頭を柔軟にして『祈る…と医療について』考えてみた…♪

先に言っておくと…、僕自身は無宗教に近い感覚で生きてますが、神社の傍を通ると「お参りしておこうかな…」と、お賽銭をチャリンと入れて、お参りしますし…、お盆…もしくは、彼岸が近くなると「墓参りしないとなぁ~」って思います。また、どこからともなく賛美歌が聴こえてくると「綺麗なメロディーだなぁ~」って思いますしねぇ~。

学校の授業では教えてくれなかったから、大人になって「ユダヤ教や、キリスト教や、イスラム教の違いくらいは知っておかないとな。」…って思い、宗教に関する本を何冊か読んだ事はありますが、表面的な事しか理解してないと思います。

もし誰かに…「あなたの家の宗教は何ですか?」って尋ねられたら…「たしか…、お墓がある寺は禅宗だと思うけど、曹洞宗だったかな?臨済宗だったかな?」…っていうくらいの宗教観ですゎ!

前もって、なんでこんな事を書いたかというと、「祈る」っていう事について書くと「もしかして…この人は、何かの宗教にハマっている人なのかも…」なんて思われるかも知れないから、とりあえず「僕の立ち位置は、自己診断ではフラットな感じです。」…って言っておかないと、勘ぐられるかな?って思ったもので…(^^;)

今回、なぜ「祈り」について書こうと思ったのか…、というと「祈りと医療」に関して、ふと…思った事があったもので、ブログに書く事にしたんです。

まぁ~歴史的な事を知ってるか?知らないか?で、考え方も違うと思うんですが、簡単に言えば…、医療が日本に伝来して根付いたのは奈良時代だったかな…?

…それと共に?…いや…、もしくは、それ以前から、大陸から仏教と、ともに医学が伝来して来る以前から、祈って病気を治すという事は、そこかしこで行われていたわけなんですよねぇ~。

良く映画などで描かれてる、弘法大師・空海や、陰陽師の安倍晴明などは、祈る事で人の不安を取り除こうとしていたスパースター的な存在ですよねぇ~。

で…、祈るという行為が非科学的だという事で、祈る事を医療行為から排除したのが明治時代。

医療行為と言っても、奈良時代の頃から明治時代初期の頃までの医学は、今の医学とはかけ離れていて、手数というか…?手段というか?…治療の方法?も、今に比べて少なかったわけなんですね。

明治以降、現代医学の発展で、僕らは、今みたいな医療の恩恵を享受できているわけですが、「今の医療が当たり前!」「祈るだけで病気が治るわけ無いじゃん!」と思っているステレオタイプの人は、「祈る事と、医療を同等に考えるなんて、非科学的でナンセンスだ!」って思うんでしょうね。

でも…、そこで…

「病気って、どうして…病気になるんだろか?」って考えると、まぁ~色々と原因は思い浮かぶと思いますが、凄くシンプルに考えると、一般的な病気は「ストレス」「血行不良」が病気の始まりだと思うんです。

血行不良は運動不足を解消する事で解決できるとして、ストレスって色々な原因でストレスが溜まるものだし…、ストレスを解消する薬って現代医学をもってしても、未だ開発されてませんよね!病院に行っても、お医者さんからは「好きな事でもして、ストレス発散して下さいね!」…というようなアドバイスを受けるくらいでしょう~。

生きていれば、体調不良を感じたり、病気になったり、…もしくは大病を患ったりして「病気になって、神にもすがる思いで…」っていうシチュエーションは、誰しも望みはしないけど、現実的には多々ある事だと思うんです。

僕が思うに、別に…、すがるのは、神でも仏でも、何でも良いと思うんです。

祈る事で自分の不安を取り除く…。

その人にとって…、その患者さんにとって…、祈る事でストレスが少しでも軽減するのであれば、それは病気の予防や治療と、何ら変わりなく…、病気の原因であるストレスを、病院に行く事で軽減してくれないのであれば、祈る事でストレスを軽減しようとする行為って、とても大切で大事な行為だと思うんですよね。

ただ、御存知の通り、人の弱みにつけ込んで「信じる…祈る」という気持を嵩に掛け、金品をボッたくろうとする輩がいるのは、いつの世も変わりないわけで…、その点は要注意ですよね…(^^;)

やはり病気を治す場合…、治療も大事ですけど、患者さんの心って、とても重要な要因の一つではあるので、「祈る」って大事な事だと思うんですよね。

「あぁ~なるほど…」…と思った事。

近所のお寺の入り口に標語というか…『お寺の掲示板』的な、仏教の教えや、見る人が「だよねぇ~」と思う言葉が数ヶ月おきに張り出されているんですよぉ~。

先日、お寺の前を通りがかると「人の正義は誰かを傷つける」って書いてあったんですよねぇ~。

ほほぉ~…なるほどねぇ~…(゜_゜)

確かに…。今、世界中で起こっている紛争や戦争もさる事ながら…、身近で起こる、仕事上や友人同士のトラブル…、はたまた…御近所トラブルに至るまで…、トラブルの当事者達は「自分が正しい!」「正義は我にあり!」って思ってるはずなんですよねぇ~。

