自分の型…(鍼や灸は怖いけど、あそこの鍼灸院だったら、行っていいかな…)

先日、相撲の九州場所、初日を観に行ったんです。

九州場所前にウチの治療院に、身体のメンテナンスに来てくれている、竜電さんは、初日は惜しくも、佐田の海さんに負けてしまいましたが、解説者の方が言われている、竜電さんの型…。下から当たって回しを取るという型は崩れてなかったので「よし!勝てる!」と思ったんですけどね…。佐田の海さんが、上手く左右に動いて寄り切られてしまいましたね…。

観ていて「負けちゃったかぁ~」とも思ったんですが、しっかり、竜電さんの型が取れてるって事は、調子が良いって事だと思うので、勝負は時の運って事で、この負けを次に活かして欲しいと思っていたら、翌日の取り組みは勝ちましたね♪…(^o^) 良かった!良かった!

※3日目の vs千代翔馬との取り組みは、治療中だったのでリアルタイムで観れませんでしたが、負けちゃいましたね…。でも、立ち会いは悪くなかったと思います。

先日、場所前に来られた時に、治療中の会話の中で「TVで相撲を観てると、竜電さんの型って、下から突き上げて相手の回しを取るって解説者が言ってましたが、対戦相手は全員、その事を知ってる訳ですよね!…、そうなると対戦相手は、どのような対策をとってくるんですか?」って尋ねてみたんです。

すると…「相手は、下からぶつかって来る事を知ってるから、捕まらないように、左右どちらかに変化するんだけれども、その動きについていけなければ、自分が前に転けちゃう事になるんです…」って言われてたんですよね!

「なるほどなぁ~…サッカーのPK合戦のゴールキーパーと同じで、蹴る相手が、どちらに蹴ってくるか迷う感じに似てますね!?」って僕が言ったら、「そうそう!」って言われてました。

サッカーのPKで言えば、蹴る側がゴールを決める確率は80%以上で、キーパーがボールを止める確率は…確か20%に満たなかったと思います。…いわゆるキーパーが断然不利なわけですよね!

PKの場合は、ボールの大きさと、ゴールの広さの関係から、守る範囲が広すぎるので、キーパーが断然不利になるわけですが…

それでも、PKに強いキーパーって、相手が蹴るギリギリまで相手を観察して、蹴る瞬間、軸足をどちらに向けるか?身体のどこに力が入っているか?身体の向きは?…などを見極めたうえで、推測してボールを止めるらしいんですよね!

竜電さんも、僕の「サッカーのPKみたいですね!」という言葉に「そうそう」と言われて、それ以上の事は言われませんでしたが、サッカーのPKに強いキーパー同様、取り組む前に、当然、相手の立ち位置や身体の向きなどを観察していると思うんです。

相撲の幕内力士って、トップアスリート同士の、ぶつかり合いなので、相手は、右から攻めようか…左から攻めようか…、はたまた変化しようか…、など、取り組み前に、そんな情報は表情や仕草にも出さず、心を読まれないようにしている事でしょう。

そうなると、大事なのは、自分の技の型を崩さず、相手を自分の得意領域に、どうやって引きずり込むか…。いわゆる「分かっているんだけど、何故か…そっちに行ってしまう…」的な、蟻地獄のような空間を生み出せれば、自分の型が活きてくるわけですよねぇ~。

自分の型を崩してでも、勝ちを取ろうとすると、その時は奇をてらって勝てたとしても、自分の型が崩れてしまうと、なかなか元に戻せず、次から何をしたら良いのか迷ってしまって、負のループに陥ってしまうような気がするんです。

これって、全ての事に当てはまる事だと思うんですよねぇ~。

鍼灸治療も同じだと思います。

鍼灸の場合は「型」というより、「考え方」ですね!

鍼灸にも色々な流派があるように、それぞれ流派の考案者が、病気をどう捉えて、どう治すかを、色々な考え方で思考し、年月をかけて、幾人もの人が練り上げてきたものが流派であって、その流派の考え方を学び、咀嚼して、各個人、個人が…、自分なりの考え方を作り上げる。これが現代の鍼灸の『型』だと思います。…何も教わった事を、後生大事に守り抜く…という事では無いと思うんですよねぇ~。

鍼灸治療で痛みを取ったりする事は出来ますが、痛みを取るだけが治療じゃないですもんねぇ~。患者さんが、また同じような痛みに悩ませられないように、患者さん自身に、自分の身体の状態を理解してもらい、食生活の改善や、生活改善してもらったりする事で病気は治るわけですから、そこまで含めてが治療だと思うんですよねぇ~。

ここで大事なのが、自分の治療の型なんですが、…普通に考えると、型を沢山持っていた方が良い!…って思うんですけど、型って、そう簡単に習得できるものではないんですよねぇ~。

コレは良いなぁ~と思っても、だいたい…技術や思考の構築って習得できるまでには時間がかかります。習得するには…早くて4~5年、一般的には10年は時間を要すると思うんですよね。習得できなければ、また新たに別なモノを見つけなければいけない…。

この…、思考や技術って、教わっただけでは、まだ付け焼き刃なんですよねぇ~!…学校や勉強会で教わった事は、それを再現できたとしても、所謂、モノマネの領域で、『自分の型』と呼べる代物ではない。「付け焼き刃は剥げやすい。」…って、昔の人はよく言ったものだと思います。

教わった技術や思考を自分の中に落とし込んで、その上で、試行錯誤しながら、鍼の使い方や、お灸のタイミング…、患者さんへの声かけのタイミングなどなど…、色んなパターンや、タイミングを会得して、初めて、人様に提供出来る『自分の型』が出来上がるわけなんですよねぇ~。

「鍼や灸は怖いけど、あそこの鍼灸院だったら、行っていいかな…」って、患者さんに思ってもらえるようになった時、認められた…というか、…初めて治療者として『自分の型』が出来上がっているって事になるのかも知れませんね。

『統合失調症がやってきた』と『相方は統合失調症』を読んでみた…♪

この本を読もうかな…って思ったキッカケは…、樋口直美さんの『誤作動する脳』『「できる」と「できない」の間の人』『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』を読んでいた時に、Amazonで、樋口さんの本をポチッ買いしていたら、Amazonのオススメに、松本ハウス 著『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』が出てきて、この本の存在を知ったんです。

