査をするように指示されたり、薬を必要以上に処方するように指示されるようになったので、もうあの病院を辞める…」って、話を聞いて、やっぱ…そういう病院もあるのねぇ~…って思いました。

一般人からすると、お医者さんって、絶対的な知識と技術を持っていて、勉強して頭がいい人が就く職業というイメージがあると思うので、お医者さんから「この検査をします…」とか「このお薬は必ず飲んでくださいね!」と言われたら、疑問に思わず従いますよねぇ~。

でも…、全てがそうでないとしても、世の中には「医は仁術」ではなく、利益を生み出すために動く、病院や、お医者さんも、実際には、いるという事を認識しておいた方がよさそうです。

これは、以前、ブログに書いたことがあるんですが、何年前くらいからでしょうか?15~20年くらい前からかな?整骨院に交通事故の旗が、たなびき始めたのは…。『交通事故』っていう旗が店頭でたなびいていたり、「交通事故に遭われた際はご相談ください!」的な広告が、ガラス窓に貼られていたりするのを見るたびに、「交通事故の大売り出しかよ!」って、呆れちゃっていたものですが、近頃は整形外科の玄関先にも『交通事故』の旗がたなびいていたりしますからねぇ~…(^_^;)

もう、「医は仁術」って言葉は過去のもので、「医は算術」となってしまってるのかもしれません。

そう言えば、先日のNHKの朝に放送されている『あさイチ』で医薬品依存の過剰摂取…、いわゆるオーバードーズについて特集を組んでましたねぇ~。

あの番組によると、処方薬のオーバードーズは30歳~50歳代の女性に多いんだそうです…。

確かに、ウチの鍼灸院の患者さんでも、これに該当する女性の患者さんがいて、問診とか、治療中の会話で、体調が悪くなってるのは薬の過剰摂取かなぁ~…と思われる人には「薬の量を減らすように、お医者さんに相談してみたら?」…と、やんわり伝えたりするんですが、薬に頼る事に慣れてしまっている人は、なかなか聞き入れてくれませんもんねぇ~。

「眠れないから…」という事で、敷居が低い睡眠薬から始まり…、薬の量が増えて…だんだん手元に薬が無いと安心できなくなり、色々な病院に通院する事で薬を入手する。…まぁ~これを防ぐために、お薬手帳を普及させているんでしょうが、オーバードーズになる人は、あの手この手を使って薬剤を入手するんでしょうねぇ~。

女性が多い理由としては、心身の異常を感じると、男性より女性の方が病院に行く傾向にあるらしいんですよ!…でもって、社会的な事も加わって、就職氷河期で学歴やキャリアが反映されない事と、子育ての辛さを乗り越える為に、薬で乗り切ろうとする事が、オーバードーズにつながるらしんですよぉ~。

あぁ~…あとね…

ドラッグ・ストアーで買える市販薬でもオーバードーズが増えているらしいんですよねぇ~。…まぁ~これはドラッグ・ストアーが乱立しているって事が原因でしょうねぇ~。

眠るため…とか、生理痛に薬剤を使う際は、用法用量を守れば薬として効果を得られる訳なんだけども、気分を紛らせたり、辛い気持ちを、やり過ごしたい時…、そんな時に、薬でやりすごそうとし始めると、オーバードーズになりやすくなるって事なんでしょうねぇ~。

生活パターンの改善より、生活パターンを変えずに、薬で手っ取り早く治したいという気持ちがある人は要注意でしょう…。

軽いジレンマに話を戻しますが、考えを割り切るか…、1月が過ぎ去るのをジッと待つか…(^_^;) 武士は食わねど高楊枝…と、背に腹は代えられぬ…の、せめぎあいは、永遠の課題でしょうねぇ~。

究極の医学について考えてみた…

ある時、ふと…「究極の医学って何かな?」という疑問が頭の中に浮かんできたんです。

そう言えば…、僕は子供の頃から、学校の授業中に、授業とは全く関係ない事が気になり、気になった事に関して色々な妄想をしたり、考えてみたりして授業中を過ごしていたので、確実にテストの点数は悪かったし、通信簿の評価が良かった事など一度もなかったと思います…(^_^;)

なので、何かについて疑問に感じたり、あの事について調べてみようかな…と、ふと思う事は、子供の頃から日常茶飯事だったわけで…

裏を返せば…子供のころから、今も昔も、なんら変わらない思考回路なのかもしれませんねぇ~…(^_^;)

話が脱線しましたが、「究極の医学って何だろう?」という疑問についてですけど…

近頃はスマホやPCで「…とは」と検索すればAI君が、ある程度の答えを出してくれるから、それを参考の一つとして考察してみるんですが、そもそも「医学って何?」って質問が出たらどう答えるかな?と思い、「…とわ検索」してみたところ、AI君によれば…

『医学とは、人体や病気の仕組みを科学的に研究し、病気の予防・診断・治療・回復を通じて、人々の健康維持と生活の質(QOL)向上を目指す学問…』

…なんだそうな。まぁ~…さもありなん。っていう、優等生的な感じの答えですね!…間違った事は何一つないって感じの答えだと思います。

じゃぁ~「究極の医学とは…」で検索したら、AI君は何いて答えるのかな?って思って検索してみたところ…

『「究極の医学」は一つの定義はなく、人間全体を看るホリスティック医学、生命の科学としてのアーユルヴェーダ、断食やヨガを取り入れた自然療法、チベット医学、宇宙医学など、多様なアプローチを指し、真の健康は心身の調和、予防、生活習慣全体から目指す考え方が主流です。特に現代医学が部分に偏りがちな反省から、全体性や精神性、根源的な生命力を重視する方向性が「究極」として注目されています。』

…という答えだったんです。

なんか、医学の前に究極という文字が入るだけで、「医学とは」という問いの答えとは、明らかに毛色が違う答えをAI君は導き出しているように思えるんですよね!