そう言えば…、映画監督の是枝さんも「正義というものは、悪意よりも人を傷つける事がある…」って何かのインタビューで言ってたっけな…。

僕も気をつけないとなぁ~…って思います。

話しは…少しだけ変わりますが…

先日、実家に帰省した時に感じた事なんですけど…

僕の実家の街には、ロータリーと呼ばれる6本の道がつながっている交差点が、昔からあるんです。その交差点には信号機は無く、必ずロータリーに入る時には一旦停止をして、左右確認した後、左側にしか曲がれません。右の道路に入りたい時は、ロータリを時計回りに周り、目的の道に入る。

確か、有名なロータリー交差点は、パリの凱旋門がロータリー状になっていたと思います。

このロータリーの交差点を上手く走るコツは、譲り合いなんですよねぇ~。ロータリーに入っている車が多い場合は、ドライバー同士の判断での譲り合いになります。

このロータリーを走る時に、いつも思うんですが…「譲り合っていれば事故なんて起こるはずはない…」って思うんですよねぇ~。

更に言えば…、車も法定速度を守って、イライラせず、スマホを見たりせず、急いでいたり…考え事をしながら運転したりしなかったら,事故が起こる確率って、凄く低いと思うんですよねぇ~。

先日、この事を友人に話したら「そんな事、言うけど、誰かにぶつけられたらどうするの?…もらい事故っていうのもあるだろ!?」って言われましたが、皆が譲り合う気持で運転していたら、もらい事故すら起こる確率は低くなるとは思うんです。

でも、確かに…理想と現実は違いますよねぇ…。

人って、いつ何どきも「自分は正しい!」「正義は我にあり!」と、心のどこかで思っているものですし、「誰も見てないから、これくらいは、いいかぁ~」…とも思っているでしょうしね…。

車に乗ればイライラしたり、スマホが気になったり…。自然と、自己中心的な行動を取ってしまいがちになる生き物だとは思いますが、「人の正義は誰かを傷つける」という言葉を、心の片隅のどこかで記憶しておけば、もしかしたら、いざという時に、間違った行動ではなく、正解の行動が取れるやもしれませんね…。

『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』を読んでみた。

樋口直美さんの本で、最初に読んだのは『誤作動する脳』で…、その後に読んだのは『「できる」と「できない」の間の人』でしたね…。

…で、ちょうど『「できる」と「できない」の間の人』を読み終えた時に、この『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』が文庫化された事を知り、先日、この本を読み終えたんです。

以前、ブログに『誤作動する脳』『「できる」と「できない」の間の人』の感想を書いて、はりきゅうふくたのHPの『最近読んだ本』に記載してますが、数年前に義父がレビー小体型の認知症と診断を受けた事が、樋口さんの本を読むキッカケなんです。それと昔からの友人が、最近、若年性の認知症らしい…という診断を受けたので「レビー小体」「認知症」「脳萎縮」という言葉をとても身近に感じていた事もあり、レビー小体型認知症の当事者が出筆されている本って、とても貴重な体験談ではあるし、鍼灸で、この症状が治る・治らない…という話しではなく、この症状の当事者が、どういう気持で、どんな状態なのかという事を、少しでも理解出来れば…と思い、読み始めたのが『誤作動する脳』という本なんです。

…で、その後、武田砂鉄さんのラジオを聴いていて、番組の『金曜開店 砂鉄堂書店』と言うコーナーで『「できる」と「できない」の間の人』が紹介されていて…「あっ!樋口直美さんの新刊が出るんだ!…買って読~も~お!」…と思い、本を購入し、読み終わったあと、感想をブログに書き、SNSにリンクを貼ってたら、樋口さん御本人から「丁寧なご紹介、ありがとうございます!」…と、ポストを頂き、『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』が文庫化された事を教えて頂いたので、今回、この本を読んだんですよぉ~。

樋口さんの本を読んだのは、この本で3冊目なんですが、読んでいて、気がづく事が多くありました。

書かれていた中で、「将来、どうなるか分からないのは健康な人も同じだ…」って書いてある事に,「確かになぁ~」…って思いましたね…。あらゆる病気は…、誰がなっても不思議ではないって事を、誰もが健康体の時は、あまり意識してないんですよねぇ~。

あと、目からウロコだったのが「心配や過度の気遣いは不要です。「元気?」「大丈夫?」ではなく、「どうしてる?」と、たまに連絡してもらえたらうれしいです。…「どうしてる?」と訊いてもらえたら、何と答えるか悩むことなく、自然に本当のことが話せます。」…っていうような事が書かれていて、これは病気になった当事者でしか分からない事だなと思いましたね!