樋口さんの本を読むキッカケも、義父がレビー小体型の認知症になったので「レビー小体型の認知症の人のリアルな記録を知っておく必要があるな…」と思い、読み始めたんですが、Amazonのオススメに出てきた『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』も、14~5年前だったか…、学生時代の友人から「ウチの子供が統合失調症になってさ…」…って話しを聞いた事があって…、当時は、もう僕は鍼灸師になっていたんですが…その時…「僕は統合失調症の事をどれだけ知っているのだろうか?」って思った事があったのを思い出したので、…この2冊は読まなければいけないな…って思ったのが読むキッカケなんです。

統合失調症って、以前は精神分裂病って呼ばれていたって事は知ってました。

確か…僕の記憶を遡れば…中学生の時に読んだ本で…、森村誠一さんの小説だったか…?…人間の証明だったかな?…何の本に書いてあったかは忘れましたけど、何かの小説に「精神分裂病」って言葉が載ってたんですよねぇ~。そこで初めて精神分裂病という病名があるんだぁ~…と認識したんだと思います。

僕が鍼灸の専門学校に通っていたのは2000年~2003年なんですが、専門学校では現代医学に関して、基本的な医学生の基礎知識程度は教わるんですけど、精神的な病気に関しては、教わった覚えはありませんでしたねぇ~。何かの情報で精神分裂病は不可逆的な病だという情報が、どこからともなく頭の中にインプットされていたように思います。

調べてみると、2002年までは精神分裂病という病名を使われていたようですが、精神が分裂してしまう病気という、偏見を助長する可能性があるし、症状としては病気と言うより、症候群的な、様々な症状が起こりうるという事で、名称が変更されたらしいんですよね…。

また以前と比べて、治療も進化して不可逆的ではなく、一般的に約1/3の患者さんが治療により回復して、正常あるいは、ほぼ正常の生活を送ると言われているそうです。ただ、全てが治るという訳ではなく、約20%くらいの患者さんに重度な障害が残るらしいので、決して楽観的に捉えられる病気ではないようです。

松本ハウスに関しては「そう言えば…『ボキャブラ天国』っていう番組に出てたよなぁ~。確か…片方の人が、坊主頭でピッチピチのシャツとパンツを履いていた、お笑いコンビ…。」という認識しか持ち合わせていなかったんですよ…。だから彼らの芸…は、多分、…昔にTVで見てはいるんだけど、坊主頭の人がテンション高めに騒いでいたっけ…というような記憶しかないんですよねぇ~。

今回、最初に『統合失調症がやってきた』を読んだんですが、凄くリアルに「あの時…こんな感じだった…」とか「こんなふうに思ってた…」という、子供の頃から、病気が発症するまでの過程や、色々な症状が細かく書かれていました。

この本の最後に、精神科医のお医者さんが『解説』を書かれていて、統合失調症の罹患率は約100人に1人だという事を知りました。それと…幻覚とか幻聴の事が書かれていて「僕は経験した事は無いんですが…」と、この精神科のお医者さんが書かれているのを読んだ時に…フッと我に返ったというか、僕の昔の記憶が頭に浮かんだんですよ!

公で言う事では無いかも知れませんが、もうすぐ60歳になりますし…42~3年前の話しですから、僕の経験談として少し書きますね…。

僕は高校生の時に1度だけ、幻聴を聴いた事があるんです。空耳とか、聞き間違えでは無いんですよねぇ~。あぁ~…そうそう!休日の晴れた日の昼間に、ベッドに横たわって、トランペッターのハーブ・アルパートの曲をラジカセで聴いてた時でした。あの時の事を思い返せば…、僕自身、精神的に結構、追い込まれていたと思うんです。

正直言って、僕は人とのコミュニケーションを上手に取れる人間ではないと思います。今は、ある程度、大人としての経験値が作用して、コミュニケーションを上手に取れるようになってますが、子供の頃…、特に思春期の頃は、人と、どう付き合っていいかが分からなかったんですよねぇ~。

そんでもって…僕は高校3年間、寮生活をしていたので、四六時中、誰かが周りにいる訳なんですよ…。家から学校に通う生活なら、学校から家に帰ってプライベートな時間を作れますし、引きこもろうと思えば引きこもれる訳なんですが、寮生活では引きこもろうにも、そんな空間もありませんしね…(^^;)

そんな生活をしている時…人間関係が上手くいかず、多分…、自分で自分を追い込んでいった感じで、ある出来事を期に、半年くらい、人と話しをしなくなった事があったんですよぉ~。その時、一度だけ、幻聴を聞いた事があるんです。とても怖い言葉だったので、覚えてるんですが…、正直言って、その瞬間「ヤバイ!」って思いましたねぇ~。たしか…それ以降、ハーブ・アルパートの曲を聴きたくなくなった…というか、聴けなくなったんですよぉ~。

それ以降は、一度も幻聴は聞いた事は無いし、その一年後くらいに高校を卒業して、大学に行ったりと…、生活環境も変わったりした事が幸いしたようにも思いますが、この本の解説に書かれていた「統合失調症の罹患率は約100人に1人」…だという事を考えると、僕も統合失調症になっていた可能性があるような気がするんですよねぇ~。

ただ、僕は運良く…というか、タイミング良く、環境を変える事ができた。…なんとなく、それだけの違いのような気がするんです。

今にして、幻聴を一度だけ聴いた事があるという、自分の薄っぺらな経験を加味して思うんですが、人って、精神的に追い込まれると、幻覚・幻聴を見たり聞いたりするものなんだろう!…って思うんですよねぇ~。

だから…統合失調症って、条件が揃えば、誰にでも起こりうる事のように思えます。

2冊目の『相方は統合失調症』は、加賀谷さんが、長い時間をかけて社会復帰できるようになり、松本ハウスとして、お笑いの世界に戻る過程と、相方のキック松本さんが、家庭を持ちながら、どのように統合失調症の相方と接して、お笑いを成立させているのかが書かれてました。

この本の中でも書かれていたと思うんですが、加賀谷さんが社会復帰できるようになって、松本ハウスを復活させる事になるんだけども、加賀谷さんの体調が不安定な時も多く、以前のような舞台ができないというジレンマが生まれて、色々と悩まれ、試行錯誤の末に「失敗を恐れず、ネタやセリフを忘れたら、忘れたでいい…。とりあえずやってみるか…」という境地で舞台に挑むようになったそうなんです。

その文章を読んだ時に、以前にもブログに書いたと思うんですが…

「病気が治る」という事に関して、皆さんが勘違いしている事があるよなぁ~…って思ったんです。

「治る」という事は「元に戻る」という事ではなく、「今の状態で一番、良いバランスを保つ」という事が、病気が治るという事なんですよねぇ~。

病気には種類や程度にもよりますが、病気になると何かしらダメージが身体に残るものなんだ…という事を忘れてはいけないと思うんです。

…だから、出来るだけ病気にならない方が良い。病気にならないような生活を、日頃から心がけて、日々を過ごさなければいけないんですねぇ~。

人と言わず…生き物は全て歳を取るものですし、生きていれば老化していきます。

病気とは、、バランスが崩れる事で起こる症状に名前を付けたものを「○○病」と呼び、すぐ治るモノもあれば、治るのに長期間かかるモノもあります。

単純に考えれば、バランスが崩れる事で病気になるわけですから、バランスを整えれば病気は治るわけですよね!