これを見ると、究極の医学は、今、現在、現代医学が代替医療という、現代医学と差別化をはかるために区分けしている分野のモノが、究極の医学だという事になるわけで…、

いわゆる、「エビデンスが無い…」「非科学的だ!」と、批判されがちな医学が究極な医学だという事なんですよね!

ここで、わざわざ調べなくても、皆さんは御存知だと思いますけど、『究極』を辞書で調べてみると『物事を押し詰めて行って、最後に達する所。とどのつまり。』と辞書には書いてありました。

いわゆる…最後にたどり着くモノ…。そう考えると、代替医療と呼ばれて、蔑まされがちな医療は究極なもので、コレ以上のものは、今のところ無いという事になりますよね…。

まぁ~…将来、どんな病気でも治る薬や、不老不死の薬が発明されたら、この図式は変わるかもしれませんが…(^_^;)

僕ら鍼灸師も、現代医学の人達からは代替医療という枠組みに入れられて、肩身の狭い思いをしてますが…(^_^;) 究極の医学の枠に入ってると思うと、悪い気はしないですねぇ~…(-。-)y-゜゜゜

あっ!…代替医療って何?って思ってる人がいるかも知れないので、またまた…AI君に解説してもらう事にしましょう。

AI君によると…

『代替医療とは、現代西洋医学(通常の医療)の「代わり」に用いられる、科学的に確立されていない、あるいは保険適用外の医学・健康法全般を指し、漢方、鍼灸、アロマテラピー、食事療法、ヨガ、免疫療法など多岐にわたり、QOL向上や西洋医学で対応しきれない部分を補完する目的で、近年注目されていますが、自己判断せず医師への相談が重要です。』

…という答えでした。

結局、今の現代医学のサポートという位置づけで、階級でいうと現代医学の下。サッカーでいうところの、現代医学が J1なら代替医療はJ2・J3…。いわゆるヒエラルキー構造を明確にさせる為にある言葉が『代替医療』という言葉に込められていると思うんですよねぇ~。

話は、少し変わって…

僕が思う『究極の医学』について書いてみようと思います。

一般的に医学って、お医者さんが診察して薬を処方したり、手術で悪くなった病巣を取り除いたりするのが医学だという認識だと思うんですよねぇ~。

じゃぁ~『究極の医学』って何かな?と考えた時に、薬を処方して病気を治したり、手術で病巣を取り除いて病気を治す事ではなく、いかに病気にならないように過ごせるようにする事が、究極の医学だと思うんですよね!

そう考えると、頭の中にある人物の名前が浮かぶんです。

2019年にアフガニスタンで亡くなられた中村 哲さん。

彼がやろうとしていた事って究極の医学だと思うんですよ…。この土地の人達が、いかに病気にならずに、健やかに過ごせるようにする為には、水の確保が必要だという事で、井戸を掘ったり、水路を作ったりされたわけでしょ!

これって、みんなが健康でいるため…、病気にならないための行為であり、究極の医学だと思うんですよ。

それを踏まえて…

じゃあ、僕らの生活で究極の医学を取り入れるには、どうすればいいのか?…と考えると、今の日本で水路や井戸を掘る必要はないし「水路を作れ!井戸を掘れ!」と言われても出来ませんよね…。

結局のところ、究極の医学って、とどのつまりが、水や食べ物、睡眠や運動に直結していると思うんです。今の日本の生活は便利な方を選び、手間がかかると億劫になり、楽して何かを行おうとする傾向にあるので、食事や睡眠や運動に関しても楽な方…楽な方…を選びがちになり、究極の医学からは縁遠い生活になり、病気が増えている。

これが、今の日本の現状だと思うんですよねぇ~。

もっと、僕らは、食べ物のチョイスや、生活パターンの改善…などなど、今以上に自分の体の事を考えて行動する事が、究極の医学の一役を担う事につながると思うんです。

正論だから…とて…

何が言いたいのかというと…

間違っている事を「それは間違ってますよぉ~」と相手に伝えるために、どう伝えればいいのか?

時々、悩んじゃうんですよねぇ~。

これって…、とても難しいなぁ~って思う事が多いんです。

まぁ~…、本音を言えば、本当に自分が言ってる事が正しいのか?どうなのか?…なんて、医学の世界でも20~30年前の常識が、今では非常識…って事もあったりしますからねぇ~、ホントのところは分からないんですけどね…(^_^;)

まっ…それはさておき…

正論だからといって、上から目線でガンガンと正論を言ったとしても…

聞く側の人の、心の持ちようで、時と場合によっては…「そんな事、分かってるんだよ!うるせぇ~なぁ~!」って思われたとしたら、意味なくなりますしねぇ~。

…かと言って…、やはり…、仕事上…、ちゃんと正しい事は伝えなければいけないしなぁ~……って感じる事が多いんですよねぇ~。

相手に、やる気を起こさせる。…というか、気が付いてもらう…というか…、丁度いい塩梅で相手に物事を伝えないといけないのだけれども…

治療者として体を治す事に関しては、「…こうしないとダメですよ!」…と、ついつい言い過ぎてしまった後で…「あぁ~…あの時は…言い過ぎたかなぁ~」…って思う事があるんですよぉ~…(^_^;)

御存知の通り…、僕らの仕事は、患者さんの訴える症状を、治す方向にもっていく事なんです…。

毎度、毎度の話になりますが、鍼灸治療って、鍼や灸が病気を治すわけではないんですよね!…もっと大きなくくりで話せば、医療って…手術や薬が体を治すのではなく、自己治癒力で体が治ろうとしているのを医療は手助けをしているだけなんですよね!

だから、体が衰えてしまうと、いくら高価な薬を使おうが…、神の手を持つ名医に手術してもらおうが…、何代も続く家柄の名人と言われる鍼灸師に鍼や灸をされようが…、体がダメになってしまうと、どうしようもなくなる訳で…

やはり、患者さん御自身が、自分の体を、どう把握しているか…?

体が発する声というか…警告に耳を傾けているのか?