…後日、数年前に大病した友人に、この事を話したら、「確かに!「元気?」とか「大丈夫?」って言われると、気を使われてる感が前面に出すぎて、訊かれて話す方も気を使ってしまうもんね!「どうしてる?」って訊かれると、普段の会話みたいな感じで話せるから「どうしてる?」の方が良いと思うよ!」って言ってました。

あと…、これは、以前、読んだ,樋口さんの本にも書いてあったと思うんですけど、認知症は医学的な病名ではなくて、認知機能の低下によって、日常生活や社会生活に支障をきたす状態を示す言葉なんだけど、現在では認知症を引き起こす様々な病名の総称として、十把一絡げで「認知症」という言葉が使われている為、本来なら認知症を起こす病気は何十種類もあり、多くのパターンがあって、記憶障害がないパターンの病気もあれば、そうではないパターンがある事を、一般の人は認識していない為、認知症というカテゴリーで一括りにしてしまいがちになり、多くの矛盾や誤解や偏見を生んでいる。…というような事が書かれていました。

認知症だけに限らず、色々な病気に於いて、病気を一括りで語ってはダメだ!…という事ですよね。…肝に銘じておかなければいけない事だな…と思った次第です。

あぁ~それと、コレも、以前、読んだ,樋口さんの本にも書かれていたと思うんですが、幻視・幻聴は本人には本当に見えてるし、聞こえているという事を,僕らは理解しておかないと、「本当に見えてるモノが見えるからビックリして反応しているし、言葉が聞こえるからビックリしているのに、認知症だから無い物をあると言って狂人扱いされる」…というような事が書かれていました。…確かになぁ~。この状況の当事者になったら、本当に孤独になるよなぁ~…。

あと…この本に書かれていた事で、樋口さん御自身が、ツボの本を読まれて、ツボ刺激をされてみたり、お灸を試されてみたり、漢方医に漢方薬を処方してもらって、それが効いたり…体調とともに効かなくなっていたり…、という事が書かれていたんですが、鍼灸師の僕が、このくだりを読んで「あぁ~なるほどな!」…と思ったんです。

これはどういう事かというと…

やはり…治療というものは、その時のバランスを整える事なんだな!って事を再認識したんです。

体調というものは、その都度、変化するものなんですよね!でも健康体であれば、体調の許容範囲の幅が、ある程度あり、その許容範囲から、はみ出ない限りは体調のバランスを整える必要はない。…いわゆる「治療を受ける必要はない」って事なんです。

病気になると、その許容範囲が、著しく狭くなるので、許容範囲からはみ出す事が多くなる。…だから、その都度、バランスを整えるための治療が必要なんだけれども、体調って、その都度、変化するものなので、数日前は効いても、今の状態は、以前効いていた薬が効かない…。もしくは以前、使ってたツボの刺激が効かない…。というのは当たり前の事なんでしょうね。

なので、その都度、変化している体調に合わせて、バランスを整えていく事が、本来、治療のあるべき姿だと思うんです。

『治療⇒治す⇒元に戻す』…という感覚で病気と対峙していると、どこかで必ず「今の技術では治る病気もあれば、治せない病気もある」という非情な現実を直視しなければいけない時もあると思うんです…。でも、いつ、いかなる時も希望は持っていたい。…そのために『治療⇒身体のバランスを整え、今、出来る限りの良い状態を保つ』…これって、とても重要な事だと思うんですよねぇ~。

現代医学の良いところは、日進月歩で進化し続けているって事だと思うんです。今,治せない病気でも、いつか治せる時が来るかも知れない。そのためには、今、その都度、変化している体調に合わせて、バランスを整えていく事って重要だと思うんですよね!

この本にも書かれていたんですけど、樋口さんの症状が悪くなり、今までの薬が効かなくなった時に、漢方医が「また…一からだな!」と、脈を取り、問診し直して処方した漢方薬は、その時に効いて楽になったと書かれていたように記憶してます。

この漢方医のお医者さんも、体調のバランスを整える事に、重きを置いていらっしゃったんでしょうねぇ。

僕は鍼灸師ですが、認知症やレビー小体…その他、色々な病気、全てが鍼灸で「治る」…とは思っていません。やはり…治る病気もあれば、治せない病気があるのは事実です。でも、どんな病気であれ、その都度、その人の身体のバランスを整えて、出来るだけ良い状態を維持する、お手伝いは出来ると思っています。

あとは、患者さんが、どのような状態なのかを、体験談や、こういう本を読む事で、少しでも理解出来たら…とも思います。

万能ではないんですけどね…、少しでも力になれれば…。とも思っています。

松・竹・梅…どれにしますか?

まず…今回、言いたい事は『病気にならない事が一番、大事だ!』という事を伝えたいんです。

例えば…

池から女神が現れ「あなたが落としたものは、金の斧ですか?銀の斧ですか?鉄の斧ですか?」…って童話がありましたよね!…あなただったら、何て答えますか?…(^^;)

斧としては、素材が金や銀だと、全く斧としては使えないけれども、物の価値としては、鉄より銀、銀より金ですよねぇ~。近頃は金が高騰していて、1gが13,000円って、先日「マツコの知らない世界」というTV番組で言ってましたねぇ~(^^;) 20年前は1g1,300円だったらしんですけどね…。凄え~なぁ~。20年前だったら、ちょっと頑張れば買えただろうに…。買っとけばよかったなぁ~…後悔先に立たずですね…(^^;)

金の価格高騰…という話しは別として、「金、銀、鉄…どれかプレゼントするよ!どれがいい?」…と言われたら、誰しもが「金を下さい!」って言うでしょうねぇ~。

松竹梅…っていうのもありますよね!