ただ、崩れたバランスが、すぐに調い…治るのが早ければ、元に戻るという感覚で「病気が治る=元に戻る」と定義づけできますが、大病で治療期間が長くかかったり、摘出せざるおえない場合…、また、摘出する事で、以前のような事ができなくなった場合は、行動や動きに制限がかかったり、老化などによる、体力や記憶力の低下で、以前出来てた事ができないって事にもなるわけです。

そうなると「以前は出来ていたのに…」「あぁ~不甲斐ない…」「自分はダメな人間だ…」とジレンマに陥りやすくなっている人も多いと思うんですが、そんな時に、頭の片隅に留め置いて欲しい思考としては…、「治る」という事は「元に戻る」という事ではなくて、「今の状態で一番良いバランスを保つ」という事が、病気が治るという事だという事なんですよねぇ~。

話しがチョット脱線しちゃったかな…(^^;)

この『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』の2冊は、統合失調症を患った当事者の気持も含め、周りの人がどう接していくべきか…が書かれていて、読んで良かったな!って思える本でした。

あぁ~…そうそう!この本に書かれていた言葉で「障害」ではなく「障がい」と書かれていた事に、凄く気配りと、心の温かさを感じたなぁ~。

患者さんが、よく口にするセリフ…

うちの治療院では、比較的、年配の患者さんが言われる事が多いかな…

「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?」

仕事三昧だった生活から一転し、定年でリタイアして、5~10年くらい経過した患者さんが、体調の不調を感じて病院に行くも、お医者さんからは「コレと言って異常はない…」と言われるんだけれど、やはり、体調は良くないので、お医者さんに「最近、眠りが浅い…」だとか「胃が痛い…」だとか、「頭痛がする…」「耳鳴りがする…」などの、諸症状を訴えると、お医者さんは患者さんが訴える症状の数の分だけ、お薬を処方してくれる訳なんです。

あまりに訴える症状が多いと、+アルファとして、抗うつ剤や精神安定剤も処方されたりするんですよね…。

で…患者さんが、真面目に処方されたお薬を飲んでいても、コレと言って身体に何の変化も無く、何かにすがるような気持で、鍼灸治療を受けに来られる人が、よく口にするセリフが…

「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?…何で僕だけが!…何で私だけが!」です。

かつて出来ていた事が出来なくなってきたという恐怖心や、今まで、健康で病気とは無縁の生活を送ってきた人が、体調不良を初めて体験し、ビックリ!…(゜_゜)

…単純に考えれば、そういう事なんですが…

若い人は「何もしてないのに…、何でこんなに体調が悪いんだろう?」…という体調不良は、あまり無いのでは?…と思ったりもしますが、実は、そうでもなかったりするんですよねぇ~。

最近、僕自身の体験というか、思う事がありまして「何もしてないのに…」という事に対して、ちょっと考えてみたんです。

人って寝て起きて…目が覚めれば15~17時間、覚醒して、アレやコレやを、こなすというか、何だかんだやるわけですよね!…仕事をしていなくても、寝ている時間以外は、人って何かやっているわけなんですよ!

確かに「仕事をしていると疲れる…」という図式は、誰でも理解出来る事で「理由と結果」みたいなものなんですが、人って仕事をしていなくても、起きて動いているわけですから程度は違えど「疲れる」わけなんですよね!

もちろん、疲れ具合には「程度」というもはあります。仕事をしている時は疲れ具合は大きいでしょうし、仕事をしてない時の方が疲れ具合は小さいでしょう。…でも、疲れている事には変わりないんですよね!

長時間のドライブで、一番疲れるのは運転手なんですが、助手席や後部座席に乗っている人も、ドライバーと同じ時間、車の振動を感じ、同じ距離を移動しているわけですから、疲労度合いは違えども、疲れている事には変わりない。

前にも、このブログに書いたと思うんですが、人って何にでも許容範囲ってあるんですよねぇ~。許容範囲内で物事が収まってくれれば、万事OKで問題無し!…なんです。仕事をしていようが、仕事をしていまいが、疲れるような事が許容範囲内ならば、コレと言って疲れによる体調不良は感じないはずなんです。

でも許容範囲が狭くなっている人の場合は、歳を取っていようが、若かろうが、疲れを感じやすかったり、体調不良を感じやすかったりするんだと思います。

「じゃぁ~…許容範囲が狭くなる理由は?」

…と問われると、僕の頭に浮かぶワードは「老化」と「脳疲労」かな…。

老化がすすめば、比較的考え方に柔軟性が無くなりがちではありますし、歳を取ると怒りっぽくなったり…、我慢が出来なくなったりしますよね!…これって許容範囲が狭くなってる事だと思うんですよ。

脳疲労の場合は、情報過多が原因だと思うんです。若い人はSNSやスマホで情報を洪水のように浴びる生活が、当たり前のようになってますし、意外と年配の人でも、体調不良の症状に関してYouTubeで情報をあさってみたり、ググってみたりと、情報過多になっている年配の人も多いと思います。

対処法としては…

脳疲労を解消する為には、情報を遮断するしかないでしょうねぇ~。

あと老化に関して言えば…、老化を止められない事は周知の事実ですが、仕事をしていようが、していまいが人間、生きていれば疲れるわけなんですよね!…ならば、どうせ疲れるんだったら、情報過多で疲れるより、身体を動かして疲れた方が睡眠も取りやすいでしょうし、食事も美味しく頂ける。

では…身体を、どう動かすか?…なんですけど、一番のオススメは、土いじりですねぇ~。

マインドフルネスって言うんでしたっけ?…これからの自分の事とか…、体調不良の不安に関する事とか…、未来に対する不安を思考するのではなく、ただ目の前の事に集中する…。集中する事で、自分の思考や、感情や、行動などについて、善し悪しの判断や評価をするのではなくて、第三者的な目線で、今の状態を把握する。

第三者的な目線で、自分の事を観れるようになれば「何をすべきか…」が明確になると思うんです。

アドバイスって、人から言われても、本人が気が付かない限り、何を言っても無駄だったりするものなんですよねぇ~。

このマインドフルネスという状態に持って行く行動として、土いじりって最適だと思うんです。家庭菜園でもいいし、雑草取りでもいいし、…僕の経験上、土いじりをしてると心が落ち着くんですよねぇ~。

じゃあ…土いじりが出来ない環境の人は、どうすればいいのか?

