技術に拘りを持つのは、良い事だと思うのだけれども…

先日、鍼灸仲間からの年賀状に「ちょっと学会から距離をおこうかと思います…」というメッセージが書かれていたんです。

僕は学会というモノと関わりを持たなくなって、随分と時間が経ちますが…

人って、個人個人で話す分には、何も問題無くコミュニケーションを取れていても、集団になると、なんか…ギクシャクする事が多くなるものですよねぇ~。

こんな僕が言うのも何ですが…、

「学会や流派に固執して…、何の徳があるんだろうか?」って思うんですよねぇ~。

技術に拘りを持つのは良い事だと思うんです。

拘りを持つのなら、集団や流派ではなく、人を治療して治す事に拘った方が、治療家冥利につきるんじゃないでしょうかねぇ~。

まぁ~…「拘る事」と「固執する」の違いで、随分、心が解放されたり、また反対に肩身の狭さを感じたりするんじゃないでしょうか…。

僕は、金子みすゞさん じゃないですけど…「みんな違って、みんないい。」…これで良いと思うんですよねぇ~。

なんとなくですが…、学会とか流派って、全てがそうだとは言いませんが…、自分達のやり方の正当性を主張する感じが強くて、自分達と違うモノは認めない…的な側面を持ち合わせているようにも思えるんです…

面と向かって相手を否定する事は無いのかもしれないけれど、…話しを聞いてると…、話しの言葉尻で、やんわりと相手を攻撃する…、みたいなね…(^^;) 僕は、過去…そういう場面に出くわす事が多かったので、なんとなく学会や流派から足が遠のいていったんですよねぇ~。

技術に拘りを持っている人達の集団が流派なのかも知れないし、学会は皆が意見を出し合い、切磋琢磨する場所なのかも知れないけれども、集団になると色々な人が集まるわけですから、一癖も二癖ある鍼灸師をまとめるには、相当、癖の強い人がリーダーシップを取らないと、集団としてまとまらないんでしょうねぇ~…(^^;)

…癖の強い人がリーダーシップを取り始めると、自然と集団のリーダーがカリスマ化されていき、周りに集まった人達が、リーダーを持ち上げる比較対象として、他流派…他学会を批判し始める。

…そんでもって…時代が変わるごとに、その集団のリーダーの世襲化が始まり、親から子へ…子から孫へとリーダーが変わり…、集団が形成されていく…

…どこぞの政治家や宗教家と同じような流れが形成されるわけですよねぇ~…(^^;)

鍼灸の世界に限らず、宗教だったり…、会社だったり…、国だったり…、集団を束ねる時って、共通の敵を作って、団結を促す手法がとられたりしますが、これって…その集団にとっては、既に崩壊の予兆とも言われますよねぇ~。

でも…、以前、京セラの稲盛さんがTV番組で…「人の意見ばかり聞いていたら、物事は先には進まない…」というような事を言われてましたが…、確かに、今の日本の首相である石破さんをみてると、人の意見ばかり聞いているような気がしますしね…。もっと我を通せばいいのにって思います。

まぁ~…人の意見を聞く事と、我を通す…っていうバランス感覚が無い人はトップに立つべきでは無いと思うし…、集団を維持したり、集団を束ねるのは、本当に難しい事だと思います。

…あっ!…話しが脱線してしまいましたね。…(^^;)

僕が思うに…、技術を習得したくて、流派や学会で基礎と手技を学んだ後は、個人で技術を磨いていけばいいと思うんです。…所謂、修破離…ですわぁ~(^^;)

僕の考えとしては…、弟子とか師匠とか、先輩とか後輩とか、年齢差関係なく、鍼灸を志している仲間というくくりで、杯でも交わしながら「こんなやり方があるんだよ!」「へぇ~~~そうなんですねぇ!それ面白いですね!そのやり方…教えて下さいよ!」…ってな感じで、意見交換を気軽に出来るような人間関係を築いていれば、学会や流派に所属しなくても、鍼灸師として良い治療家人生が送れると思うんです。

…まぁ~人って、先輩面…師匠面したくなり、マウントを取りたがる人も多いから、この考え方は、現実には無理があるのかもしれないし…、ただの理想なのかも知れないですけどね…(^^;)

仲間意識が仲間はずれを作り出す」っていう言葉も、どこかで聞いた事があるけど、○○学会とか○○流という流派は、ある程度、仲間意識の絆のようなモノも求められたりしますよねぇ~。

その集団に所属して、異を唱えるというか…、違う事を言いだすと、仲間はずれにされるか、相手にされなくなり、…その集団での居場所がなくなる。

こういう事って集団では、よく起こる事だとは思うんですが、決して褒められた事では無いと思うんですよねぇ~。

ただ…、ムッシュかまやつさんも…『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』という曲で

♪君はたとえそれがすごく小さな事でも、何かにこったり狂ったりした事があるかい…♪ たとえばそれがミック・ジャガーでも、アンティークの時計でも、どこかの安い バーボンのウィスキーでも…♪
そうさ、何かにこらなくてはダメだ…♪ 狂ったように、こればこるほど、君は一人の人間として、幸せな道を歩いているだろう…♪

…って歌ってます。

僕は、この歌詞が好きで、時々、ギターを持って口ずさんだりするんですが…、人生を生きていく上で、拘りは必要だと思うんです。

でも…『拘り』が、いつしか『固執』に変化し始めるとヤバイですよねぇ~。自分の考えを押し通したり、他人の意見に耳を貸さず、自分の意見を主張して譲ろうとしなくなったりすると、歴史上の人物を振り返ってみても、拘りが固執に変わると結果的に、ろくな事はないですよねぇ~。

…なんて事を、鍼灸仲間の年賀状を見ながら思った次第です。

年賀状…♪

近頃では、年賀状終いをする人が増えて、今年、届いた賀状にも「今年を最後にします」…とか、「来年からは年賀状を辞退します」と書いてあったりします。

この数年、確かに届く賀状の数も急激に減ってますし、メールやSNSが主流になっている昨今、年賀状や暑中見舞いは、時代の流れにそぐわなくなっているのかも知れませんねぇ~。

私事ですが、ここ十数年前から、4年に一度の間隔で、届いた年賀状のみに返事を書く…。というような感じで年賀状を出しておりました。今年が、その4年に一度の年だったので、今年のお正月は、届いた年賀状に返事を書いたんですが、今後は届いた賀状だけに返事を書くという感じにシフトチェンジしていこうかなと思っています。

年賀状終いをする人の気持も、よく分かりますし…、かと言って、年賀状が届いて、その年賀状に書いてある近況を読み、賀状を出してくれた人の事を考えながら返信を送る。…そんなやり取りも悪くないなぁ~って思うんですよねぇ~。

相手の事を想いながら、手紙やハガキを書く時間って、とても素敵な時間だと思うんです。

でも、いつしか年賀状って、バレンタインデーの義理チョコのような感じで、とりあえず出す…的な義務的なモノになってしまったし、元日に到着するように出さないとダメだ!失礼にあたる…的な…、年末の忙しい時に急かされる感じの、厄介者に変化していったのも『年賀状終い』の原因だと思うんですよねぇ~。