モノの値段に松:10,000円、竹:8,000円、梅:5,000円と、3つのコースがあったとすると、人って真ん中の「竹」を選ぶ傾向にあるみたいなんです。お金持ちだったら、何も考えず「松」を注文するんでしょうが…(^^;)、これって、人の心理で…、人間って一番高いものや一番安い物を避ける傾向にあるらしいんです。

これって「松竹梅の法則」って言って、一番高い値段のモノは贅沢に感じるし、もしも値段に見合わないモノだった時の事を考えて、後悔しないための回避行動…。一番値段が安いモノを選ぶと「貧乏に思われるから…」という見栄が関係しているそうなんです。

もしも…医療で「この治療には、松・竹・梅と3パターンのコースがございますが…どれにしますか?」って聞かれたら、どうするでしょうか?…経済的に余裕があれば、迷う事なく「松で、お願いします!」って言うでしょうねぇ~。

「高度な医療」と「普通の医療」…どちらを選びますか?…って聞かれると、気持としては、100%の人が「高度な医療」を受けたいと思うでしょう。

いつ…いかなる時も「高度な医療を受けたい」「名医の治療を受けた方が安心できる」「神の手と言われる先生の治療を受けたい」…と思う気持も分からなくはないけれども、裏を返せば、「高度な医療」「名医」「神の手」を必要とする病気や症状って、相当、身体が悪い状態になっているって事なんですよねぇ~。

高度な医療があるから…。名医がいるから…。神の手を持っている医者がいるから大丈夫!…ではなく、出来れば、名医や、神の手を持つ医者や、高度な医療と関わらない生活を送らなきゃいけないんですよねぇ~。

ただ、世の中には、生活習慣が原因で起こる病気とは別に、生まれ持って…とか、遺伝的な…とか、原因不明の病も多くあり、そういった病の患者さんは、選択の余地無く、高度な医療や名医や神の手が必要な場合もあるでしょう。

今、ここで書いている内容は、生活習慣が原因で起こる病に関しての提案ですので、御了承下さいね!

…「出来れば、名医や、神の手を持つ医者や、高度な医療と関わらない生活を送らなきゃいけない…」って事に対して…

「じゃあ…どうすればいいのか?」…って、よく聞かれますが…

やはり、大事な事は、若かろうが、歳を取っていようが…、年齢に関係なく、睡眠と食事と運動。この3つが大事なんですよねぇ~。

寝てる時に睡眠中の脳では、老廃物の掃除が行われていると言われていますし、近頃の認知症やら脳障害に関する病気の事を考えると、睡眠ってホントに重要ですよねぇ~。

食事も、よく噛んで、ゆっくり食べると腸が活性化して免疫も上がると言いますしね!食事を摂る事って行為は、身体を構成する細胞を維持する為の材料を、身体に取り込む行為ですよね!適当な食事…もしくは、あまり身体にはよくない食事を食べていると、身体を良い状態には保てなくなる事くらい、誰でも理解出来るはずです。。例えて言えば、ガソリン車にハイオクのガソリンを入れるのは燃費が良くなって良い事ですが、値段が安いから…と、ガソリン車に軽油を入れたら、エンジンが焼き付いちゃって壊れちゃいますよね!

それと…、現代人の体調不良って必ずと言っていいほど、血行不良が関わっていると思うんです。ストレスを感じるだけで、血の流れって悪くなりますし、疲れるだけでも血流は悪くなります。…そこで大事なのが運動なんですよねぇ~。動くと必ず血の流れは良くなります。

松竹梅でいう「松」。金の斧・銀の斧・鉄の斧でいう「金」。…所謂、高度な医療を受けたければ、受ければいいと思うんですが、同じ事を何度も言いますけど、高度な医療を受けなければいけない状態は,病が進んでいる状態です。…そうなる前にやるべき事は?

正直言って、高度な医療を受けなければいけない状態の病気になってしまうと,鍼灸や東洋医学では限界があります。

でも、そうなる前の、睡眠や食事や運動を見直す事で病気を回避出来る段階では、鍼灸や東洋医学は大いに役立つことが出来ます。

日本は国民皆保険で、ある程度の高度な医療でも高額医療費控除が利用でき、自己負担が少なく高度な医療を受けれるシステムになってますが、新薬などを使う場合や、より高度な医療を受ける場合、明らかに経済的な理由で「松・竹・梅…どれにしますか?」というような選択を迫られる瞬間に出くわすやも知れません…

医療を受けなければいけない時に「松・竹・梅…と、ございますが…どれになさいますか?」なんて言われるのは嫌でしょ!?…(^^;)

じゃぁ~どうするか?