コレに関しては営業トークでも…何でも無く、僕は鍼灸治療をお勧めします。

鍼灸は筋肉を緩める効果もありますが、自律神経系でいうと、副交感神経を優位にする事に長けています。自律神経は交感神経と副交感神経に分類される訳なんですが、車に例えると交感神経はアクセルで、副交感神経はブレーキなんですよ!副交感神経を優位にするとリラックス効果を得られるわけなんですよねぇ~。

リラックス状態になるとマインドフルネスでいう、第三者的な目線で、今の自分の状態を把握する事が出来やすくなるんですよぉ~。

あとは…、患者さんが第三者的な目線で、今の自分の状態を把握し、何をすれば良いかという事に気がつけるか?…気がつけないか?…行動できるか?…行動できないか?…がポイントになると思います。

「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?」という感覚に陥った方で、病院に行っても、お医者さんからは「コレと言って異常はない…」と言われた場合、『土いじり』もしくは『鍼灸治療』を試されて下さい。

頭を柔軟にして『祈る…と医療について』考えてみた…♪

先に言っておくと…、僕自身は無宗教に近い感覚で生きてますが、神社の傍を通ると「お参りしておこうかな…」と、お賽銭をチャリンと入れて、お参りしますし…、お盆…もしくは、彼岸が近くなると「墓参りしないとなぁ~」って思います。また、どこからともなく賛美歌が聴こえてくると「綺麗なメロディーだなぁ~」って思いますしねぇ~。

学校の授業では教えてくれなかったから、大人になって「ユダヤ教や、キリスト教や、イスラム教の違いくらいは知っておかないとな。」…って思い、宗教に関する本を何冊か読んだ事はありますが、表面的な事しか理解してないと思います。

もし誰かに…「あなたの家の宗教は何ですか?」って尋ねられたら…「たしか…、お墓がある寺は禅宗だと思うけど、曹洞宗だったかな?臨済宗だったかな?」…っていうくらいの宗教観ですゎ!

前もって、なんでこんな事を書いたかというと、「祈る」っていう事について書くと「もしかして…この人は、何かの宗教にハマっている人なのかも…」なんて思われるかも知れないから、とりあえず「僕の立ち位置は、自己診断ではフラットな感じです。」…って言っておかないと、勘ぐられるかな?って思ったもので…(^^;)

今回、なぜ「祈り」について書こうと思ったのか…、というと「祈りと医療」に関して、ふと…思った事があったもので、ブログに書く事にしたんです。

まぁ~歴史的な事を知ってるか?知らないか?で、考え方も違うと思うんですが、簡単に言えば…、医療が日本に伝来して根付いたのは奈良時代だったかな…?

…それと共に?…いや…、もしくは、それ以前から、大陸から仏教と、ともに医学が伝来して来る以前から、祈って病気を治すという事は、そこかしこで行われていたわけなんですよねぇ~。

良く映画などで描かれてる、弘法大師・空海や、陰陽師の安倍晴明などは、祈る事で人の不安を取り除こうとしていたスパースター的な存在ですよねぇ~。

で…、祈るという行為が非科学的だという事で、祈る事を医療行為から排除したのが明治時代。

医療行為と言っても、奈良時代の頃から明治時代初期の頃までの医学は、今の医学とはかけ離れていて、手数というか…?手段というか?…治療の方法?も、今に比べて少なかったわけなんですね。

明治以降、現代医学の発展で、僕らは、今みたいな医療の恩恵を享受できているわけですが、「今の医療が当たり前!」「祈るだけで病気が治るわけ無いじゃん!」と思っているステレオタイプの人は、「祈る事と、医療を同等に考えるなんて、非科学的でナンセンスだ!」って思うんでしょうね。

でも…、そこで…

「病気って、どうして…病気になるんだろか?」って考えると、まぁ~色々と原因は思い浮かぶと思いますが、凄くシンプルに考えると、一般的な病気は「ストレス」「血行不良」が病気の始まりだと思うんです。

血行不良は運動不足を解消する事で解決できるとして、ストレスって色々な原因でストレスが溜まるものだし…、ストレスを解消する薬って現代医学をもってしても、未だ開発されてませんよね!病院に行っても、お医者さんからは「好きな事でもして、ストレス発散して下さいね!」…というようなアドバイスを受けるくらいでしょう~。

生きていれば、体調不良を感じたり、病気になったり、…もしくは大病を患ったりして「病気になって、神にもすがる思いで…」っていうシチュエーションは、誰しも望みはしないけど、現実的には多々ある事だと思うんです。

僕が思うに、別に…、すがるのは、神でも仏でも、何でも良いと思うんです。

祈る事で自分の不安を取り除く…。

その人にとって…、その患者さんにとって…、祈る事でストレスが少しでも軽減するのであれば、それは病気の予防や治療と、何ら変わりなく…、病気の原因であるストレスを、病院に行く事で軽減してくれないのであれば、祈る事でストレスを軽減しようとする行為って、とても大切で大事な行為だと思うんですよね。

ただ、御存知の通り、人の弱みにつけ込んで「信じる…祈る」という気持を嵩に掛け、金品をボッたくろうとする輩がいるのは、いつの世も変わりないわけで…、その点は要注意ですよね…(^^;)

やはり病気を治す場合…、治療も大事ですけど、患者さんの心って、とても重要な要因の一つではあるので、「祈る」って大事な事だと思うんですよね。

「あぁ~なるほど…」…と思った事。

近所のお寺の入り口に標語というか…『お寺の掲示板』的な、仏教の教えや、見る人が「だよねぇ~」と思う言葉が数ヶ月おきに張り出されているんですよぉ~。

先日、お寺の前を通りがかると「人の正義は誰かを傷つける」って書いてあったんですよねぇ~。

ほほぉ~…なるほどねぇ~…(゜_゜)

確かに…。今、世界中で起こっている紛争や戦争もさる事ながら…、身近で起こる、仕事上や友人同士のトラブル…、はたまた…御近所トラブルに至るまで…、トラブルの当事者達は「自分が正しい!」「正義は我にあり!」って思ってるはずなんですよねぇ~。