そう考えると…、郵便の値上がりって言うのも『年賀状終い』に拍車をかけた要因の一つなのかも知れませんし、「年賀状は○○日までに投函すると、元旦に届きます」という郵政省の宣伝広告も、人々の年末の忙しさなどお構いなしで…国民を急かしている事にも気が付かず…、年賀状の習慣は無くなる事はないだろうと、高を括ってた郵政省が己で自分の首を絞めていた…。って事になるんでしょう。年賀状という文化が無くなりそうになるなんて事は、考えもしなかったんでしょうねぇ~。(^^;)

僕が子供の頃は、年賀状は松の内までにやり取りするモノ…と教えられてましたので、子供の頃は、年が明けてから正月三箇日くらいに書き終えて、ポストに投函が常でした。松の内って地域で設定が違うらしんですが、たしか…僕が住んでた地域では成人式までは、松の内だった思うんですよねぇ~。

年賀状をくれる人の中には、もう何年も会っていない人もいますけど、1年…¥85の付き合いというか…生存確認というか…。

メールやSNSでの新年の挨拶も悪くはないんですが…

手紙やハガキを書く文化とうか…、相手を想いながらハガキや手紙を書く時間って大事にしたいなぁ~って思うんですよねぇ~。

皮内鍼についての考察…♪

「皮内(ひない)」ってどこ?

…えっと、皮膚って上から「表皮⇒真皮⇒皮下組織」という組織編成になっていて、場所にもよるんですが、表皮は平均 0.1~0.2mmくらいで、その下の真皮は 1~3mm、その下の皮下組織(脂肪組織)は個人差があるのですが、おおよそ数ミリ( 2mm~9mm )で構成されていて、皮内って表皮と真皮の間の領域を皮内と呼んでいて、痛みを感知する神経繊維が少ない場所なんです。

その皮内に、細くて短い鍼を皮膚に水平になるように刺入して、テープで固定し日常生活で、身体を動かすたびに微動な刺激を生み出す鍼を皮内鍼というんです。おおよそ2~3日から7日間ほど刺した状態で過ごしてもらいます。

「おいおい!刺したままって…、身体の中に鍼が入っていかないのか?…(゜_゜)」

…と、よく質問を受けますが、鍼のお尻側は円い輪っかのように形成されていて、身体に入っていく事はありませんし、テープで留めておきますから外れる事はありません。

ただ、お風呂などで水に濡れる事でテープの固定が弱くなり、鍼が大きく動いてしまうと、希にチクチクと痛くなる事があります。こんな時はテープを剥がすと、鍼もテープと一緒に外れるようにしていますので、テープを剥がしてください。

まぁ~…おおまかに皮内鍼の説明をすると、こんな感じなんですが…

じゃあ~…なんで皮内鍼が効くのか?

皮内鍼に関しての書籍では、僕の知る限り、医道の日本から出版されている、赤羽幸兵衛さんの『皮内鍼法』くらいしか、思い当たらないんですよねぇ~。僕の手元にある本は、中古本で第17版です。…いつ入手したかは覚えてないけど…古本屋さんで入手したのは覚えています…(^^;)

初版は昭和39年のようですね!…因みに、第17版(平成10年)の本にも著者の住所と電話番号が印刷されてました…(^^;)

でもね…、正直言って…この本を読んでも、皮内鍼の刺入の手順は分かりやすいんですが…、なぜ皮内鍼が効くのか?…という事まではハッキリとは書いてないし、ぶっちゃけ…分かりずらい。知熱感度…とか、シーソー現象…とかで説明はされてるんですけどね…

僕に理解力が無いからなのかも知れないけど…(^^;) 分かりやすいか?…分かりにくいか?…で言えば、本を入手した当時から…、やはり分かりにくいと思ってました。

でも…効果は、確かにあるので臨床で使えるのは事実なんです。

なので、今回、鍼灸師になって、もうすぐ22年になるんですが…、今の僕が思いつくままに「なんで皮内鍼が効くのか?」を再度、考察してみました。

繰り返しになりますが…効果だけで話しをすると、結果的には…効きます!

腰痛や膝の痛……背中の痛み…肩こりなど、結構…効果的です。

通常、円皮針も皮内鍼も、一番痛い場所に1~2ヶ所、鍼を入れるのがセオリーです。

「あそこが痛い!ココが痛い!」と…やたらと皮内鍼を、何ヶ所もしていると、効果を相殺してしまうのか、経験的に効きが悪いように思います。

局所に皮内鍼をする事で、まず考えられる事は、皮内鍼をする事で、局所に炎症反応が起こり軸索反射が起こる事で局所の修復が早まるという…アレです。鍼灸の専門学校の鍼灸理論の授業で、一番最初に習うヤツかな…(^^;)

あとは…、同じく鍼灸理論の最初の方で習う、鍼刺激による筋紡錘の弛緩による鎮痛。…所謂、脊椎の後角に刺激が入り、運動神経の活動が抑制されて筋肉が弛緩するっていう…アレです。これも、専門学校の鍼灸理論で最初の方に習うヤツです。

でもね…、この2つのシステムで全ての腰痛や肩こりなどの痛みを取れるとは思えないんですよねぇ~。

何度も、このブログに書いてますが、全ての病気や症状には程度というものがあります。軽症だったり…重症だったり…の程度です。軽い痛みだったら、上記のシステムで効果が出てもイイと思うんですが、重い症状には…チョットなぁ~って思うんです。

なので、皮内鍼には、まだ別のシステムが働いているような気がするんですよねぇ~。

そこで思いつくのが…『副腎』

腎臓の上に位置する小さな臓器で、血圧とかホルモンを調整する臓器です。…ここが関係してるような気がするんですよねぇ~。

更に専門的な話になりますが…、身体に備わっている鎮痛に関するシステムでパットと思い浮かぶのは『SAM軸』と『HPA軸』と『下行性疼痛調節系』というシステムかなぁ~。

SAM軸(交感神経(Sympathetic Nerves) 副腎(Adrenal) 髄質(Medullary))…ストレスに対する即時反応として副腎の髄質という所から、アドレナリンとノルアドレナリンが分泌されて、身体を元気にする為に働いてくれるんですが、このノルアドレナリンが下行性疼痛調節系というシステムで鎮痛に働いてくれるんですよぉ~。

HPA軸(視床下部(Hypothalamic) 下垂体(Pituitary) 副腎(Adrenal))…これもストレスに対して働いてくれるシステムなんですが、ストレスに対してすぐに反応して働いてくれるのがSAM軸なんだけれども、長期的なストレスにはSAMは対応しきれないので、長期的なストレスに対してはHPAが働き、副腎の皮質と言うところからコルチゾールというホルモンを分泌されるのだけれども、長期的なストレスで慢性的にコルチゾールが分泌され続けると、慢性的な痛みを感じやすくなったり、不妊や依存に繋がり、鬱やPTSDとの関連も示唆されているようなんですよねぇ~。

因みに…この副腎皮質から分泌されるホルモンのバランスは、頭の百会というツボで調節します。

下行性疼痛調節系は、脳から脊髄に向かう神経の経路で、過剰な痛みの伝達を抑える働きがあるんですよねぇ~。この働きが弱くなると慢性的な疼痛のリスクが高くなります。…この下行性疼痛調節系が弱まる原因としては「ネガティヴな思考」が影響するんです。例えて言えば…楽しい事をしている時や、何かに集中している時は下行性疼痛抑制系が働いて痛みを感じにくくなるけれども、不安な事や、気持が落ち込んだり、ネガティブな思考が働くと、下行性疼痛抑制系がうまく働かなくなり、痛みに敏感になるんですよぉ~!