…という事が重要なポイントなんですよねぇ~。

この考え方は、「薬さえ飲めば治る…」とか「手術でダメな所を取ってしまえば治る…」というような、思考の人は、全く受け入れられないとは思うんですが…(^_^;)

東洋医学的思考とでも言いますか、病気は体が治しているという事を理解されている人は、うなずいていただけるかなぁ~…。

腰痛や肩こりって、基本的に姿勢が原因なので「姿勢を正しましょう!」とか、「背筋を伸ばして…」とかを、治療しながら患者さんに伝えた方が良いと思うんですけど、患者さんからすれば「そんな事は分かってますよ!」っていうのが本音だと思うんですよねぇ~。

患者さん的には。基本的に「姿勢を直すとかは分かっているから…、早く、この痛みを取って欲しい!」っていうのが本音だと思うんです。

でもねぇ~

正論としては、「姿勢を直さないと…、これから先…、何度も肩こりや、腰痛に悩まされる事になるんですよぉ~~~~!」…って、口酸っぱくなるほど言いたいんだけども、それをやっちゃうと「うるせぇ~なぁ~!」ってなっちゃうから、やっちゃダメ!

じゃぁ~…どうするか?

答えは一つだと思うんです。それは…、少しでも患者さんの症状を軽くしてあげる事。

痛みは、すぐに取れるモノと、すぐには取れないモノがあるので、すぐ取れる痛みは、すぐに取ってあげて…。すぐに取れない痛みは、できる限り今の状態より、少しでもいから、症状を軽くしてあげる事で、少しづつでも、患者さんからの信頼を得れれば、患者さんも治療者の言葉に、聞く耳を持ってくれると思うんですよねぇ~。

まぁ~…要は…、同じ事でも、誰が言うか?…って事なんでしょう。

正論なんだけど、信頼を得ていない人が言うと、自然と「うるせぇ~なぁ~」…となり。信頼を得ている人が正論を言うと「あぁ~…なるほどね!」となる。

器質的な事が原因というか、筋肉の不具合が原因な場合は、痛めている症状や状態にもよりますが…、たしか…人の体って細胞が入れ替わるのに、胃や腸など早く細胞が分化する部位は1週間くらいで入れ替わりますし、皮膚は1か月くらい…。筋肉は6か月くらい…。だったと思うんですよね!…なので、自己治癒力で修復が可能な状態の場合、治るのに、それくらいの時間がかかるって事なんですよね!

体自身が、体の不具合を治すためにかかる時間を、少しでも早める為に、僕らが行う鍼灸などの医学的な治療は、自己治癒力をフル稼働できるように、体をサポートするんですよぉ~。

「えぇ~~~!そんなに時間がかかるのか!?(゜o゜)…そんなに待ってられないよぉ!」…っていう人は、薬で痛みを遮断して、いつも通りの生活パターンで生活をするので、体の自己治癒能力の効果を得る事なく、同じ事を繰り返して、症状が酷くなり、長期間使う鎮痛薬も効かなくなるので、色々な病院や治療院を彷徨う事になる。…いわゆる、負のループに陥っちゃうわけなんですよねぇ~。

できれば、それは避けて頂きたいんですけどね…。

早く治したいという気持ちも分からなくはないんですが、その人の性格も関係してきますし…(-_-;)

まぁ~…、器質的な原因だと、そんな感じなんですが…

精神的な事が原因で体調を崩している場合は、器質的原因とは違って、やはり少し時間がかかりますねぇ~。原因がストレスや精神的な事の場合は、細胞の分化とは別に…記憶とか…生活環境が関係している事が多いので、環境を変える事が出来たり、記憶を別な記憶で塗り替えるとか…忘れる…とか、そういう事って、時間がかかる事だと思うんですよねぇ~。

なので…、焦りは禁物になります。

人の体って、単純なようで複雑で…、複雑なようで単純だったりするものなので、ホントによく分からないんですけど、自分の体が発する警告に気が付くか?警告を無視するか?って、とても大事な事だと思うんですよねぇ~。

これまた、毎度、毎度…ブログに書いてますが…

体を治すって、どういう事なんだろう?…って考えた時に、人の体って、ある程度の事には耐えれるように出来ているんだけれど、人それぞれにボーダーラインがあって、ボーダーラインの範疇だと、自己治癒力で修復可能で、ボーダーラインを越えてしまうと、…いわゆる、薬だとか手術…など…現代医学のお世話にならないといけない、『病気』と言われる状態になってしまう。…ボーダーラインを越えて現代医学の治療で、ある程度の生活には戻れたとしても、色々な制約がかかったり、不定愁訴に悩まされたりする事が増えてきます。

誰でも、出来る限り、病気とか不定愁訴とは無縁でいたいものですが、生き物は老いていくものなので、自然と…、気が付けば足元に、病気と不定愁訴がゴロゴロ転がってるって感じになりがちなんだけども、、歳を取っても健康でいたい場合の三種の神器的な事と言えば、睡眠・食事・運動…これに尽きるんでしょうねぇ~。

とりとめのない事を、ダラダラと書きましたけど…

結局のところ…僕は、しゃべりたがり…なのかも知れません…(^_^;)

でも…、どうでもいいって思ってる人には、そんなに言わないけど…

ホントに、うちの治療院に来られた患者さんには、健康で過ごして欲しいから…伝えたくなっちゃうんでしょうねぇ~。

まぁ~…僕自身もボーダーラインを越えない程度で頑張って、健康でいるための三種の神器的である、睡眠・食事・運動を怠らず、いい歳の取り方をしたいなぁ~って思っています~♪

よく聞く質問…。ツボって何?…経絡って何?