そう言えば…、映画監督の是枝さんも「正義というものは、悪意よりも人を傷つける事がある…」って何かのインタビューで言ってたっけな…。

僕も気をつけないとなぁ~…って思います。

話しは…少しだけ変わりますが…

先日、実家に帰省した時に感じた事なんですけど…

僕の実家の街には、ロータリーと呼ばれる6本の道がつながっている交差点が、昔からあるんです。その交差点には信号機は無く、必ずロータリーに入る時には一旦停止をして、左右確認した後、左側にしか曲がれません。右の道路に入りたい時は、ロータリを時計回りに周り、目的の道に入る。

確か、有名なロータリー交差点は、パリの凱旋門がロータリー状になっていたと思います。

このロータリーの交差点を上手く走るコツは、譲り合いなんですよねぇ~。ロータリーに入っている車が多い場合は、ドライバー同士の判断での譲り合いになります。

このロータリーを走る時に、いつも思うんですが…「譲り合っていれば事故なんて起こるはずはない…」って思うんですよねぇ~。

更に言えば…、車も法定速度を守って、イライラせず、スマホを見たりせず、急いでいたり…考え事をしながら運転したりしなかったら,事故が起こる確率って、凄く低いと思うんですよねぇ~。

先日、この事を友人に話したら「そんな事、言うけど、誰かにぶつけられたらどうするの?…もらい事故っていうのもあるだろ!?」って言われましたが、皆が譲り合う気持で運転していたら、もらい事故すら起こる確率は低くなるとは思うんです。

でも、確かに…理想と現実は違いますよねぇ…。

人って、いつ何どきも「自分は正しい!」「正義は我にあり!」と、心のどこかで思っているものですし、「誰も見てないから、これくらいは、いいかぁ~」…とも思っているでしょうしね…。

車に乗ればイライラしたり、スマホが気になったり…。自然と、自己中心的な行動を取ってしまいがちになる生き物だとは思いますが、「人の正義は誰かを傷つける」という言葉を、心の片隅のどこかで記憶しておけば、もしかしたら、いざという時に、間違った行動ではなく、正解の行動が取れるやもしれませんね…。

『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』を読んでみた。

樋口直美さんの本で、最初に読んだのは『誤作動する脳』で…、その後に読んだのは『「できる」と「できない」の間の人』でしたね…。

…で、ちょうど『「できる」と「できない」の間の人』を読み終えた時に、この『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』が文庫化された事を知り、先日、この本を読み終えたんです。

以前、ブログに『誤作動する脳』『「できる」と「できない」の間の人』の感想を書いて、はりきゅうふくたのHPの『最近読んだ本』に記載してますが、数年前に義父がレビー小体型の認知症と診断を受けた事が、樋口さんの本を読むキッカケなんです。それと昔からの友人が、最近、若年性の認知症らしい…という診断を受けたので「レビー小体」「認知症」「脳萎縮」という言葉をとても身近に感じていた事もあり、レビー小体型認知症の当事者が出筆されている本って、とても貴重な体験談ではあるし、鍼灸で、この症状が治る・治らない…という話しではなく、この症状の当事者が、どういう気持で、どんな状態なのかという事を、少しでも理解出来れば…と思い、読み始めたのが『誤作動する脳』という本なんです。

…で、その後、武田砂鉄さんのラジオを聴いていて、番組の『金曜開店 砂鉄堂書店』と言うコーナーで『「できる」と「できない」の間の人』が紹介されていて…「あっ!樋口直美さんの新刊が出るんだ!…買って読~も~お!」…と思い、本を購入し、読み終わったあと、感想をブログに書き、SNSにリンクを貼ってたら、樋口さん御本人から「丁寧なご紹介、ありがとうございます!」…と、ポストを頂き、『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』が文庫化された事を教えて頂いたので、今回、この本を読んだんですよぉ~。

樋口さんの本を読んだのは、この本で3冊目なんですが、読んでいて、気がづく事が多くありました。

書かれていた中で、「将来、どうなるか分からないのは健康な人も同じだ…」って書いてある事に,「確かになぁ~」…って思いましたね…。あらゆる病気は…、誰がなっても不思議ではないって事を、誰もが健康体の時は、あまり意識してないんですよねぇ~。

あと、目からウロコだったのが「心配や過度の気遣いは不要です。「元気?」「大丈夫?」ではなく、「どうしてる?」と、たまに連絡してもらえたらうれしいです。…「どうしてる?」と訊いてもらえたら、何と答えるか悩むことなく、自然に本当のことが話せます。」…っていうような事が書かれていて、これは病気になった当事者でしか分からない事だなと思いましたね!

…後日、数年前に大病した友人に、この事を話したら、「確かに!「元気?」とか「大丈夫?」って言われると、気を使われてる感が前面に出すぎて、訊かれて話す方も気を使ってしまうもんね!「どうしてる?」って訊かれると、普段の会話みたいな感じで話せるから「どうしてる?」の方が良いと思うよ!」って言ってました。

あと…、これは、以前、読んだ,樋口さんの本にも書いてあったと思うんですけど、認知症は医学的な病名ではなくて、認知機能の低下によって、日常生活や社会生活に支障をきたす状態を示す言葉なんだけど、現在では認知症を引き起こす様々な病名の総称として、十把一絡げで「認知症」という言葉が使われている為、本来なら認知症を起こす病気は何十種類もあり、多くのパターンがあって、記憶障害がないパターンの病気もあれば、そうではないパターンがある事を、一般の人は認識していない為、認知症というカテゴリーで一括りにしてしまいがちになり、多くの矛盾や誤解や偏見を生んでいる。…というような事が書かれていました。

認知症だけに限らず、色々な病気に於いて、病気を一括りで語ってはダメだ!…という事ですよね。…肝に銘じておかなければいけない事だな…と思った次第です。

あぁ~それと、コレも、以前、読んだ,樋口さんの本にも書かれていたと思うんですが、幻視・幻聴は本人には本当に見えてるし、聞こえているという事を,僕らは理解しておかないと、「本当に見えてるモノが見えるからビックリして反応しているし、言葉が聞こえるからビックリしているのに、認知症だから無い物をあると言って狂人扱いされる」…というような事が書かれていました。…確かになぁ~。この状況の当事者になったら、本当に孤独になるよなぁ~…。

あと…この本に書かれていた事で、樋口さん御自身が、ツボの本を読まれて、ツボ刺激をされてみたり、お灸を試されてみたり、漢方医に漢方薬を処方してもらって、それが効いたり…体調とともに効かなくなっていたり…、という事が書かれていたんですが、鍼灸師の僕が、このくだりを読んで「あぁ~なるほどな!」…と思ったんです。