刺激の強弱で考えると、強い刺激は交感神経が活性化するので副腎髄質から分泌されるカテコールアミン(ノルアドレナリン・アドレナリン)の分泌が促進され、優しい刺激は交感神経の活性を低下させるのでカテコールアミンの分泌が弱まるらしんですよねぇ~。

皮内鍼を強弱の刺激で分類すると、優しい・弱い刺激に分類されると思うんです。

おっ!?…ちょっと待てよ…!?

弱い刺激は副交感神経を優位にさせるため、交感神経の活性が低下して、副腎から分泌されるノルアドレナリンの分泌が弱まると言う事になりますよねぇ~。

副交感神経が優位になってリラックスする事で身体を休めて、組織の回復を高めるという側面もあるとは思うんですが…

確か…ノルアドレナリンの作用の一つに「急性的な痛みに対応」と書いてあったはず…。そのノルアドレナリンが、弱い刺激で分泌が弱まるのであれば、鎮痛効果を阻害してしまう事になるよなぁ~。

あと…疑問に思う事と言えば、SAM軸、HPA軸、下行性疼痛調節系へ鍼灸のアプローチをしたとして、効果が出るのに、どのくらいの時間を要するのだろうか?…という事なんですが、調べてみても、まだ資料として公には出てないみたいなんですよねぇ~。

じゃぁ~…「なんで皮内鍼が効くのか?」に関しては、SAM軸、HPA軸、下行性疼痛調節系が働いている訳ではないのかな?…まだ研究段階なんだろうなぁ~。…という事は…皮内鍼は「炎症反応や軸索反射」もしくは「筋紡錘の弛緩による鎮痛…所謂、脊椎の後角に刺激が入り、運動神経の活動が抑制されて…」

…ん? 

脊髄の後角…(゜_゜)

あぁ~…痛みを急速に止めるシステムが、もう一つあったわ!

『ゲートコントロール理論』

痛みはAδ線維とC線維という、細くて伝達が遅い神経繊維で脳に伝えられるのだけれども、圧迫や皮膚を摩るような皮膚刺激は、太く伝達が早いAβ繊維で伝わるので、その皮膚刺激が脊髄後角で痛みの信号の流入をコントロールするので素早く鎮痛効果が得られるというシステムですよねぇ~。

分かりやすく言えば…痛い場所に手をあてて押さえると、一時的に痛みが軽減する事は、誰しも一度は体感してると思います。

「脳に伝わる痛みの信号を止める」…という話しをすると、時々「あぁ~脳を騙すのね!」という人がいますが、脳を騙すんじゃないんですよぉ~。もともと身体に備わっている鎮痛のシステムを強くするって感じなんですよねぇ~。

そう考えると…

皮内鍼の鎮痛効果ってゲートコントロールが関係している割合が大きいような気がしますねぇ~。

ただ…痛みがあるという事は、急性や慢性の炎症、もしくは炎症は治まってるんだけど、その部分の組織が拘縮してしまう事で痛みが出てしまっているので、鍼灸の刺激や、皮内鍼の効果で痛みを取り除きながら、組織の回復をはからないと、鎮痛のみで対応していると、薬を何度も使っていると効かなくなる理屈と同じで、鍼灸や皮内鍼の鎮痛効果も薄れてくるものなので、その点は考慮された方が良いと思います。

なんだか…年末に長々と思いつくままに書いてみましたが、自分にとって良い復習になりました…(^^;)

今年一年、お世話になりました。良い年をお迎えください…♪

健康への近道…

薬が悪いわけではないんですよねぇ~。

いざという時は、薬に頼る事が多いのも事実ですし…

ただ、薬に頼り過ぎて、体調がおかしくなる人が多いのも事実なんですよねぇ~。

周りを見渡せば、あちらこちらに、大手のチェーン展開しているドラッグストアーが乱立しているし、日本人は薬が好きなのかな?…って思っちゃいます。

あるデータによると「日本の人口は世界の2%に過ぎないのに、世界の薬の約40%は日本人が使う…」…とか、「日本の医薬品市場規模は約10兆円…」…という事らしいです。

確かに、日本人って…全般的に「何かに頼る」性質というか…、気質を持ち合わせている感じがするので、体調がおかしくなると、自分で治そうとはせず、薬に頼る傾向にあるとは思うんです。

それと、以前は…、と言っても随分昔…、江戸時代末期の頃までは、薬って、とても高価な物で、一般庶民は薬を手に入れる事自体、大変な事だったと思うんですよねぇ~。

その薬が、今は気軽に手に入る!「ありがたやぁ~!ありがたやぁ~!」って感じで、何かに頼る気質も相まって、今の薬の消費に反映しているような気もするんです。

経済力が身につき、豪華な食事が日常化した人に「健康の為だから…」と質素な食事を勧めても、反発をくらうかの如く、薬に頼る生活…、簡単に薬が入手可能な生活に慣れきった人に、薬の害を説いても「この人…何言ってるの?バカみたい!」と、相手にされないのが、今の日本の現状のように思います。

案外、「…この人…何言ってるの?バカみたい!」って言ってるような人は、現代医学の薬の信奉者で、漢方薬すら眉唾だと思っていたりして…、東洋医学や、ましてや鍼灸治療などは、怪しい新興宗教のようなものだと決めつけてる人も少なくないと思うんですよねぇ~…(^^;)

まぁ~そんな人は、何を言っても無理だと思うから、気が付くまで待つしかないかな…。

…話しが脱線しちゃいましたね。…(^^;)

※サプリではなく、食事で栄養補給(よく噛んで…)。

※老いや老化を認識して生活改善。(気持や考え方の若さを維持するする事は大切ですが、身体は、どうあがいても、老いますからねぇ~…)

※運動と食事と睡眠。

簡単な事ですが…、昔から言い伝えのように、親や祖父母から、躾けられるように言われてきた事を無視して「時間の無駄を省きたい…」「手っ取り早く結果を出したい…」「面倒くさい事はやりたくない…」というような生活をしていると、若い頃はいいけれど…、いつか体調を悪くすると思います。

「自分が大きな病気をした時に、食生活や身体のケア…、あと…睡眠と運動の大切さを知る事になるんだよねぇ~」

…って、ウチの鍼灸院に治療で来られる、大病を経験された人が、会話の中で、皆、同じような事を口にされます。

はりきゅうふくた のチラシに書いている文章…

さまざまな痛みや体調不良は、疲れやストレスが溜まる事で症状が現れます。

誰でも具合が悪い時は薬で症状を治そうとするものですが、体調の善し悪しで薬の効き具合も変わってくるものです。

薬を飲まなくても健康でいられる身体作りを心がけて、どうしても体調が悪く、薬が必要な時、薬が良く効く体でいられるように…。

まずは疲れやストレスを感じた段階で、鍼灸治療と東洋医学のアプローチで体調を整える事から始めて見ませんか?

