素養と努力の違いについての恣意的考察

別にたいした事じゃないんですけど…、最近「人の能力って凄いなぁ~」って思うんです。

僕は趣味でギターを弾くんですが、どうしても弾けないフレーズを、スピードを落として、ゆっくり…自分の指に覚えさせるように、何日かかけて練習してみると、数日後には力む事なく、弾ける確率が高くなるんですよねぇ~。

ゆっくり弾く練習は正直言って、全く楽しくないし…面倒くさいし…、出来ればやりたくない練習ですが、確実に技術を習得するのに必要な行程のような気がするんですよねぇ~。

ただ、これだけの事なんですけどね…(^^;)

「出来なかった事が出来るようになった…」って感じた時、人の能力って凄いなぁ~って思うんですよねぇ~。

こういう…コツコツと能力を高める行為は、素養と素質で言うと…『素養』に分類されるんでしょうね…。

「素養」という言葉の意味を調べてみると「普段から養い蓄えている教養。 普段から修養を積む事。」とあります。…思えば、子供の頃から親や、学校の先生から口酸っぱく言われていた事ですが、親や先生からは「素養」という言葉ではなく「努力」という言葉に変換されて伝えられていたように思うんです。

イメージとして…「努力」って、とても尊い行為で、努力しない奴はダメな奴…というレッテルを貼られる側面も持ち合わせていると思うんですよねぇ~。

結果を得られた場合は「努力が実った!」という事になるんですが、努力した結果を少しも感じられなかったら、やっている本人にとっても、努力って、とても無駄な行為にしか感じられず、「努力=無駄」という経験値が積み重なれば、次第に努力する事を避けて生きていくようになると思うんです。

僕も…どちらかというと「努力」って、良い結果を求められているような気がして、少しプレッシャーを感じるので、あまり好きな言葉では無いんですよねぇ~。

自分なりに努力はしていても、結果が出なかったら「努力が足りない!」…って言われる事に矛盾を感じる事が多かったからかも知れません。

それに反して「素養」って、自分自身が興味を持ったモノに対して、突き詰めていく行為として捉えているので、僕は努力より素養という言葉の方が好きです。

なんか…日頃から努力し続けてると、肩が凝りそうでね…(^^;) 

近頃、よく目にしますけど「努力義務」って言葉も好きじゃないなぁ~。「努力」に「義務」がくっ付いて…。重すぎるわ!…って思います。努力義務って、やんわりと強制する感じがして、嫌だなぁ~。

日頃から素養を高める方が、気軽な感じで自分を高めているように思えるので、僕には合ってるかなぁ~って思うんです。

『素質』っていうのは、所謂、天性の能力と言いますか、生まれつき持っている性質や能力ですよねぇ~。おっとりしてるとか、攻撃的だとか…、素質も人の将来を左右する重要な要因だとは思うんですが、生きていく上で重要なのは素質よりも素養だと思うんです。

能力を持っていても、使い方を間違えると、とんでもない事になりかねませんしね!

まぁ~素晴らしい素質の持ち主に、素晴らしい素養が兼ね備えられれば、最強だと思いますが、そんな人…いるのかな? …ん?…大谷君?(゜_゜)

案外、何かが欠けてたり…「そこは良いんだけど、あそこがねぇ~」っていう人が、大半だと思うんですよねぇ~。

僕自身も、子供の頃から現在に至るまで、何でもすぐに出来るような人では無かったから「素養と素質を兼ね備えている人なんていない…」…と思い込みたいのかも知れませんが…(^^;)

何かを少しずつ習得するという行為は好きなのかも知れませんねぇ~。…だから職人さんに憧れているのかもしれません。

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