これはどういう事かというと…

やはり…治療というものは、その時のバランスを整える事なんだな!って事を再認識したんです。

体調というものは、その都度、変化するものなんですよね!でも健康体であれば、体調の許容範囲の幅が、ある程度あり、その許容範囲から、はみ出ない限りは体調のバランスを整える必要はない。…いわゆる「治療を受ける必要はない」って事なんです。

病気になると、その許容範囲が、著しく狭くなるので、許容範囲からはみ出す事が多くなる。…だから、その都度、バランスを整えるための治療が必要なんだけれども、体調って、その都度、変化するものなので、数日前は効いても、今の状態は、以前効いていた薬が効かない…。もしくは以前、使ってたツボの刺激が効かない…。というのは当たり前の事なんでしょうね。

なので、その都度、変化している体調に合わせて、バランスを整えていく事が、本来、治療のあるべき姿だと思うんです。

『治療⇒治す⇒元に戻す』…という感覚で病気と対峙していると、どこかで必ず「今の技術では治る病気もあれば、治せない病気もある」という非情な現実を直視しなければいけない時もあると思うんです…。でも、いつ、いかなる時も希望は持っていたい。…そのために『治療⇒身体のバランスを整え、今、出来る限りの良い状態を保つ』…これって、とても重要な事だと思うんですよねぇ~。

現代医学の良いところは、日進月歩で進化し続けているって事だと思うんです。今,治せない病気でも、いつか治せる時が来るかも知れない。そのためには、今、その都度、変化している体調に合わせて、バランスを整えていく事って重要だと思うんですよね!

この本にも書かれていたんですけど、樋口さんの症状が悪くなり、今までの薬が効かなくなった時に、漢方医が「また…一からだな!」と、脈を取り、問診し直して処方した漢方薬は、その時に効いて楽になったと書かれていたように記憶してます。

この漢方医のお医者さんも、体調のバランスを整える事に、重きを置いていらっしゃったんでしょうねぇ。

僕は鍼灸師ですが、認知症やレビー小体…その他、色々な病気、全てが鍼灸で「治る」…とは思っていません。やはり…治る病気もあれば、治せない病気があるのは事実です。でも、どんな病気であれ、その都度、その人の身体のバランスを整えて、出来るだけ良い状態を維持する、お手伝いは出来ると思っています。

あとは、患者さんが、どのような状態なのかを、体験談や、こういう本を読む事で、少しでも理解出来たら…とも思います。

万能ではないんですけどね…、少しでも力になれれば…。とも思っています。

松・竹・梅…どれにしますか?

まず…今回、言いたい事は『病気にならない事が一番、大事だ!』という事を伝えたいんです。

例えば…

池から女神が現れ「あなたが落としたものは、金の斧ですか?銀の斧ですか?鉄の斧ですか?」…って童話がありましたよね!…あなただったら、何て答えますか?…(^^;)

斧としては、素材が金や銀だと、全く斧としては使えないけれども、物の価値としては、鉄より銀、銀より金ですよねぇ~。近頃は金が高騰していて、1gが13,000円って、先日「マツコの知らない世界」というTV番組で言ってましたねぇ~(^^;) 20年前は1g1,300円だったらしんですけどね…。凄え~なぁ~。20年前だったら、ちょっと頑張れば買えただろうに…。買っとけばよかったなぁ~…後悔先に立たずですね…(^^;)

金の価格高騰…という話しは別として、「金、銀、鉄…どれかプレゼントするよ!どれがいい?」…と言われたら、誰しもが「金を下さい!」って言うでしょうねぇ~。

松竹梅…っていうのもありますよね!

モノの値段に松:10,000円、竹:8,000円、梅:5,000円と、3つのコースがあったとすると、人って真ん中の「竹」を選ぶ傾向にあるみたいなんです。お金持ちだったら、何も考えず「松」を注文するんでしょうが…(^^;)、これって、人の心理で…、人間って一番高いものや一番安い物を避ける傾向にあるらしいんです。

これって「松竹梅の法則」って言って、一番高い値段のモノは贅沢に感じるし、もしも値段に見合わないモノだった時の事を考えて、後悔しないための回避行動…。一番値段が安いモノを選ぶと「貧乏に思われるから…」という見栄が関係しているそうなんです。

もしも…医療で「この治療には、松・竹・梅と3パターンのコースがございますが…どれにしますか?」って聞かれたら、どうするでしょうか?…経済的に余裕があれば、迷う事なく「松で、お願いします!」って言うでしょうねぇ~。

「高度な医療」と「普通の医療」…どちらを選びますか?…って聞かれると、気持としては、100%の人が「高度な医療」を受けたいと思うでしょう。

いつ…いかなる時も「高度な医療を受けたい」「名医の治療を受けた方が安心できる」「神の手と言われる先生の治療を受けたい」…と思う気持も分からなくはないけれども、裏を返せば、「高度な医療」「名医」「神の手」を必要とする病気や症状って、相当、身体が悪い状態になっているって事なんですよねぇ~。

高度な医療があるから…。名医がいるから…。神の手を持っている医者がいるから大丈夫!…ではなく、出来れば、名医や、神の手を持つ医者や、高度な医療と関わらない生活を送らなきゃいけないんですよねぇ~。

ただ、世の中には、生活習慣が原因で起こる病気とは別に、生まれ持って…とか、遺伝的な…とか、原因不明の病も多くあり、そういった病の患者さんは、選択の余地無く、高度な医療や名医や神の手が必要な場合もあるでしょう。

今、ここで書いている内容は、生活習慣が原因で起こる病に関しての提案ですので、御了承下さいね!

…「出来れば、名医や、神の手を持つ医者や、高度な医療と関わらない生活を送らなきゃいけない…」って事に対して…

「じゃあ…どうすればいいのか?」…って、よく聞かれますが…

やはり、大事な事は、若かろうが、歳を取っていようが…、年齢に関係なく、睡眠と食事と運動。この3つが大事なんですよねぇ~。

寝てる時に睡眠中の脳では、老廃物の掃除が行われていると言われていますし、近頃の認知症やら脳障害に関する病気の事を考えると、睡眠ってホントに重要ですよねぇ~。

食事も、よく噛んで、ゆっくり食べると腸が活性化して免疫も上がると言いますしね!食事を摂る事って行為は、身体を構成する細胞を維持する為の材料を、身体に取り込む行為ですよね!適当な食事…もしくは、あまり身体にはよくない食事を食べていると、身体を良い状態には保てなくなる事くらい、誰でも理解出来るはずです。。例えて言えば、ガソリン車にハイオクのガソリンを入れるのは燃費が良くなって良い事ですが、値段が安いから…と、ガソリン車に軽油を入れたら、エンジンが焼き付いちゃって壊れちゃいますよね!