僕が書いた文章なんですが、病気にならないためには、やはり薬に頼る前段階とでも言いますか…、普段の生活がとても重要なんですよねぇ~。

ストレスや疲れを取るのは睡眠が一番ですが、過度なストレスや、過度な疲労は、その睡眠さえも容易に取れなくしてしまい、眠剤に頼るしか術が無く、薬が手放せないという人が多い事!多い事!

で…以前、ブログにも書きましたが、鍼灸治療は筋肉を緩める効果もありますが、自律神経系でいうと、副交感神経を優位にする事に長けているので、身体をリラックスさせるには、もってこいの治療なんですよねぇ~。なので、やんわりと…眠剤に頼る事なく、眠れるようになり、睡眠によりストレスや疲を解消する手助けが出来るのが鍼灸治療です。

ただ、眠剤に頼り切っている人は、薬を飲まないと眠れないと思い込んでいる人が多いので、薬を手放す恐怖というか、頼るモノがなくなる不安から、眠剤を手放せない人が多いですねぇ~。

ただ、過度なストレスや過労が、患者さんの心の許容範囲より大きすぎると、薬も鍼灸も効果が薄くなるので、大元の元凶である、ストレスや疲れになる原因や事案からの脱却は必須となります…。

何か一つに頼るのではなく、鍼灸や薬の効果を理解して、鍼灸や薬を効果的に使いつつ、体調不良の原因を探って、少しずつ自らの改善を図る。

これが、健康への一番の近道です。

僕の本音はね…。~薬と鍼灸の違いを考察~

本音はね…

鍼灸治療を終えて帰って行かれる患者さん、全員に「楽になったぁ~」って言いながら、笑顔で帰ってもらいたいんです。

70~80% の方は、治療後…「楽になったぁ~」とか「マジ…気持いい!」とか「やっぱ…鍼灸が一番良いね!」と言われて帰られますが、時には、症状が重い方…、痛めている度合いというか、病気の程度というか…、患者さんの病気や症状によっては、すぐには痛みが取れなかったり、症状の変化に気が付きにくい状態の人もいらっしゃいます。

正直言って…帰り際に患者さんから「楽になりました…」とか「メッチャ…気持いい!」なんて言われると、ついつい…僕の表情も緩んでしまい、有頂天とはいかないまでも、鍼灸師として…、施術者として…、気持がホッコリする瞬間でもありますねぇ~。

治療後、即時効果で、全ての症状が魔法のように改善したのなら、患者さんも、鍼灸師の僕らも、win-win の関係で、互いが気持ち良く過ごせると思いますが、時として理想と現実が違う時もあるんですよねぇ~。

鍼灸の治療は「すぐに効いた!」という即時効果を感じれなくても、車のギアチェンジの如く、時間の経過とともに、効果が現れ、症状が軽減していくものです。

これは、鍼灸の治療が身体に備わっている、病気を治す力…。所謂、自己治癒力を引き出して、その機能を上手く働かせる事で、身体を健康状態にもっていく治療なので、患者さんに体力があり、身体が健全であればあるほど、即時効果を体感できますし、身体が弱っている人は、やはり…効果を感じるのが遅くなる。…そんな感じなんですよねぇ~。

薬も同じように、薬の効果を利用して、身体に備わっている、自己治癒力を引き出して、病気を治していくわけですが、薬は…もとはと言えば毒な訳で…、毒の成分を有効利用して身体を治す方法ですから、薬に頼ったり、分量を間違えると、身体にとっては毒にもなりかねない訳なんです。

「毒になりかねない…」という点においては、鍼灸も外的刺激なので、過剰な刺激は身体を傷つける事になり、長期にわたる過剰な鍼灸刺激は身体にとって害にもなります。

ただ一つ、薬と鍼灸の違いは…

薬の場合は薬効成分により、身体の機能を調節するんですが、過剰に薬に頼り過ぎると「今まで効いていた薬が効かなくなる…」という副反応が起こります。これは薬に対しての耐性が出来てしまい、薬がターゲットにしているタンパク質の量が減ってしまったり、過剰に薬を摂取する事で、身体が薬効成分を余分なモノと判断して、身体から排除するスピードが速くなったりする事で薬が効かなくなったりします。

鍼灸の場合は、少し前に説明した通り、外的刺激で、身体に備わった身体の修復機能を調節する治療なんですよねぇ~。薬と違うのは、弱い優しい刺激の方が、身体に備わった修復機能を高めやすいって事なんです。優しい刺激って所謂、患者さんにとって、気持いい刺激なんですよねぇ~。

ただ…、人それぞれ、色々な性格や気質が違うのと同じで、一言で「気持いい刺激…」と言っても、人それぞれ、気持ち良さって違うんですよね!

何を気持良いと感じるか!?…どれくらいの刺激が、その人にとって気持ち良い刺激なのか?…気持いい刺激量も個人個人で違います。例えて言えば…、辛い食べ物が好きな人は、辛い食べ物を好みますし、辛いモノが苦手な人は出来るだけ辛くないモノを選びますしね!

…千差万別、十人十色、人それぞれなので、鍼や灸の刺激も一定ではないんですね!…治療的にはそこが難しいポイントになります。

薬の場合、過剰摂取すると耐性が出来て効かなくなりますが、鍼灸の場合は、気持いい治療の方が身体の修復機能を高めるわけなんです。そこで思うんですけど、気持ちよさに過剰摂取制限って必要なんだろうか?…って思うんですよね!?

…まぁ~、何事もやり過ぎはよくない事だとは思いますが、気持よさの過剰摂取は、薬の過剰摂取のように神経質になりすぎる必要はないという所が、薬と鍼灸の違いだと思います。

やはり…、気持いい刺激って、いつでもどこでも、短いより長い方が、気分的にも嬉しいですよねぇ~。なんていうか鍼灸治療って「身体を褒めて伸ばす」…そんな感じの治療なんですよねぇ~。

もしかすると…

「嘘~~~!鍼灸治療を受けた事があるけど、痛かったぜ!…気持いいなんて思いもしなかった…」

…って言ってる人もいらっしゃると思いますが、症状によっては、患者さんが痛がる事を覚悟して、患部やポイントやツボに鍼をしなければいけない事もあります。ギックリ腰や腰痛、五十肩や首の寝違いなどは、ターゲットの筋肉を緩める必要があるので、鍼灸の刺激を少し我慢してもらう治療になります。

例えて言えば…、教育や子育てと同じで「褒めてばかりいても人は育たない…。時には叱ることも必要…」

そんな感じですかねぇ~。

薬物治療にしても、鍼灸治療にしても「過ぎたるは及ばざるがごとし…」全てに於いて、やり過ぎはダメ!…っていう事ですよね!

やはり、大事なのは、いかに身体が丈夫か?…もしくは、快復力が高い身体なのか?…が一番のポイントになるんですよ!