治療中に患者さんから、よく聞く質問が…

「経絡って何ですか?」「ツボって何ですか?」

このブログでも、何度か、この話を書いたように記憶しているんですが、正直言って鍼灸師の僕にもよく分かりません…(^_^;)

この質問をされると、僕の頭の中で浮かぶ言葉があって…それが「理解」と「解明」っていう言葉なんですよねぇ~。

辞書で調べると、『理解』は「物事の本質や価値を論理的に把握する事」…。『解明』は「謎や不明な事柄を明らかにする事」…とあります。

患者さんからの「経絡って何?」「ツボって何?」っていう質問は、どちらかと言うと、解明的な答えを求めている質問なのかな?…って思うんですよねぇ~!

教科書的な答えなら…、「経絡は『気』の通り道ですよ!」…とか、「ツボは『気』が集まる所ですよ!」…とか、「経絡の異常を教えてくれる場所がツボですよ!」という感じで、その質問に対して、説明は出来るんですが、正直言うと、「僕自身も、よくわからない!」という答えが、本音です。

だいたい…『気』ってものに対しても、僕は理解はしているけど、見た事ないし…(^_^;) 

まぁ~…見えてる物が、全てではないと思っているので…『気』っていうものは、シックス・センス的な感じで、「予感がする…」とか「嫌な感じがする…」「いい感じがする…」っていう、おぼろげな感じが『気』の一種だとするならば、「あぁ~…これが『気』なのかぁ~」って言うくらいで…

手品のように…、患者さんの体に手をかざして、気を動かすとか… 

念動力のように、物に触れずに物体を動かす事など、凡人の僕には出来ませんしねぇ~…(^_^;)

手品なら仕掛けがあって、観客が分からないように、人を騙してビックリさす事は出来るんでしょうが…、『気』に関しては、何とも言い難い感じなんですよねぇ~。まぁ~…世の中には分からないモノや、理解不能な事は、数多ありますしねぇ~。

紀元前の頃の医学理論などが書かれている有名な書物として、『黄帝内経』という本があるんです。

これは紀元前200年くらい前に編纂された本なんですけど、黄帝という帝が、岐伯など数人の学者と問答をしているような感じで、書かれている書物なんですよねぇ~。

黄帝:「ねぇ~!ねぇ~!…コレってどういう事?」

岐伯:「あぁ~それはですねぇ~…コレコレこういう事で…」

…という感じ…(-_-)

当時は、今のような解剖学とか、生理学とかが確立されていない時代に、大勢の頭の良い人達が、色々と知恵や経験をもとに作り上げた、医学理論や鍼灸の医学知識を、まとめ上げて作られたものが、ツボとか経絡というものだと思うんですね!

そんな偉人・先人達が作り上げたものを、凡人の僕が解明できるわけがないって思うんです…(^_^;)

でも…、解明は出来ないんだけど…

僕ら鍼灸師は、それらを学んで理解しているので、ツボとか経絡の運用方法を知っている。

…そういう事なんでしょうねぇ~。

まぁ~…科学がいくら進歩しようが…世の中の出来事を、全てを解明できるとは思えないんですよねぇ~…(^_^;)

物事には、分からない事があって、当たり前だと思うし、時に「分かった!解明できたぞ!」と…その時は思ったとしても、後で勘違いだったりする事も多々ありますし…、その勘違いが、意外と解明のカギになったりする事もあるでしょうしねぇ~…

まぁ~…分からない事を解明しようとするのは、偉い学者さんに任せておいて、僕ら鍼灸師は、経絡やツボ…および、昔から伝わってきている古典医学理論の理解を深めて、運用方法の精度を高める事に、重きをおいた方が、鍼灸師として社会に貢献できると思うんですよねぇ~。

なので、「経絡って何?」「ツボって何?」…って質問されても、「よく分かりません!」っていう答えが正解のような気がします。

モチベーションを削る言葉…(^_^;)

モチベーションを削る言葉…、テンションが下げる言葉ってありますよねぇ~。

先日、あるレストランのSNSを見ていたら、スタッフの方が…

「お客さんは悪気はないんだけども…」という解説付きで…

『「行きたいお店に予約を入れようとしたんだけど、ことごとく断られてしまって…悲しかったけど、ココが開いていて助かりました。」っていう本音は、スタッフのモチベーションを削るので…(笑)、心にとどめておいていただけると大変ありがたいです…』…的な書き込みを読んで…

あぁ~…そういえば、鍼灸院でも、患者さんは悪気はないんだろうけど、患者さんからモチベーションを削る言葉を言われた事があるよなぁ~って思い出したんです…(^_^;)

ジャブ的な…軽い感じで、モチベーションを削る言葉としては…

「近所だから…来てみました…」

…という言葉…。

患者さん的には「近所なんですよ!」っていう事を伝えたいとか…、挨拶がてらというか、会話のきっかけとして「御近所さんだからよろしくね!」的な感じで…、な~んにも悪気はないとは思うんですが、僕の性格が捻くれているからか…(^_^;)…この言葉を聞くと「この患者さんは、別に、僕じゃなくても、近ければ…どこの治療院でもいいって事なのかなぁ~?」って思っちゃう時があるんですよねぇ~。

僕の心が穏やかな時は、そんな事は思わないんですけどね…(^_^;)

冷静に考えれば、僕自身が、ちょいと卑屈すぎるのかもしれないけど…(-。-)y-゜゜゜ この言葉を聞くと、軽~~~くですが、モチベーションを削られるような気がするんですよぉ~。

…で、

今までで、一番モチベーションを削られた言葉として、覚えているのが…

「昨日、病院で痛み止めの注射を打ったしね!」…です。

これは、腰痛だったか?肩が痛い?…という主訴で来られた患者さんだったと思うんですが…

同じような言葉を、初めて来院された患者さんからも、久しぶりに来られるような患者さんからも、…何人か…から…聞いた事がある言葉なんですよ!

その言葉は、こんな感じで発せられます。

「整骨院とかマッサージに通ってたけど痛みが取れず、昨日も病院で痛み止めの注射を打ってもらったけど、あまり変わらないんですよね!…鍼灸でなんとかなりませんか?」

…というような症状を訴える患者さんで、まぁ~僕なりに精一杯、できる限りの事をして、治療を終えて、ベッドから起き上がってもらい「どんな感じですか?」と尋ねたら…

「そうですね…、痛みが無くなったわけではないけど、だいぶ楽になりましたね!…まぁ~昨日、病院で痛み止めの注射を打ったしね!