それと…、現代人の体調不良って必ずと言っていいほど、血行不良が関わっていると思うんです。ストレスを感じるだけで、血の流れって悪くなりますし、疲れるだけでも血流は悪くなります。…そこで大事なのが運動なんですよねぇ~。動くと必ず血の流れは良くなります。

松竹梅でいう「松」。金の斧・銀の斧・鉄の斧でいう「金」。…所謂、高度な医療を受けたければ、受ければいいと思うんですが、同じ事を何度も言いますけど、高度な医療を受けなければいけない状態は,病が進んでいる状態です。…そうなる前にやるべき事は?

正直言って、高度な医療を受けなければいけない状態の病気になってしまうと,鍼灸や東洋医学では限界があります。

でも、そうなる前の、睡眠や食事や運動を見直す事で病気を回避出来る段階では、鍼灸や東洋医学は大いに役立つことが出来ます。

日本は国民皆保険で、ある程度の高度な医療でも高額医療費控除が利用でき、自己負担が少なく高度な医療を受けれるシステムになってますが、新薬などを使う場合や、より高度な医療を受ける場合、明らかに経済的な理由で「松・竹・梅…どれにしますか?」というような選択を迫られる瞬間に出くわすやも知れません…

医療を受けなければいけない時に「松・竹・梅…と、ございますが…どれになさいますか?」なんて言われるのは嫌でしょ!?…(^^;)

じゃぁ~どうするか?

「睡眠と食事と運動などの生活改善に取り組み、疲れを感じたら、鍼灸治療を受ける。」

体調に異変を感じたら…ではなく「疲れを感じたら!」…ですからね!「異変を感じる」って事は、病の前兆や、既に病が進行してる可能性が高いと考えていいと思います。

そうなる前に…

何事も「備えよ常に!」という考えで、健康と向き合うならば、…睡眠と食事と運動などの生活改善に取り組み、疲れを感じたら、鍼灸治療を受ける。…ですよ!

備えた…とて、とも思うけど、やれる事は備える事くらいしか出来ないから…

昨夜、83歳の母が、家族Lineに…

「昭和18年9月10日に鳥取の震災があったので、9月10日の今日、防災の日の訓練で携帯が凄い音で鳴り響きビックリした!!…最近は色々と災害が起きるけど、いざという時に、どうすればいいのかわからない!?」

…と、書いて送ってきたんです。

確かに…最近は台風の勢力が強く、ゲリラ豪雨や、突風…強風…竜巻…などなど…

地震に関しても、年明けの能登の地震や、先日の南海トラフに関連するのかも…という地震など…

最近は、どこで何が起こっても不思議では無い感じですもんねぇ~。

僕は昭和40年生まれなので、昭和18年の鳥取の地震は体験してませんが、以前,父から聞いた話しでは、父が学生の頃、本家は昭和18年の地震で倒壊し、昭和27年に起きた市街地を3分の2焼失した大火で全焼したから、写真などは一切残ってない…って言ってたっけな。

「自然災害は、どうあがいても、避けられるものでは無いよな…」とは思うのですが、誰しも、いざという時には「どうしたらいいか分からなくなる…」と思うんですね。

自然災害に対して、備えたとて、人間の力は微々たるモノだと思うんですが、心の準備は、してると…していないとでは、明らかに行動に差が出ると思うんです。

なので、母のLineに対しては「台風の時は…、地震の時は…、と、色々な災害を想定して、その時にどう動くかを書き留めておくと、いざって時に身体が動くと思うよ!」って返事を書いておきました。

そう言えば…

自然災害では無いけど、今日は9月11日。同時多発テロの日でしたね。

アメリカで9.11だから、日本では9月12日か…

あの日は、アクロス福岡で河合隼雄さんの講演を聴いてたっけな…

やっぱ…バランスなのね!

以前、今年の5月のブログに「「病気を治す」⇒「元に戻す」という考え方は、間違っていると思うようになった…」という事を『「病気を治す」について一歩踏み込んで考えてみた…』というタイトルのブログに書いたんですが、今回も、改めて…

病気は医療従事者が治すモノではなく、病気を治しているのは患者さん本人の身体であって、意識しなくても常に身体の中では、修復や修正を繰り返しているので、医療は、患者さんの…今の状態の身体のバランスを維持出来るようにサポートしている。…もしくは身体の中を整えている。

これが、通常の体調不良や病気を改善する際の、あるべき姿だと思うんです。

ただし…、現代では医療技術や医療器具が発達し、移植手術やら、IPS細胞で臓器を再生させたり、2~4mmの太さの血管内にカテーテルを入れ、ドリルで狭くなった血管内を削って冠状動脈の血流を改善できるようにしたりと…「病気は医者が治しているだ!…それに対して、なんの疑いを抱く事がある?」…って思うのも、ごもっとではあるんですが…、たしかに、病気があるレベルまで達し、身体の修正能力では対応出来なくなってしまった場合「医者が病気を治す」という図式は成立すると思います。でもね…このような手術や治療を受けなければいけないという事は,相当、身体の状態が悪く、選択の余地がないくらい、重い病気を患っているって事なんですよね!…本来、今、ある程度の健康状態を維持出来ているのなら、「医者が病気を治す」レベルの治療を受けるような、そんな状態になってはダメなんですよねぇ~。

よく…TVを見てると病気の保険のCMで「一時金として100万円が…」とか「充実の保証!」と、謳い文句が出た後に、安心するような笑顔の老人の顔が映って「それなら安心ね!」と,保険に入る事を促すCMを見ますが、病気になって充実の保証を受けるより、病気にならない事の方が大事なんだけどなぁ~って思うんですよねぇ~…(^^;)

話しが脱線しちゃいましたが、ココで書いている『通常の体調不良を改善する際の、あるべき姿…』とは、大病を患わないようにする段階の話しですので、御了承下さいね。

先日、YouTubeで『東洋医学が本当はすごい』という、先日、読み終わった『東洋医学はなぜ効くのか』という本の著者の1人、島根大学の教授、大野さんと、脳科学者の茂木さんと、もう1人、YouTubeのページの開設者の鼎談番組を見たんです。

その中で、大野さんが「漢方薬の生薬の成分は、既に分かっていて、この症状には、この成分が効いているという事も分かっているのだけれども、じゃぁ~その成分だけを抽出して飲ませればいいかというと、そではなく、その抽出した成分だけを飲ましても、効きが弱いという現象が起こるんです…」というような事を話されてました。

確かに漢方薬っていうのは、足り無いものを補う補剤の性質が強い薬もあれば、余っているモノを削ぎ落とすような瀉剤という性質の薬があったりします。

一番有名な漢方薬で言えば葛根湯…。

この葛根湯は、どちらかというと瀉剤の性質が強く、汗が出ない実証の患者さんに使われたりしますが、虚証の場合の風邪には桂枝湯が使われます。…桂枝湯はどちらかというと補剤なわけですよね!