治療が終わって、精算を済まして、帰られる時に、即時効果を感じられず、苦虫を噛み潰したような表情で…痛みを我慢してらっしゃる患者さんに対して、いつも…何て声をかけたら良いのだろう?…って考えるんです。

「3歩進んで2歩下がる…」

鍼灸治療を受けていて、症状が良くなったり悪くなったりを繰り返したりする事があると思うんですが、確実に1歩は進んでますから、焦らず、身体の快復力が高まるイメージを思い浮かべ…、悪い部分に血液が流れて行って、老廃物を運び出し、傷を修復していくイメージを思い浮かべて過ごしていると、必ず身体の回復力は高まります。

「イメージって大事ですよ!…焦らないで。」…と伝えるしかないんですよねぇ~。

…でもね!本音はね…

即時効果で、魔法のように痛みが取れて、win-win の関係で治療院をあとにしてもらえたら、どんなに気持いいだろうなぁ~って思うんですよねぇ~…(^^;)

自分の型…(鍼や灸は怖いけど、あそこの鍼灸院だったら、行っていいかな…)

先日、相撲の九州場所、初日を観に行ったんです。

九州場所前にウチの治療院に、身体のメンテナンスに来てくれている、竜電さんは、初日は惜しくも、佐田の海さんに負けてしまいましたが、解説者の方が言われている、竜電さんの型…。下から当たって回しを取るという型は崩れてなかったので「よし!勝てる!」と思ったんですけどね…。佐田の海さんが、上手く左右に動いて寄り切られてしまいましたね…。

観ていて「負けちゃったかぁ~」とも思ったんですが、しっかり、竜電さんの型が取れてるって事は、調子が良いって事だと思うので、勝負は時の運って事で、この負けを次に活かして欲しいと思っていたら、翌日の取り組みは勝ちましたね♪…(^o^) 良かった!良かった!

※3日目の vs千代翔馬との取り組みは、治療中だったのでリアルタイムで観れませんでしたが、負けちゃいましたね…。でも、立ち会いは悪くなかったと思います。

先日、場所前に来られた時に、治療中の会話の中で「TVで相撲を観てると、竜電さんの型って、下から突き上げて相手の回しを取るって解説者が言ってましたが、対戦相手は全員、その事を知ってる訳ですよね!…、そうなると対戦相手は、どのような対策をとってくるんですか?」って尋ねてみたんです。

すると…「相手は、下からぶつかって来る事を知ってるから、捕まらないように、左右どちらかに変化するんだけれども、その動きについていけなければ、自分が前に転けちゃう事になるんです…」って言われてたんですよね!

「なるほどなぁ~…サッカーのPK合戦のゴールキーパーと同じで、蹴る相手が、どちらに蹴ってくるか迷う感じに似てますね!?」って僕が言ったら、「そうそう!」って言われてました。

サッカーのPKで言えば、蹴る側がゴールを決める確率は80%以上で、キーパーがボールを止める確率は…確か20%に満たなかったと思います。…いわゆるキーパーが断然不利なわけですよね!

PKの場合は、ボールの大きさと、ゴールの広さの関係から、守る範囲が広すぎるので、キーパーが断然不利になるわけですが…

それでも、PKに強いキーパーって、相手が蹴るギリギリまで相手を観察して、蹴る瞬間、軸足をどちらに向けるか?身体のどこに力が入っているか?身体の向きは?…などを見極めたうえで、推測してボールを止めるらしいんですよね!

竜電さんも、僕の「サッカーのPKみたいですね!」という言葉に「そうそう」と言われて、それ以上の事は言われませんでしたが、サッカーのPKに強いキーパー同様、取り組む前に、当然、相手の立ち位置や身体の向きなどを観察していると思うんです。

相撲の幕内力士って、トップアスリート同士の、ぶつかり合いなので、相手は、右から攻めようか…左から攻めようか…、はたまた変化しようか…、など、取り組み前に、そんな情報は表情や仕草にも出さず、心を読まれないようにしている事でしょう。

そうなると、大事なのは、自分の技の型を崩さず、相手を自分の得意領域に、どうやって引きずり込むか…。いわゆる「分かっているんだけど、何故か…そっちに行ってしまう…」的な、蟻地獄のような空間を生み出せれば、自分の型が活きてくるわけですよねぇ~。

自分の型を崩してでも、勝ちを取ろうとすると、その時は奇をてらって勝てたとしても、自分の型が崩れてしまうと、なかなか元に戻せず、次から何をしたら良いのか迷ってしまって、負のループに陥ってしまうような気がするんです。

これって、全ての事に当てはまる事だと思うんですよねぇ~。

鍼灸治療も同じだと思います。

鍼灸の場合は「型」というより、「考え方」ですね!

鍼灸にも色々な流派があるように、それぞれ流派の考案者が、病気をどう捉えて、どう治すかを、色々な考え方で思考し、年月をかけて、幾人もの人が練り上げてきたものが流派であって、その流派の考え方を学び、咀嚼して、各個人、個人が…、自分なりの考え方を作り上げる。これが現代の鍼灸の『型』だと思います。…何も教わった事を、後生大事に守り抜く…という事では無いと思うんですよねぇ~。

鍼灸治療で痛みを取ったりする事は出来ますが、痛みを取るだけが治療じゃないですもんねぇ~。患者さんが、また同じような痛みに悩ませられないように、患者さん自身に、自分の身体の状態を理解してもらい、食生活の改善や、生活改善してもらったりする事で病気は治るわけですから、そこまで含めてが治療だと思うんですよねぇ~。

ここで大事なのが、自分の治療の型なんですが、…普通に考えると、型を沢山持っていた方が良い!…って思うんですけど、型って、そう簡単に習得できるものではないんですよねぇ~。

コレは良いなぁ~と思っても、だいたい…技術や思考の構築って習得できるまでには時間がかかります。習得するには…早くて4~5年、一般的には10年は時間を要すると思うんですよね。習得できなければ、また新たに別なモノを見つけなければいけない…。

この…、思考や技術って、教わっただけでは、まだ付け焼き刃なんですよねぇ~!…学校や勉強会で教わった事は、それを再現できたとしても、所謂、モノマネの領域で、『自分の型』と呼べる代物ではない。「付け焼き刃は剥げやすい。」…って、昔の人はよく言ったものだと思います。

教わった技術や思考を自分の中に落とし込んで、その上で、試行錯誤しながら、鍼の使い方や、お灸のタイミング…、患者さんへの声かけのタイミングなどなど…、色んなパターンや、タイミングを会得して、初めて、人様に提供出来る『自分の型』が出来上がるわけなんですよねぇ~。

「鍼や灸は怖いけど、あそこの鍼灸院だったら、行っていいかな…」って、患者さんに思ってもらえるようになった時、認められた…というか、…初めて治療者として『自分の型』が出来上がっているって事になるのかも知れませんね。

『統合失調症がやってきた』と『相方は統合失調症』を読んでみた…♪

この本を読もうかな…って思ったキッカケは…、樋口直美さんの『誤作動する脳』『「できる」と「できない」の間の人』『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』を読んでいた時に、Amazonで、樋口さんの本をポチッ買いしていたら、Amazonのオススメに、松本ハウス 著『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』が出てきて、この本の存在を知ったんです。