「睡眠と食事と運動などの生活改善に取り組み、疲れを感じたら、鍼灸治療を受ける。」

体調に異変を感じたら…ではなく「疲れを感じたら!」…ですからね!「異変を感じる」って事は、病の前兆や、既に病が進行してる可能性が高いと考えていいと思います。

そうなる前に…

何事も「備えよ常に!」という考えで、健康と向き合うならば、…睡眠と食事と運動などの生活改善に取り組み、疲れを感じたら、鍼灸治療を受ける。…ですよ!

備えた…とて、とも思うけど、やれる事は備える事くらいしか出来ないから…

昨夜、83歳の母が、家族Lineに…

「昭和18年9月10日に鳥取の震災があったので、9月10日の今日、防災の日の訓練で携帯が凄い音で鳴り響きビックリした!!…最近は色々と災害が起きるけど、いざという時に、どうすればいいのかわからない!?」

…と、書いて送ってきたんです。

確かに…最近は台風の勢力が強く、ゲリラ豪雨や、突風…強風…竜巻…などなど…

地震に関しても、年明けの能登の地震や、先日の南海トラフに関連するのかも…という地震など…

最近は、どこで何が起こっても不思議では無い感じですもんねぇ~。

僕は昭和40年生まれなので、昭和18年の鳥取の地震は体験してませんが、以前,父から聞いた話しでは、父が学生の頃、本家は昭和18年の地震で倒壊し、昭和27年に起きた市街地を3分の2焼失した大火で全焼したから、写真などは一切残ってない…って言ってたっけな。

「自然災害は、どうあがいても、避けられるものでは無いよな…」とは思うのですが、誰しも、いざという時には「どうしたらいいか分からなくなる…」と思うんですね。

自然災害に対して、備えたとて、人間の力は微々たるモノだと思うんですが、心の準備は、してると…していないとでは、明らかに行動に差が出ると思うんです。

なので、母のLineに対しては「台風の時は…、地震の時は…、と、色々な災害を想定して、その時にどう動くかを書き留めておくと、いざって時に身体が動くと思うよ!」って返事を書いておきました。

そう言えば…

自然災害では無いけど、今日は9月11日。同時多発テロの日でしたね。

アメリカで9.11だから、日本では9月12日か…

あの日は、アクロス福岡で河合隼雄さんの講演を聴いてたっけな…

やっぱ…バランスなのね!

以前、今年の5月のブログに「「病気を治す」⇒「元に戻す」という考え方は、間違っていると思うようになった…」という事を『「病気を治す」について一歩踏み込んで考えてみた…』というタイトルのブログに書いたんですが、今回も、改めて…

病気は医療従事者が治すモノではなく、病気を治しているのは患者さん本人の身体であって、意識しなくても常に身体の中では、修復や修正を繰り返しているので、医療は、患者さんの…今の状態の身体のバランスを維持出来るようにサポートしている。…もしくは身体の中を整えている。

これが、通常の体調不良や病気を改善する際の、あるべき姿だと思うんです。

ただし…、現代では医療技術や医療器具が発達し、移植手術やら、IPS細胞で臓器を再生させたり、2~4mmの太さの血管内にカテーテルを入れ、ドリルで狭くなった血管内を削って冠状動脈の血流を改善できるようにしたりと…「病気は医者が治しているだ!…それに対して、なんの疑いを抱く事がある?」…って思うのも、ごもっとではあるんですが…、たしかに、病気があるレベルまで達し、身体の修正能力では対応出来なくなってしまった場合「医者が病気を治す」という図式は成立すると思います。でもね…このような手術や治療を受けなければいけないという事は,相当、身体の状態が悪く、選択の余地がないくらい、重い病気を患っているって事なんですよね!…本来、今、ある程度の健康状態を維持出来ているのなら、「医者が病気を治す」レベルの治療を受けるような、そんな状態になってはダメなんですよねぇ~。

よく…TVを見てると病気の保険のCMで「一時金として100万円が…」とか「充実の保証!」と、謳い文句が出た後に、安心するような笑顔の老人の顔が映って「それなら安心ね!」と,保険に入る事を促すCMを見ますが、病気になって充実の保証を受けるより、病気にならない事の方が大事なんだけどなぁ~って思うんですよねぇ~…(^^;)

話しが脱線しちゃいましたが、ココで書いている『通常の体調不良を改善する際の、あるべき姿…』とは、大病を患わないようにする段階の話しですので、御了承下さいね。

先日、YouTubeで『東洋医学が本当はすごい』という、先日、読み終わった『東洋医学はなぜ効くのか』という本の著者の1人、島根大学の教授、大野さんと、脳科学者の茂木さんと、もう1人、YouTubeのページの開設者の鼎談番組を見たんです。

その中で、大野さんが「漢方薬の生薬の成分は、既に分かっていて、この症状には、この成分が効いているという事も分かっているのだけれども、じゃぁ~その成分だけを抽出して飲ませればいいかというと、そではなく、その抽出した成分だけを飲ましても、効きが弱いという現象が起こるんです…」というような事を話されてました。

確かに漢方薬っていうのは、足り無いものを補う補剤の性質が強い薬もあれば、余っているモノを削ぎ落とすような瀉剤という性質の薬があったりします。

一番有名な漢方薬で言えば葛根湯…。

この葛根湯は、どちらかというと瀉剤の性質が強く、汗が出ない実証の患者さんに使われたりしますが、虚証の場合の風邪には桂枝湯が使われます。…桂枝湯はどちらかというと補剤なわけですよね!