でもね!…桂枝湯に麻黄と葛根が入ったものが葛根湯なんですよねぇ~。だから、葛根湯は瀉剤の性質が強いと言っても、ベースが桂枝湯なので、補剤も入ってるわけなんですよねぇ~。

漢方薬って、瀉剤の中にも補剤が入っているし、補剤の中にも瀉剤が入っているものが多いんですよねぇ~。

先日、読んだ『東洋医学はなぜ効くのか』という本には、漢方薬は腸内細菌のエサになっていて、身体が、その時に必要としているものを取り込んでいる。…というような事が書かれていました。

どうしても、現代人は「効く」という事だけが重要で、「余計な事や、不要なモノは必要ない…」と考えがちですが、意外と、その不要なモノや、余計な事が重要だったりするんですよねぇ~。

鍼灸にも『平補平瀉』という考えがあり、まずは余計なモノを取って、その後に補いバランスを取り、整えるという鍼灸の技術があるんです。患者さんにしてみたら「なんで…そこに鍼や灸してるの?痛いのは肩なのに…」と思われる事があるかも知れませんが、これもバランスを取るための大事な手法なんですよねぇ~。

近年は便利なモノばかりを求め、利便性を追求しがちですが、案外、利便性を求めるが故に、排除された事柄が、意外と重要だったりして、知らず知らずの間に、得るはずだったモノを逃してしまう事が多いのかも知れません。

近頃は「AIが仕事を奪う…」とか、「AIの技術が向上して、人間がダメになる…」という話しを、よく聞きますが、よくよく考えてみれば、そのAIを作っているのは人間だし。人間がやっていた仕事をAIにやらせているのも、人間なわけで…、一番怖いのは人間だと思うんですよねぇ~。

自分でAIを作っておいて、AIが人間をダメにする…って、AIをスケープゴートに仕立てている感じが否めないですねぇ~…(^^;) 

またまた…話しが脱線しちゃいましたね…。(^^;)

「医療は、患者さんの…今の状態の身体のバランスを維持出来るようにサポートしている。」…っていう話しですが…

若い20歳代の人と、70歳代の老人とでは、同じ体力であるはずが無いわけですよね!

世代…世代で、違うステージを歩んでいるわけなんです。

「病気を治す」⇒「元に戻す」という考え方は、なぜか年齢の事は考慮せず「病気ではない身体を取り戻す」⇒「元気だった頃に戻る」という理屈を構築して、元に戻らない身体と、元気で若かった頃の自分を照らし合わせ、ジレンマに陥る傾向にあると思うんです。

病気になると言う事は、何かしらの機能が低下してしまうって事なんですね!

歳を取った人が若返れないのと同じで、低下してしまった機能は、元には戻らない。もし、かろうじてその機能が使えたとしても、100%のパフォーマンスを発揮できないものなんです。

なので…「病気を治す」という事は「バランスを整える」と言う事だと思うんです。バランスを取り、100%ではないんだけれども、今、出来る限り可能なパフォーマンスを発揮できるように身体を整える事が、人を治療するという事だと思うんですよね!

「忌む」…という言葉。

そんなに…頻繁では無いんですが…、4~5年に1回ほどのスパンで、患者さんと話しをしている時に「忌む」という言葉が頭に浮かぶ事があります。

忌野清志郎さんの「忌」…。忌引きの「忌」…。辞書によると「不吉(ふきつ)な事や、穢れた事として、嫌って避ける。」とあります。

漢字だけを見ると「忌」って「己」の「心」と書いて、…「忌」。

己の心が、そんなに不吉なのか?避けなければいけない、穢れたものなのか?…って思っちゃいますが…「忌」って「恐れる」の変形と考えてイイようで、「己」は「忌」の意味には関与しないんだそうな…。

さて、話しを元に戻して…

患者さんと話しをしている時に「忌む」という言葉が頭に浮かぶ…という件ですが、「時々、この患者さん…、病気を不吉な事や、穢れとして捉えてるなぁ~」って感じる患者さんに出会う事があるんです。

まぁ~確かに「健康でいたいですか?…それとも、病気になりたいですか?」と問われると、誰しも100%「健康でいたい」と答えるでしょう。

そんでもって…、不吉な事を言葉にすると、それが現実になると言うような、言霊信仰が日本にはあるので「病気=穢れ」と捉え、「言葉にするのもおぞましい…」と思っている人がいても不思議はないですね。それと、病気には伝染する病気もあるので、穢れや不吉な事が伝染する。…だから、恐れる。…忌み嫌う。…という考えが、その人の中で構築されているんでしょう。

まぁ~信じる…信じない…は個人の自由ですし、病気を不吉とか穢れと捉えるのも個人の自由でしょう。

でもね…

病気になる原因を知ろうとしない…というか、原因に目を向けないで、病気を事象と捉え、穢れや不吉な事として遠ざけていては、治るモノも治らない…と思うんですよね。

病気には遺伝的な病気もあれば、生活習慣などが原因のモノもあり、病気が遺伝する確率は50%といわれています。

なので、病気を忌み嫌う前に、修正出来る生活習慣を、もう一度見直す必要性を感じる事があるんですよねぇ~。

それと…

病気を忌むモノと捉えている人の特徴として、病気を忌むと同時に、病気になっている人も忌む傾向にあるような気がするんです。

伝染しない病気ですら、穢れと捉えて、病気になっている人を穢れた人として遠ざける…。もしくは関わらないようにする。病気を穢れと捉え忌む人の中には、そんな人もいたりします。…そこまでいっちゃってる人は、正直言って、「もう…どうしようもないなぁ~」って思っちゃいますが…

もう亡くなっちゃいましたが、以前、鍼灸の勉強会を主宰されていた先生が、「病は気づき…」という事を、よく話されていました。病気になる事は嫌な事ではあるのだけれども、病気になる事で、健康のありがたさを感じたり、今まで無理な生活をしていた事に気づいたり…、もしくは、命の尊さや、命のありがたさに気づいたり…。

…そう考えると、病気というモノは、忌むモノではない…と思えるんですよねぇ~。

あぁ~そう言えば、漫画『ONE PIECE』に出てくる、世界を支配する真の最高権力者の名前は「イム様」でしたね!…この「イム様」って「忌む」って言葉と掛けてたりするのかな?…(^^;)