樋口さんの本を読むキッカケも、義父がレビー小体型の認知症になったので「レビー小体型の認知症の人のリアルな記録を知っておく必要があるな…」と思い、読み始めたんですが、Amazonのオススメに出てきた『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』も、14~5年前だったか…、学生時代の友人から「ウチの子供が統合失調症になってさ…」…って話しを聞いた事があって…、当時は、もう僕は鍼灸師になっていたんですが…その時…「僕は統合失調症の事をどれだけ知っているのだろうか?」って思った事があったのを思い出したので、…この2冊は読まなければいけないな…って思ったのが読むキッカケなんです。

統合失調症って、以前は精神分裂病って呼ばれていたって事は知ってました。

確か…僕の記憶を遡れば…中学生の時に読んだ本で…、森村誠一さんの小説だったか…?…人間の証明だったかな?…何の本に書いてあったかは忘れましたけど、何かの小説に「精神分裂病」って言葉が載ってたんですよねぇ~。そこで初めて精神分裂病という病名があるんだぁ~…と認識したんだと思います。

僕が鍼灸の専門学校に通っていたのは2000年~2003年なんですが、専門学校では現代医学に関して、基本的な医学生の基礎知識程度は教わるんですけど、精神的な病気に関しては、教わった覚えはありませんでしたねぇ~。何かの情報で精神分裂病は不可逆的な病だという情報が、どこからともなく頭の中にインプットされていたように思います。

調べてみると、2002年までは精神分裂病という病名を使われていたようですが、精神が分裂してしまう病気という、偏見を助長する可能性があるし、症状としては病気と言うより、症候群的な、様々な症状が起こりうるという事で、名称が変更されたらしいんですよね…。

また以前と比べて、治療も進化して不可逆的ではなく、一般的に約1/3の患者さんが治療により回復して、正常あるいは、ほぼ正常の生活を送ると言われているそうです。ただ、全てが治るという訳ではなく、約20%くらいの患者さんに重度な障害が残るらしいので、決して楽観的に捉えられる病気ではないようです。

松本ハウスに関しては「そう言えば…『ボキャブラ天国』っていう番組に出てたよなぁ~。確か…片方の人が、坊主頭でピッチピチのシャツとパンツを履いていた、お笑いコンビ…。」という認識しか持ち合わせていなかったんですよ…。だから彼らの芸…は、多分、…昔にTVで見てはいるんだけど、坊主頭の人がテンション高めに騒いでいたっけ…というような記憶しかないんですよねぇ~。

今回、最初に『統合失調症がやってきた』を読んだんですが、凄くリアルに「あの時…こんな感じだった…」とか「こんなふうに思ってた…」という、子供の頃から、病気が発症するまでの過程や、色々な症状が細かく書かれていました。

この本の最後に、精神科医のお医者さんが『解説』を書かれていて、統合失調症の罹患率は約100人に1人だという事を知りました。それと…幻覚とか幻聴の事が書かれていて「僕は経験した事は無いんですが…」と、この精神科のお医者さんが書かれているのを読んだ時に…フッと我に返ったというか、僕の昔の記憶が頭に浮かんだんですよ!

公で言う事では無いかも知れませんが、もうすぐ60歳になりますし…42~3年前の話しですから、僕の経験談として少し書きますね…。

僕は高校生の時に1度だけ、幻聴を聴いた事があるんです。空耳とか、聞き間違えでは無いんですよねぇ~。あぁ~…そうそう!休日の晴れた日の昼間に、ベッドに横たわって、トランペッターのハーブ・アルパートの曲をラジカセで聴いてた時でした。あの時の事を思い返せば…、僕自身、精神的に結構、追い込まれていたと思うんです。

正直言って、僕は人とのコミュニケーションを上手に取れる人間ではないと思います。今は、ある程度、大人としての経験値が作用して、コミュニケーションを上手に取れるようになってますが、子供の頃…、特に思春期の頃は、人と、どう付き合っていいかが分からなかったんですよねぇ~。

そんでもって…僕は高校3年間、寮生活をしていたので、四六時中、誰かが周りにいる訳なんですよ…。家から学校に通う生活なら、学校から家に帰ってプライベートな時間を作れますし、引きこもろうと思えば引きこもれる訳なんですが、寮生活では引きこもろうにも、そんな空間もありませんしね…(^^;)

そんな生活をしている時…人間関係が上手くいかず、多分…、自分で自分を追い込んでいった感じで、ある出来事を期に、半年くらい、人と話しをしなくなった事があったんですよぉ~。その時、一度だけ、幻聴を聞いた事があるんです。とても怖い言葉だったので、覚えてるんですが…、正直言って、その瞬間「ヤバイ!」って思いましたねぇ~。たしか…それ以降、ハーブ・アルパートの曲を聴きたくなくなった…というか、聴けなくなったんですよぉ~。

それ以降は、一度も幻聴は聞いた事は無いし、その一年後くらいに高校を卒業して、大学に行ったりと…、生活環境も変わったりした事が幸いしたようにも思いますが、この本の解説に書かれていた「統合失調症の罹患率は約100人に1人」…だという事を考えると、僕も統合失調症になっていた可能性があるような気がするんですよねぇ~。

ただ、僕は運良く…というか、タイミング良く、環境を変える事ができた。…なんとなく、それだけの違いのような気がするんです。

今にして、幻聴を一度だけ聴いた事があるという、自分の薄っぺらな経験を加味して思うんですが、人って、精神的に追い込まれると、幻覚・幻聴を見たり聞いたりするものなんだろう!…って思うんですよねぇ~。

だから…統合失調症って、条件が揃えば、誰にでも起こりうる事のように思えます。

2冊目の『相方は統合失調症』は、加賀谷さんが、長い時間をかけて社会復帰できるようになり、松本ハウスとして、お笑いの世界に戻る過程と、相方のキック松本さんが、家庭を持ちながら、どのように統合失調症の相方と接して、お笑いを成立させているのかが書かれてました。

この本の中でも書かれていたと思うんですが、加賀谷さんが社会復帰できるようになって、松本ハウスを復活させる事になるんだけども、加賀谷さんの体調が不安定な時も多く、以前のような舞台ができないというジレンマが生まれて、色々と悩まれ、試行錯誤の末に「失敗を恐れず、ネタやセリフを忘れたら、忘れたでいい…。とりあえずやってみるか…」という境地で舞台に挑むようになったそうなんです。

その文章を読んだ時に、以前にもブログに書いたと思うんですが…

「病気が治る」という事に関して、皆さんが勘違いしている事があるよなぁ~…って思ったんです。

「治る」という事は「元に戻る」という事ではなく、「今の状態で一番、良いバランスを保つ」という事が、病気が治るという事なんですよねぇ~。

病気には種類や程度にもよりますが、病気になると何かしらダメージが身体に残るものなんだ…という事を忘れてはいけないと思うんです。

…だから、出来るだけ病気にならない方が良い。病気にならないような生活を、日頃から心がけて、日々を過ごさなければいけないんですねぇ~。

人と言わず…生き物は全て歳を取るものですし、生きていれば老化していきます。

病気とは、、バランスが崩れる事で起こる症状に名前を付けたものを「○○病」と呼び、すぐ治るモノもあれば、治るのに長期間かかるモノもあります。

単純に考えれば、バランスが崩れる事で病気になるわけですから、バランスを整えれば病気は治るわけですよね!