でもね!…桂枝湯に麻黄と葛根が入ったものが葛根湯なんですよねぇ~。だから、葛根湯は瀉剤の性質が強いと言っても、ベースが桂枝湯なので、補剤も入ってるわけなんですよねぇ~。

漢方薬って、瀉剤の中にも補剤が入っているし、補剤の中にも瀉剤が入っているものが多いんですよねぇ~。

先日、読んだ『東洋医学はなぜ効くのか』という本には、漢方薬は腸内細菌のエサになっていて、身体が、その時に必要としているものを取り込んでいる。…というような事が書かれていました。

どうしても、現代人は「効く」という事だけが重要で、「余計な事や、不要なモノは必要ない…」と考えがちですが、意外と、その不要なモノや、余計な事が重要だったりするんですよねぇ~。

鍼灸にも『平補平瀉』という考えがあり、まずは余計なモノを取って、その後に補いバランスを取り、整えるという鍼灸の技術があるんです。患者さんにしてみたら「なんで…そこに鍼や灸してるの?痛いのは肩なのに…」と思われる事があるかも知れませんが、これもバランスを取るための大事な手法なんですよねぇ~。

近年は便利なモノばかりを求め、利便性を追求しがちですが、案外、利便性を求めるが故に、排除された事柄が、意外と重要だったりして、知らず知らずの間に、得るはずだったモノを逃してしまう事が多いのかも知れません。

近頃は「AIが仕事を奪う…」とか、「AIの技術が向上して、人間がダメになる…」という話しを、よく聞きますが、よくよく考えてみれば、そのAIを作っているのは人間だし。人間がやっていた仕事をAIにやらせているのも、人間なわけで…、一番怖いのは人間だと思うんですよねぇ~。

自分でAIを作っておいて、AIが人間をダメにする…って、AIをスケープゴートに仕立てている感じが否めないですねぇ~…(^^;) 

またまた…話しが脱線しちゃいましたね…。(^^;)

「医療は、患者さんの…今の状態の身体のバランスを維持出来るようにサポートしている。」…っていう話しですが…

若い20歳代の人と、70歳代の老人とでは、同じ体力であるはずが無いわけですよね!

世代…世代で、違うステージを歩んでいるわけなんです。

「病気を治す」⇒「元に戻す」という考え方は、なぜか年齢の事は考慮せず「病気ではない身体を取り戻す」⇒「元気だった頃に戻る」という理屈を構築して、元に戻らない身体と、元気で若かった頃の自分を照らし合わせ、ジレンマに陥る傾向にあると思うんです。

病気になると言う事は、何かしらの機能が低下してしまうって事なんですね!

歳を取った人が若返れないのと同じで、低下してしまった機能は、元には戻らない。もし、かろうじてその機能が使えたとしても、100%のパフォーマンスを発揮できないものなんです。

なので…「病気を治す」という事は「バランスを整える」と言う事だと思うんです。バランスを取り、100%ではないんだけれども、今、出来る限り可能なパフォーマンスを発揮できるように身体を整える事が、人を治療するという事だと思うんですよね!

「忌む」…という言葉。

そんなに…頻繁では無いんですが…、4~5年に1回ほどのスパンで、患者さんと話しをしている時に「忌む」という言葉が頭に浮かぶ事があります。

忌野清志郎さんの「忌」…。忌引きの「忌」…。辞書によると「不吉(ふきつ)な事や、穢れた事として、嫌って避ける。」とあります。

漢字だけを見ると「忌」って「己」の「心」と書いて、…「忌」。

己の心が、そんなに不吉なのか?避けなければいけない、穢れたものなのか?…って思っちゃいますが…「忌」って「恐れる」の変形と考えてイイようで、「己」は「忌」の意味には関与しないんだそうな…。

さて、話しを元に戻して…

患者さんと話しをしている時に「忌む」という言葉が頭に浮かぶ…という件ですが、「時々、この患者さん…、病気を不吉な事や、穢れとして捉えてるなぁ~」って感じる患者さんに出会う事があるんです。

まぁ~確かに「健康でいたいですか?…それとも、病気になりたいですか?」と問われると、誰しも100%「健康でいたい」と答えるでしょう。

そんでもって…、不吉な事を言葉にすると、それが現実になると言うような、言霊信仰が日本にはあるので「病気=穢れ」と捉え、「言葉にするのもおぞましい…」と思っている人がいても不思議はないですね。それと、病気には伝染する病気もあるので、穢れや不吉な事が伝染する。…だから、恐れる。…忌み嫌う。…という考えが、その人の中で構築されているんでしょう。