…って言われた時、正直言って…膝裏を膝カックンされた気分になり、「あぁ~そうですか…」って苦笑いするしかない感じになったのを思い出しますねぇ~(^_^;)

僕の本音としては…、「まぁ~百歩譲って、そうかも知れんけど…。昨日、病院で打った痛み止めが、今になって効いたのかもしれんけど…、この状況で、鍼灸治療を受けて痛みが和らいだのなら、昨日、病院で打った痛み止めの注射の事は言わなくていいんじゃない?」

…って言葉が、その時は、喉元まで出そうになりましたもんねぇ~…(-_-;)

まぁ~…「昨日、病院で痛み止めの注射を打ったしね!」に限らず、悪気はないんだろうけど…、鍼灸院には来ているものの、この人は心のどこかで、鍼灸治療を認めてない人なんだろうなぁ~…って思うような言葉を、何人かの患者さんから言われた事があります。…まぁ~…23年、鍼灸院をやっていれば、そんな患者さんが3~4人いても不思議じゃないですけどね…。

確かに、こういう言葉を聞いちゃうと、モチベーションは削られちゃうから、鍼灸治療を認めてなくても、心にとどめておいていただけると大変ありがたいですねぇ~…(^_^;)

症状は二の次…

医療関係の人から「症状は二の次…」と聞いたら、どう思われますか?

9割くらいの人が「…ん?…どういう事?????」って思うかも知れませんね。

よく、このホームページでは、現代医学と東洋医学の思考の違いを、分かりやすく書いているつもりなんですが…

今回もそのパターンです…(^_^;)

例えば…、どこかが悪くなって病院に行く時は、何かの症状を訴えて…「ここが痛い…」とか「咳が出る…」とか「便が出ない…」とか、体調の変化に伴う、色々な症状を治して欲しくて、病院や治療院に行くと思うんです。

でも、その症状を取って欲しいのに、治療者側から「症状は二の次…」と言われたら、患者さんとしては「この人は何を言っているんだ?」「こいつは藪医者なのか?」と疑念を感じると思うんですよね…。

ここで患者さんに理解してほしいのが、これは「治療する側の人が、どういう思考で治療をしているのか?」…という考えの違いが明確に表れる分岐点のようなもので、多少のグラデーションはありますが、治療方法って、大きく分類すると、現代医学的思考と東洋医学的思考に分かれるんですよね!

これは医者とか鍼灸師とかの区別ではなく、どういう思考で治療を行っているのか?という分かれ道なんですよ!

現代医学的思考が強い治療者は、エビデンス(科学的根拠)を重視して、症状を取る事を優先すると思うんです。

簡単に言えば…「症状を取る事で、体は楽になるので、健康体に戻る」…という考えですね!

確かに症状を取れば、患者さんも喜ぶし、「あそこに行けば、あっという間に治してくる!」と噂にもなりwin winの関係が出来上がり、言う事なしなんですが…

薬剤に関して言えば…、裏を返せば…「症状がすぐに取れる=強い薬を使っている」という事でもあったりします。

でも…、症状が、すぐ取れる事は、健康体を維持するうえで、患者さんにとって、全てがプラスになるのかというと、そうでは無い場合も多々あるんですよね!

症状が取れると、患者さんは、また…すぐに…体や精神的に無理を強いる生活に戻ってしまう…。いわゆる、病気を発症した環境に戻ってしまいがちになる…という事です。

例え話としては…

「癌」…、御存じの通り、遺伝的や突発的なものは別として、癌は自分の細胞が暴走することで発症する病気ですよね!なので、食生活や生活パターンの乱れが大きな要因の一つと考えて間違いないと思うんです。

随分、癌治療も昔より進歩はしてますが、未だもって、日本での癌治療は、抗がん剤や放射線やホルモン療法といわれる、三種の神器的な治療法が癌治療の主な治療です。…その治療で…、体に負担をかける厳しい治療により、運よく癌の治療が成功したとしても、以前と同じような生活をしていたら、再発という事になりかねない事は、医療従事者ならずとも、身内に癌を患った事がある人がいる人もなら、容易に理解できる事だと思うんです。

ですから…、癌治療や大病の場合は、症状を取るよりも、体の根幹とでも言いますか、食生活や生活パターンの改善が重要になってくるんですよね!

でもって…

現代医学では、痛みを取ったり…、咳を止めたり…、排便を促したり…と、症状を止める事が、薬を使うことで容易に出来るという強みがあります。

なので、適量を与えるのであれば、毒も薬になるわけで…

「症状を取り、患者さんを楽にする事は悪い事ではないはずだ!」という理屈から、現代医学的思考で治療する人は、症状を取る事を第一義としているように見受けられます。

たぶん…、色々な患者さんを診ていて、話を聞いていると病院通いをしてる人は、色々な薬を大量に飲んでいる人が多いので、そんな風に感じるんですよねぇ~。

お医者さんだったら患者さんが訴える症状の数だけ薬を処方するでしょうし、鍼灸師でも「このツボは、この症状に効く」という感じで、症状とツボの穴性を照らし合わせて鍼や灸をする人達も、現代医学的思考が強いと思うんです。

それとは別に…

東洋医学的思考で治療する人は、体が治れば症状も治るはずだという考えで、体を治す事を第一義としますし、経験と感覚を重視するように思えます。

例えば、木の幹が体の本体で、葉っぱが症状だとします。紅葉の時期でもないのに、葉が黄色くなって、葉が落ちる原因は基本的に木の幹に原因があるので、落ちる葉を落ちないように維持するのではなく、落ちる葉は無視して、幹の状態を改善して、新たに若葉が芽吹きやすいようにする。

「咳が出る…」とか、「ここが痛い…」とか、「便が出ない…」とう症状は、体が健康になれば治る症状なので、その症状を取る事よりも、いかに体をいい状態に戻すか!?…という事を目標に治療します。

ここで重要なポイントとなるのは「症状に踊らされはいけない…」という事ですね。

臨床をしていていて、これは…よく感じます…。

患者さんは色んな症状を訴えるんですが、その一つ一つに対して治療をしていると、結果的に堂々巡りに、なりがちになっいてしまうんですよねぇ~。

なぜ、その症状が起こっているのか?…と原因を探って原因を突き止めて、それが治せるものなのか?どうなのか?を思考する。

なので…「症状は二の次…」という事になるわけなんですよね!