ただ、崩れたバランスが、すぐに調い…治るのが早ければ、元に戻るという感覚で「病気が治る=元に戻る」と定義づけできますが、大病で治療期間が長くかかったり、摘出せざるおえない場合…、また、摘出する事で、以前のような事ができなくなった場合は、行動や動きに制限がかかったり、老化などによる、体力や記憶力の低下で、以前出来てた事ができないって事にもなるわけです。

そうなると「以前は出来ていたのに…」「あぁ~不甲斐ない…」「自分はダメな人間だ…」とジレンマに陥りやすくなっている人も多いと思うんですが、そんな時に、頭の片隅に留め置いて欲しい思考としては…、「治る」という事は「元に戻る」という事ではなくて、「今の状態で一番良いバランスを保つ」という事が、病気が治るという事だという事なんですよねぇ~。

話しがチョット脱線しちゃったかな…(^^;)

この『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』の2冊は、統合失調症を患った当事者の気持も含め、周りの人がどう接していくべきか…が書かれていて、読んで良かったな!って思える本でした。

あぁ~…そうそう!この本に書かれていた言葉で「障害」ではなく「障がい」と書かれていた事に、凄く気配りと、心の温かさを感じたなぁ~。

患者さんが、よく口にするセリフ…

うちの治療院では、比較的、年配の患者さんが言われる事が多いかな…

「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?」

仕事三昧だった生活から一転し、定年でリタイアして、5~10年くらい経過した患者さんが、体調の不調を感じて病院に行くも、お医者さんからは「コレと言って異常はない…」と言われるんだけれど、やはり、体調は良くないので、お医者さんに「最近、眠りが浅い…」だとか「胃が痛い…」だとか、「頭痛がする…」「耳鳴りがする…」などの、諸症状を訴えると、お医者さんは患者さんが訴える症状の数の分だけ、お薬を処方してくれる訳なんです。

あまりに訴える症状が多いと、+アルファとして、抗うつ剤や精神安定剤も処方されたりするんですよね…。

で…患者さんが、真面目に処方されたお薬を飲んでいても、コレと言って身体に何の変化も無く、何かにすがるような気持で、鍼灸治療を受けに来られる人が、よく口にするセリフが…

「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?…何で僕だけが!…何で私だけが!」です。

かつて出来ていた事が出来なくなってきたという恐怖心や、今まで、健康で病気とは無縁の生活を送ってきた人が、体調不良を初めて体験し、ビックリ!…(゜_゜)

…単純に考えれば、そういう事なんですが…

若い人は「何もしてないのに…、何でこんなに体調が悪いんだろう?」…という体調不良は、あまり無いのでは?…と思ったりもしますが、実は、そうでもなかったりするんですよねぇ~。

最近、僕自身の体験というか、思う事がありまして「何もしてないのに…」という事に対して、ちょっと考えてみたんです。

人って寝て起きて…目が覚めれば15~17時間、覚醒して、アレやコレやを、こなすというか、何だかんだやるわけですよね!…仕事をしていなくても、寝ている時間以外は、人って何かやっているわけなんですよ!

確かに「仕事をしていると疲れる…」という図式は、誰でも理解出来る事で「理由と結果」みたいなものなんですが、人って仕事をしていなくても、起きて動いているわけですから程度は違えど「疲れる」わけなんですよね!

もちろん、疲れ具合には「程度」というもはあります。仕事をしている時は疲れ具合は大きいでしょうし、仕事をしてない時の方が疲れ具合は小さいでしょう。…でも、疲れている事には変わりないんですよね!

長時間のドライブで、一番疲れるのは運転手なんですが、助手席や後部座席に乗っている人も、ドライバーと同じ時間、車の振動を感じ、同じ距離を移動しているわけですから、疲労度合いは違えども、疲れている事には変わりない。

前にも、このブログに書いたと思うんですが、人って何にでも許容範囲ってあるんですよねぇ~。許容範囲内で物事が収まってくれれば、万事OKで問題無し!…なんです。仕事をしていようが、仕事をしていまいが、疲れるような事が許容範囲内ならば、コレと言って疲れによる体調不良は感じないはずなんです。

でも許容範囲が狭くなっている人の場合は、歳を取っていようが、若かろうが、疲れを感じやすかったり、体調不良を感じやすかったりするんだと思います。

「じゃぁ~…許容範囲が狭くなる理由は?」

…と問われると、僕の頭に浮かぶワードは「老化」と「脳疲労」かな…。

老化がすすめば、比較的考え方に柔軟性が無くなりがちではありますし、歳を取ると怒りっぽくなったり…、我慢が出来なくなったりしますよね!…これって許容範囲が狭くなってる事だと思うんですよ。

脳疲労の場合は、情報過多が原因だと思うんです。若い人はSNSやスマホで情報を洪水のように浴びる生活が、当たり前のようになってますし、意外と年配の人でも、体調不良の症状に関してYouTubeで情報をあさってみたり、ググってみたりと、情報過多になっている年配の人も多いと思います。

対処法としては…

脳疲労を解消する為には、情報を遮断するしかないでしょうねぇ~。

あと老化に関して言えば…、老化を止められない事は周知の事実ですが、仕事をしていようが、していまいが人間、生きていれば疲れるわけなんですよね!…ならば、どうせ疲れるんだったら、情報過多で疲れるより、身体を動かして疲れた方が睡眠も取りやすいでしょうし、食事も美味しく頂ける。

では…身体を、どう動かすか?…なんですけど、一番のオススメは、土いじりですねぇ~。

マインドフルネスって言うんでしたっけ?…これからの自分の事とか…、体調不良の不安に関する事とか…、未来に対する不安を思考するのではなく、ただ目の前の事に集中する…。集中する事で、自分の思考や、感情や、行動などについて、善し悪しの判断や評価をするのではなくて、第三者的な目線で、今の状態を把握する。

第三者的な目線で、自分の事を観れるようになれば「何をすべきか…」が明確になると思うんです。

アドバイスって、人から言われても、本人が気が付かない限り、何を言っても無駄だったりするものなんですよねぇ~。

このマインドフルネスという状態に持って行く行動として、土いじりって最適だと思うんです。家庭菜園でもいいし、雑草取りでもいいし、…僕の経験上、土いじりをしてると心が落ち着くんですよねぇ~。

じゃあ…土いじりが出来ない環境の人は、どうすればいいのか?

コレに関しては営業トークでも…何でも無く、僕は鍼灸治療をお勧めします。

鍼灸は筋肉を緩める効果もありますが、自律神経系でいうと、副交感神経を優位にする事に長けています。自律神経は交感神経と副交感神経に分類される訳なんですが、車に例えると交感神経はアクセルで、副交感神経はブレーキなんですよ!副交感神経を優位にするとリラックス効果を得られるわけなんですよねぇ~。

リラックス状態になるとマインドフルネスでいう、第三者的な目線で、今の自分の状態を把握する事が出来やすくなるんですよぉ~。

あとは…、患者さんが第三者的な目線で、今の自分の状態を把握し、何をすれば良いかという事に気がつけるか?…気がつけないか?…行動できるか?…行動できないか?…がポイントになると思います。

「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?」という感覚に陥った方で、病院に行っても、お医者さんからは「コレと言って異常はない…」と言われた場合、『土いじり』もしくは『鍼灸治療』を試されて下さい。

頭を柔軟にして『祈る…と医療について』考えてみた…♪

先に言っておくと…、僕自身は無宗教に近い感覚で生きてますが、神社の傍を通ると「お参りしておこうかな…」と、お賽銭をチャリンと入れて、お参りしますし…、お盆…もしくは、彼岸が近くなると「墓参りしないとなぁ~」って思います。また、どこからともなく賛美歌が聴こえてくると「綺麗なメロディーだなぁ~」って思いますしねぇ~。

学校の授業では教えてくれなかったから、大人になって「ユダヤ教や、キリスト教や、イスラム教の違いくらいは知っておかないとな。」…って思い、宗教に関する本を何冊か読んだ事はありますが、表面的な事しか理解してないと思います。

もし誰かに…「あなたの家の宗教は何ですか?」って尋ねられたら…「たしか…、お墓がある寺は禅宗だと思うけど、曹洞宗だったかな?臨済宗だったかな?」…っていうくらいの宗教観ですゎ!