まぁ~信じる…信じない…は個人の自由ですし、病気を不吉とか穢れと捉えるのも個人の自由でしょう。

でもね…

病気になる原因を知ろうとしない…というか、原因に目を向けないで、病気を事象と捉え、穢れや不吉な事として遠ざけていては、治るモノも治らない…と思うんですよね。

病気には遺伝的な病気もあれば、生活習慣などが原因のモノもあり、病気が遺伝する確率は50%といわれています。

なので、病気を忌み嫌う前に、修正出来る生活習慣を、もう一度見直す必要性を感じる事があるんですよねぇ~。

それと…

病気を忌むモノと捉えている人の特徴として、病気を忌むと同時に、病気になっている人も忌む傾向にあるような気がするんです。

伝染しない病気ですら、穢れと捉えて、病気になっている人を穢れた人として遠ざける…。もしくは関わらないようにする。病気を穢れと捉え忌む人の中には、そんな人もいたりします。…そこまでいっちゃってる人は、正直言って、「もう…どうしようもないなぁ~」って思っちゃいますが…

もう亡くなっちゃいましたが、以前、鍼灸の勉強会を主宰されていた先生が、「病は気づき…」という事を、よく話されていました。病気になる事は嫌な事ではあるのだけれども、病気になる事で、健康のありがたさを感じたり、今まで無理な生活をしていた事に気づいたり…、もしくは、命の尊さや、命のありがたさに気づいたり…。

…そう考えると、病気というモノは、忌むモノではない…と思えるんですよねぇ~。

あぁ~そう言えば、漫画『ONE PIECE』に出てくる、世界を支配する真の最高権力者の名前は「イム様」でしたね!…この「イム様」って「忌む」って言葉と掛けてたりするのかな?…(^^;)

やはり…甲子園♪

オリンピック…

全ての競技を見たわけではないけど、結構、楽しませてもらいましたよ!

オリンピックの次は…やはり…甲子園♪

別に高校生の頃に野球をやっていた経歴があるでもなく、風物詩として、楽しませてもらっている感じなんですが、そのままプロになれるようなスピードボールを投げる投手がいたと思えば、120Km台のボールなんだけど、緩急つけてコースを攻める高校生らしい投手もいたりと…、高校野球って、見ていて面白いんですよねぇ~。

で…

今回、気になったのが「校歌」って色々なタイプの校歌があるなぁ~って事でした。

僕の通っていた高校は、歴史だけは古い高校だったので、校歌が軍歌みたいな感じでねぇ~。なんか古くさくて嫌だなぁ~と思っていたのと、1年生の頃に、怖い先輩方が校歌の練習と称して、中庭に1年生が全員、整列させられ…、怖い先輩方が竹刀片手に「声が出とらん!」と暍をいれつつ練習させられた思い出があるので、高校生時代の校歌には、あまり良い思い出がないのよねぇ~

そう言えば…

ちょっと前に、大分の高校だったかな?…南こうせつさんが作詞作曲した校歌を聞いた事があるんだけど、どう聞いても校歌というより、南こうせつさんの新曲にしか聞こえなかったなぁ~(^^;)

小田和正さんが作った横浜の高校の校歌は、小田さんの新曲と言うより、ザ・小田和正って感じのコーラス重視の校歌で、コーラス部が歌うならいいかも知れないけど、全校生徒で歌うのはパート練習が大変だろうなぁ~って感じでしたねぇ~(^^;)

最近、SNSで話題になってた、和歌山の高校だったっけ?レゲエ調の校歌っていうのを聴いた事があるんですが、レゲエっていうより、今どきのラップな感じで、校歌も随分と変化してんだなぁ~って思いましたねぇ~。

甲子園に出ている高校の校歌を聴いてると、軍歌でもなく、今どきなキラキラした校歌でもなく、イイ感じの「ザ・校歌」だなぁ~って感じる校歌の作曲者を見たら、作曲:古賀政男…だったりねぇ~…あぁ~ね!って感じでした…(^^;) 

やっぱ…甲子園で聴く校歌って、古賀政男さんとかが活躍していた時代の作曲者…、闘魂込めて…とか、六甲おろしなどを作曲した、古関裕而さんなんかが作った校歌などは、歌う側も気持いいんだろうな~って思いますねぇ~。

あと…、高校野球の監督さん。…多分、僕より年下の人が多くなったんだろうなぁ~…って思いました。

先日も、友人と居酒屋さんで飲んでいて、プロ野球の監督は、阪神の岡田さん以外は皆、同い年か年下だという話しになったんですよぉ~。岡田さんって、確か僕より6歳か7歳年上だったと思うんですねぇ~。そんでもってロッテの吉井さんと、西武のナベヒサさんが同い年。その他は全員年下だと思うんですよねぇ~。

20歳の頃は、当然、年下なのに、高校野球で甲子園に出ている高校生が、年上のお兄さんに見えてたり…、つい最近までは警察官や相撲取りは全員、年上に感じていたんですが…(^^;) 確実に、皆、年下ですもんねぇ~(^^;)