よく鍼灸業界で「本治」「標治」という言葉が飛び交いますが、これでいうと症状を取るのが「標治」で、体、本体を治すのが「本治」という事になります。

でも…、体の回復力が強い人は、症状を取る事で、重い荷物を降ろして体を軽くして身動きがとりやすくなるかの如く、症状を取る事で、一気に治る人もいるので、まんざら「本治」が良い治療で、「標治」がいい加減な治療という訳ではないんですよねぇ~。

ここで考えて欲しいのは、症状を取る事が体にとって良い事なのか?症状は二の次として、症状に耐えながら、体を労わる治療をするのが良い事なのか?…という事なんです。

喘息とか、アレルギー反応のような、緊急を要する場合は症状を取る事が最優先事項ですが、そうではない場合はどうしたらいいのか?

先ほど書いたように、回復力がある人なら症状を取る事で、早く健康体に戻れるわけなので、現代医学的思考も、まんざら悪い事では無い。…と思うんです。

患者さんの体の具合による…という事なんでしょうねぇ~ 。

あっ…あと、人間の体って、後戻りできるボーダーラインみたいなものがあって、そのボーダーラインの圏内であれば、どんな病気になったとしても自力で健康体に戻れると思うんです。でも…、警報が鳴っているにも関わらず、いつしか、そのボーダーラインを越えてしまった場合、癌とか大病を発症して、現代医学的な治療に頼らざる負えなくなる。東洋医学的思考は後戻りできるボーダーライン圏内で有効な治療法だと思うんですよね…。

それと…、医療者側だけではなく、患者さんも東洋医学的思考な人と、現代医学的思考の人に分かれると思うんですよねぇ~。

まぁ~基本的に、鍼灸院に来られる患者さんは東洋医学的な思考の人が多いんですが、時々、現代医学的思考の人が、あの病院に行っても、その整骨院に行っても、治らないから、しょうがなく…切腹覚悟で鍼灸院の敷居をくぐって来られる人もいらっしゃいます…(^_^;)

ちょっと前の話ですが…、うちの鍼灸院でも、以前、開業当時から数年通われていた患者さんが久しぶりに来られて…「御無沙汰してます…最近、家の近くの整骨院や病院に通っているんですが、思うように治らないので…鍼でも刺したら治るかな?…と思って…」っていう人がいたんですが、「針を刺せば治るかも…」という思考の人って現代医学的思考が強い患者さんなんですよねぇ~…(-_-;)

鍼灸師も東洋医学を勉強してはいますが、現代医学的思考の人も大勢いますし、お医者さんなどは、特に東洋医学的思考になるのは難しいかもしれません。

医者になるためには、現代医学の知識を頭に叩き込んで、医師免許を取得するわけですから、東洋医学的思考にチェンジするのは並大抵な事ではないと思うんですよねぇ~。

邪推ではありますが…、東洋医学的な思考で治療しているお医者さんは、現代医学の治療に限界を感じて、東洋医学的思考に、新たな道を求めた人のような気がします。

先日、ある漢方医が…「下剤で有名な大黄という生薬があるんだけど、あれは気を動かす薬なんだよ!石膏とか附子とかも気を動かす薬ではあるんだけども、漢方を勉強していない医者は、症状と薬の名前を覚えて、コレにはコレ!的な思考でしか処方しないし、そういう使い方しか知らないんだよね!附子とか大黄とか石膏を使って、気を動かすことで病気を治せるようになったら、漢方医としては一流だね!」

…って言ってました。

まず…現代医学のお医者さんにとっては「気を動かす?」…「気ってなに?」…っていう感じになるんだろうし…、現代医学的思考の人にとっては「気」って謎だろうなぁ~…って思いますねぇ~。

それと…、「症状を取る事を優先すると、患者さんの期待に応える事にもなるので、東洋医学的思考が体にとって、いくら優しいと分かっていても、病院を維持する為には、症状を取る事も必要になるわけだから、西洋医学的思考と東洋医学的思考の選択って、…難しい選択だよね!」

…とも言ってましたね!

まぁ~現代医学的思考と東洋医学的思考を上手に使いこなす事が一番いいわけなんですが…

日本人って、「臨機応変」って、とっても苦手な国民性ですし、すぐ…何かと何かを比較して「こちらが正しい!」と結論を出したがる国民性ですしね…

難しいとこでしょうねぇ~。

僕…個人の考えとしては、遠回りにのようには見えるけど、体に優しい治療は、東洋医学的思考の方が、身体を重要視しているように思えるんです。まぁ~…これは…、僕が鍼灸師で、東洋医学的思考よりの治療をしているからなのかも知れませんが…、やはり、医者であろうが、鍼灸師であろうが、現代医学的思考と東洋医学的思考を上手に使いこなす人が良い治療家だと思いますねぇ~。

そのうえで…、治療を今より充実したものにする為の下準備として、必要だと思う事が一つあるんです。

良い治療って、治療家と患者さんの思考がリンクする必要があると思うんですね!

難しい事ではあるんですが…、患者さん自身が、自分の体の状態を把握する必要性を感じるんですよぉ~。

自分の体は、症状を取ればすぐに回復できる体力を兼ね備えている状態なのか?それとも、地固め・基礎固めをするように治療しないと体調を崩してしまうような状態なのか?を認識する必要があると思うんですね!