前もって、なんでこんな事を書いたかというと、「祈る」っていう事について書くと「もしかして…この人は、何かの宗教にハマっている人なのかも…」なんて思われるかも知れないから、とりあえず「僕の立ち位置は、自己診断ではフラットな感じです。」…って言っておかないと、勘ぐられるかな?って思ったもので…(^^;)

今回、なぜ「祈り」について書こうと思ったのか…、というと「祈りと医療」に関して、ふと…思った事があったもので、ブログに書く事にしたんです。

まぁ~歴史的な事を知ってるか?知らないか?で、考え方も違うと思うんですが、簡単に言えば…、医療が日本に伝来して根付いたのは奈良時代だったかな…?

…それと共に?…いや…、もしくは、それ以前から、大陸から仏教と、ともに医学が伝来して来る以前から、祈って病気を治すという事は、そこかしこで行われていたわけなんですよねぇ~。

良く映画などで描かれてる、弘法大師・空海や、陰陽師の安倍晴明などは、祈る事で人の不安を取り除こうとしていたスパースター的な存在ですよねぇ~。

で…、祈るという行為が非科学的だという事で、祈る事を医療行為から排除したのが明治時代。

医療行為と言っても、奈良時代の頃から明治時代初期の頃までの医学は、今の医学とはかけ離れていて、手数というか…?手段というか?…治療の方法?も、今に比べて少なかったわけなんですね。

明治以降、現代医学の発展で、僕らは、今みたいな医療の恩恵を享受できているわけですが、「今の医療が当たり前!」「祈るだけで病気が治るわけ無いじゃん!」と思っているステレオタイプの人は、「祈る事と、医療を同等に考えるなんて、非科学的でナンセンスだ!」って思うんでしょうね。

でも…、そこで…

「病気って、どうして…病気になるんだろか?」って考えると、まぁ~色々と原因は思い浮かぶと思いますが、凄くシンプルに考えると、一般的な病気は「ストレス」「血行不良」が病気の始まりだと思うんです。

血行不良は運動不足を解消する事で解決できるとして、ストレスって色々な原因でストレスが溜まるものだし…、ストレスを解消する薬って現代医学をもってしても、未だ開発されてませんよね!病院に行っても、お医者さんからは「好きな事でもして、ストレス発散して下さいね!」…というようなアドバイスを受けるくらいでしょう~。

生きていれば、体調不良を感じたり、病気になったり、…もしくは大病を患ったりして「病気になって、神にもすがる思いで…」っていうシチュエーションは、誰しも望みはしないけど、現実的には多々ある事だと思うんです。

僕が思うに、別に…、すがるのは、神でも仏でも、何でも良いと思うんです。

祈る事で自分の不安を取り除く…。

その人にとって…、その患者さんにとって…、祈る事でストレスが少しでも軽減するのであれば、それは病気の予防や治療と、何ら変わりなく…、病気の原因であるストレスを、病院に行く事で軽減してくれないのであれば、祈る事でストレスを軽減しようとする行為って、とても大切で大事な行為だと思うんですよね。

ただ、御存知の通り、人の弱みにつけ込んで「信じる…祈る」という気持を嵩に掛け、金品をボッたくろうとする輩がいるのは、いつの世も変わりないわけで…、その点は要注意ですよね…(^^;)

やはり病気を治す場合…、治療も大事ですけど、患者さんの心って、とても重要な要因の一つではあるので、「祈る」って大事な事だと思うんですよね。

「あぁ~なるほど…」…と思った事。

近所のお寺の入り口に標語というか…『お寺の掲示板』的な、仏教の教えや、見る人が「だよねぇ~」と思う言葉が数ヶ月おきに張り出されているんですよぉ~。

先日、お寺の前を通りがかると「人の正義は誰かを傷つける」って書いてあったんですよねぇ~。

ほほぉ~…なるほどねぇ~…(゜_゜)

確かに…。今、世界中で起こっている紛争や戦争もさる事ながら…、身近で起こる、仕事上や友人同士のトラブル…、はたまた…御近所トラブルに至るまで…、トラブルの当事者達は「自分が正しい!」「正義は我にあり!」って思ってるはずなんですよねぇ~。

そう言えば…、映画監督の是枝さんも「正義というものは、悪意よりも人を傷つける事がある…」って何かのインタビューで言ってたっけな…。

僕も気をつけないとなぁ~…って思います。

話しは…少しだけ変わりますが…

先日、実家に帰省した時に感じた事なんですけど…

僕の実家の街には、ロータリーと呼ばれる6本の道がつながっている交差点が、昔からあるんです。その交差点には信号機は無く、必ずロータリーに入る時には一旦停止をして、左右確認した後、左側にしか曲がれません。右の道路に入りたい時は、ロータリを時計回りに周り、目的の道に入る。

確か、有名なロータリー交差点は、パリの凱旋門がロータリー状になっていたと思います。

このロータリーの交差点を上手く走るコツは、譲り合いなんですよねぇ~。ロータリーに入っている車が多い場合は、ドライバー同士の判断での譲り合いになります。

このロータリーを走る時に、いつも思うんですが…「譲り合っていれば事故なんて起こるはずはない…」って思うんですよねぇ~。

更に言えば…、車も法定速度を守って、イライラせず、スマホを見たりせず、急いでいたり…考え事をしながら運転したりしなかったら,事故が起こる確率って、凄く低いと思うんですよねぇ~。

先日、この事を友人に話したら「そんな事、言うけど、誰かにぶつけられたらどうするの?…もらい事故っていうのもあるだろ!?」って言われましたが、皆が譲り合う気持で運転していたら、もらい事故すら起こる確率は低くなるとは思うんです。

でも、確かに…理想と現実は違いますよねぇ…。

人って、いつ何どきも「自分は正しい!」「正義は我にあり!」と、心のどこかで思っているものですし、「誰も見てないから、これくらいは、いいかぁ~」…とも思っているでしょうしね…。

車に乗ればイライラしたり、スマホが気になったり…。自然と、自己中心的な行動を取ってしまいがちになる生き物だとは思いますが、「人の正義は誰かを傷つける」という言葉を、心の片隅のどこかで記憶しておけば、もしかしたら、いざという時に、間違った行動ではなく、正解の行動が取れるやもしれませんね…。