そうじゃないと、治療家がプロの視点で「この患者さんは東洋医学的思考で治した方がいい…」と判断しても、患者さんが「私は体力には自信がありますから、症状だけ取ってくれれば、それでいいです。」というように言い張っていたとすると、もうその時点で、患者さんとの連携が取れず、治療が上手くいかなくなるのは目に見えてますよね!

ただ…長年、臨床をしていると…、患者さんって、体の疲れ具合や、老化度合いを認識してはいるんだけれど、気分的に「まだいける!」って感じで、気持ちだけは若さのモチベーションを維持している人が、体調を崩しがちだなって感じるんですよね…。

なので、治療する前に、まず患者さんに、自分の体の状態を認識してもらう事から始めないといけない事も多々あるんですよ。

まぁ~…その時点で、患者さんが納得するか?しないか?…で、治療が上手くいくか…上手くいかないか…が決まりますけどねぇ~。

『なぜ人だけが幸せになれないのか 小林武彦(著)を読んでみた…』

この本によると、「幸せ」は「死からの距離が保ててる状態」なのだそうな…。

人というか…生物は、いつか死ぬ運命にあると、誰でも理解しているけれど、若い人…、老いた人…、病気を患っている人…、健康な人…、人それぞれ死からの距離は違うわけで…、幸せの度合いは人それぞれだから、幸せの定義としては「幸せは死からの距離が保てている状態」という考えは、とても腑に落ちる感じがします。

ただ、この本に書いてあるように、最近は歩かず…動かず…PCやスマホですべて事たりる生活がメインになってきているので、自然と自ら死との距離を縮めているのも事実なんですよねぇ~。

「幸せ」というのは「死からの距離が保ててる状態」…と同時に、安心と平穏な気持ちを持続した状態をいうのだけれども…

人って、本来、何かと比べたり、すぐに飽きたり、他人を妬んだり、絶望したりする性質を持ち合わせているので、人は死の恐怖から逃げられないらしいんだそうな…。

…たしかに…。

でも…これを回避する方法が1つだけあって、何かに没頭したり、好きな事をすることで、自分を肯定して、死からの距離感を維持して、幸せを感じるのが、死の恐怖から解放される方法…との事。

…なるほどな…

…でもって…

…あと…、「豊かさと幸せは一致しない。」…という事も書いてありました。

太古の昔から比べると、現代は平均的寿命は延びてるんだけど、寿命が延びて肉体と精神が喜んでいるのかというと、そんな事はなくて、肉体と精神は、人が作り出している人工的な生活環境にもがいているのが現状なんですって!!

…確かに、近年、鬱病をはじめ、原因不明の病気も増えてますもんねぇ~…

この本によると、人間ってね…、新しいモノをありがたがるんだけど、ユーザーとしては、全く進歩していないそうなんです。テクノロジーを発明して、色々なモノを作り出すんだけど、使い方をよく知らない。

…耳が痛い話ですねぇ~。確かに、スマホの機能を100パーセント使いこなせている人って、何人いるんでしょうねぇ~???

技術的な進歩って、新しい価値観を生み出すんだけれど、技術が進歩すればするほど、ますます格差が生じてしまい、結果的に科学の進歩は格差の助長に働いてしまうらしいんですよ…。

まぁ~科学を進歩させるためには、ある程度の経済的な格差は容認されてもいいとは思うんだけど、一番やってはいけない事は、知識や技術を一部の人が独占して、権益が固定化される事。…って書いてありました。

…これって、今の日本社会というか、今の世の中、そのものじゃん!頭の中に、あの経営者や、この経営者。あの企業や、この企業の名前が浮かんできますね!

あと…、ドーパミンの事も分かりやすく色々と書いてありました。

ドーパミンは、快楽ホルモンと呼ばれて、気分を良くしてくれるので「幸せホルモン」とも呼ばれたりするんだけど、時と場合によっては、死との距離を縮めてしまう場合もあるんだそうな…。

…確かに…ドーパミン過多になると依存症になりやすくなるし、依存度が高くなれば、高くなるほど、健康とか幸せとかは、二の次になってしまいますもんねぇ~。

…ドーパミンの本来の仕事は、動物の本能…食欲や性欲をサポートする役割として使われるもので、〇〇依存症や〇〇中毒で働くための物質では、ありませんもんねぇ~。

…本の最後の方に書いてあったんですけど…

「幸せ」を「死からの距離が保ててる状態」と定義するならば、現代人は肉体的に寿命は延びても、死からの距離感が短くなっている社会だから、現代人は幸せとは縁遠い生活をしている。

…という事らしいんですね。

その理由としては、格差や生活様式や価値観の変化に対応できていない為に、自分達で作り出したものの使い方を知らない。…もしくは、使い方を間違っている事に気が付いていない。…と同時に、幸せになりにくくなった分、寿命を持て余すようになって、快楽を欲するようになったけど、快楽のみで幸せになる事はない。

…というような事が書いてありました。あぁ~これが本の『なぜ人だけが幸せになれないのか』というタイトルの答えなのね!

最近、自分自身…、年を取ってテクノロジーについてけなくなりつつある事を自覚し始めている昨今…、幸せを感じるには、ある程度の原点回帰な生活と、適切なテクノロジーの使い分け…(どっぷりテクノロジーにハマるのではなく…ね!)…を心がける事と、好きな事に没頭して幸せを感じることがポイントなんだろうなぁ~…って思いましたね!

ちょっと気になっている「哲学対話」…

ちょっと前に、podcastの『COTEN RADIO | 歴史を面白く学ぶコテンラジオ』を聴いていたら、「哲学対話」という事を話されていたんです。

「哲学」…と…「対話」…

はて?

学が薄い僕は「対話」という言葉は素直に受け入れる事が出来ますが、「哲学」というワードを聞くだけで、「あぁ~頭の良い人がやる学問ね!…」的な感じで、自然と遠ざけたくなるワードではあるんですよねぇ~…(^^;)

でも、話しを聞く限りでは、この「哲学対話」って、何となく「良いなぁ~」って思えるんですよぉ~。

ネットで「哲学対話とは」で検索してみると…

「発言をしなくてもよくて…、何を言ってもいいけど、知識で話す事はせず、体験をベースにして、否定的な態度は取らず…、対話的に、お互いの立場を理解する事で、自分の価値観を形成しつつ、他の人の価値観を尊重できるように心がけ、自由で心理的な安全性を確保するのが基本…」というような事が書いてありました。

COTEN RADIOを聞く限りでも…

ルール的には…

①否定しない

②知識ではなく経験で話す

③無理に話しをしなくても良い

…というのを基本として、一つのテーマについて話す。…っていう感じだったと思うんです。

知識で話さず、全て経験で話す事になるので、自分の言葉で話す事になり、お互いの意見がちゃんと出て、心理的な安全性が高まるというものらしいんですよね!

COTEN RADIOの人が言うには「これをやると、終わった後、メッチャ仲良くなる…」って言ってました。

…この話しを聞いた時に…、

会社の会議とか…

学会とか…

勉強会…

これらに、一番欠けている部分じゃないかな?…って思えたんですよね~。

学会とかは、知識の発表会のような場所だから、致し方ないのかも知れませんが、「最近、学会に行っても面白く無いなぁ~」って思う理由の一つが「自分の言葉」ではなく、知識自慢の場になってる事が…僕が学会から足が遠ざかっている理由のような気がします。

2010年頃くらいからでしょうか…「論破」という言葉が、カッコイイ…的な感じで世間で飛び交うようになり、子供までが「…それってあなたの感想ですよね?」…と言うようになったりして…(^^;)

「哲学対話」って「論破」とは真逆な事柄のように思える…と同時に、僕は過去…、人と話をする時に、自然と知識を中心に話しをしていなかっただろうか?…と、少し不安を感じ…

もう60歳にもなったんだから、「哲学対話」的な会話を心がけるようにしなきゃだな…って思うと同時に、ちょっとづつでも良いから、自分を変えていこうかなぁ~って思ってます。

一方を聞いて沙汰するな…

最近、大人になれば…なるほど、色々なトラブルや出来事に出来わす度に、よく頭に浮かぶ言葉があります。

「一方を聞いて沙汰するな」

何年前だったかな…、NHKの大河ドラマ『篤姫』で聞いた言葉なんですが、ず~っと頭に残ってる言葉なんですよねぇ~。

「あちらには、あちらの言い分があるのだから、それを聞かないうちに、軽々しく判断をするのはよくない…」…というシーンで使われていたセリフだったと記憶してます。

これだけネットが普及して、多くの情報が飛び交っている昨今、何が本当で?何が嘘なのか?…を見極める事すら難しくなっているのが実情で…、僕らが常に心がけておきたい事と言えば「情報を鵜呑みにしない事…」…なのかも知れません。

なぁ~んとなく…「右向け右!」って言われたら右を向く国民性というか…、今までは、号令に従いがちなのは日本人の性格か?…って思ってましたけど、今の世界情勢を見ていると、日本人に限らず、人間って、あるボーダーラインを超えるまでは「一方を聞いて沙汰するな」的な思考が機能していても、ボーダーラインを超えると指導者の「右向け右!」…もしくは「左向け左!」の号令に従うようになり、そうなると思考が停止したかの如く「コレは正しい!」「あれは間違ってる!」と、すぐ判断を下してしまいがちになる傾向にあるみたいですね。

最近の出来事をニュースなどで見てると、すぐに判断を下してしまうのは、今も昔も変わらず、人間の性なのかもしれないなぁ~…って思うようになりました。

イジメも、この図式で成り立っているように思えるんですねぇ~。

Aという人物がBという人物の悪口を皆に流布する事で、皆がAの意見を信じてBを無視し始めたり、嫌う事でBが集団の中で孤立し始める…。AがBの悪口を皆に言ってる時に、皆の心の片隅に「一方を聞いて沙汰するな」という思考が機能していれば、AがBを嫌っているというだけで、イジメは成立しないはずなんですよねぇ~。

人には色々なタイプがありますから、AがBを虐める理由も、Aは何かBから嫌な事をされたのかも知れないし、Bに対する、嫉みや嫉妬が原因なのかも知れません。

世界情勢からイジメに至るまで、人間には「気が合う…気が合わない…」って、大なり小なり…あると思うので、「自分には合わないな…」って感じたら、人とか、その事案には近づかない事が、ポイントになってくるんでしょうねぇ~…。

でも、近づかない事案が増えてくると、これまた…確実に孤立しますし…、全ての人や事案が、自分の思考に合わない訳ではないので、対策としては、そうなる前に環境を変える努力は必要になってくると思うんですね!

先日、見たTV番組で、ゲストの人が悩み相談のメールに対して言ってたんですが…「自分も、以前、世の中が全員、自分に背中を向けているって感じてる時があったんだけど、友人曰く、そんなふうに思う時は、…実は自分が世の中に背中を向けている時なんだよ…。世の中の人が全員、自分を拒否しているわけでは無いんだから、そういう時は自分が後を向いているだけなので、その時は、嫌かも知れないけど…頑張ってコッチを向きなさい…」って言われた事がある。…って話しをされてたんですが…

ホントに「そうだなぁ~」って思うんですよねぇ~。

それと…

人って、歴史を見ても、戦争はしてはいけない…って分かっていながら、戦争をやってしまうものなので、他人の思考を変えるのは難しいとは思うけど…、自分の思考は、如何様にも自分次第…、考え方次第で、どうとでも変えれると思うんですよねぇ~。

環境を変えるのも必要だけど、自分自身も変えてかないと…って思うんですよぉ~。

小さな事からコツコツと…ではあるのだけれど、ホントに…最近…「一方を聞いて沙汰するな」って思考は、常に持ち続けたいなぁ~って思う、今日この頃でございますよ♪