あぁ~歳を取ったなぁ~。しゃぁ~ない!しゃぁ~ない!と、甲子園の高校野球を見ながら、色々な事を思い浮かべながら、甲子園を楽しんでおりまする。

オリンピック…楽しませてもらってます♪

昨日の男子バレ…、日本vsイタリア…惜しかったですねぇ~。でも、良い試合でした。

久しぶりにバレーの試合を最初から最後まで観たなぁ~…。

でも…僕のバレーボールの知識だと、サーブでネットにボールが触れて相手コートに入るのは、認められていなかったと思うし、手が届かないボールを足で蹴って拾ってもダメだったと思うんだけども…、今はルールが変わってるのね!…(^^;)

さすがに、サーブ権が移行して点数に加算されるシステムが変わったのは知ってたけど、知らない間に色々とルール変更があってる事に、少し戸惑いましたゎ。

あぁ~…そう言えば…、柔道も、あんなに真剣に観たのは久しぶりでしたねぇ~。

柔道も、いつの頃からか、ルール変更があったらしく、レスリングのような感じに変わってますよねぇ~。柔道混合団でフランス戦での、安部一二三くんが負けた技…。観ていて「あれ!タックルじゃん!…柔道にタックルって技、あったっけ?」って思っていたら、柔道関係者曰く「変形の肩車」なんだそうな…。

肩車って技なんだぁ~…肩車って、どんな技だっけ?…とググってみたら、相手を横で肩に担ぎ挙げて仁王立ちしてる絵が出てきたんです…。

あぁ~ドラマの姿三四郎で沖雅也さんが、黒い袴をはいて、この技で相手を投げ飛ばしてたような気がする…(^^;)

変形の肩車?…ものは言いようだな…。やっぱ、柔道がレスリングのフリースタイルみたいに変わってから、あまり見る気がしなくなったんだけど、やっぱ、タックルは肩車じゃなくて、タックルだと思うなぁ~!…(^^;)

逆に…

レスリングのグレコローマンの方が、上半身のだけで組合ので、投げ技が綺麗に決まったりして、観ていて気持いいんですよねぇ~。

あと…,安部詩ちゃんの号泣してたのを観て、負ける事を1mmも考えてない人が、いきなり負けてしまうと、こうなるんだろうなぁ~。誰もが一生懸命、練習してあの舞台に立ってるわけだけれども、予期せぬ事が起こった場合、感情を抑えることが出来なかったんでしょうねぇ~。

あれを観て「僕はこんなに感情が高ぶり、抑えれなくなるくらい、物事に一生懸命取り組んだ事があっただろうか…?」って思ったんですよねぇ~。…多分、無いなぁ~。

まぁ~僕の性格上「絶対勝つ!」とか「負けん気が強い…」というタイプではなく、何かする時には、勝つつもりではいるけど、思考の何%かは「負けるかもしれない…」という気持を、保険のように持っていたように思うんですよねぇ~。…でも、安部詩ちゃんは、そうじゃなく、負ける事なんか全く考えていなかったんでしょう。

いやぁ~物事を極めようとしてる人って、凄げぇ~なぁ~…って思います。

サッカーも男子のスペイン戦は、ボール支配率をみてると、やっぱ…ちょっと格が違うな…って感じでしたねぇ~。女子サッカーのアメリカ戦は、正直言って、惜しかった。あの…デニスロッドマンの娘さんが決めたシュートが素晴らしかった。あの角度のシュートは止められないよなぁ~。

僕はダンスをするわけではないんだけれど…週末にあるブレイキンは観てみたいなぁ~って思ってます(^^;)

『東洋医学はなぜ効くのか』…を読んでみた♪

この本は…たしか…TBSラジオ『プレ金ナイト』という番組の「金曜開店 砂鉄堂書店」というコーナーで、武田砂鉄さんが、この本を紹介してるのを聞いて…

へぇ~…そんな本が出てるんだぁ~…読んでみようかな…と思ったんですよ!

著者の経歴をネットでチラ見すると、NHKで鍼灸や漢方を取り上げた特集番組を手がけている人と、島根大学医学部の副院長さんの共著…との事。

あぁ~…何度かNHKで鍼灸や漢方を取り上げてる番組を見たことがあるけど、この山本さんって人が、あの番組を作ってたのね!…ちょっと興味あるな…読んでみよう!…と、購入して読んでみたんです。

前半は鍼灸の事、後半は漢方薬の事が書かれてました。

まぁ~僕は鍼灸師という仕事柄、ある程度、東洋医学のことは理解しているつもりなので、目新しいことは書いてないだろうなぁ~…と思って読み進めましたが、やはり8割方、知ってる事が書かれていて、昔、学校で習った事を思い出しながら、復習も兼ねて読めたので、読んで良かったって感じでしたねぇ~。

逆に、鍼灸師の僕が、この本に書かれている事を知らなかったら…ちょっと問題かもね…(^^;)

僕が鍼灸専門学校に行っていたのは…、えっと…、今、鍼灸師になって21年目だから…、24年前。3年間学校で基礎理論的な事を学んだんですが、この本に書かれていた鍼灸の事は、鍼灸理論で教わった事と、生理学で教わった事が書かれてましたねぇ~。

ただ…「炎症反射」の事は知らなかったなぁ~。

「炎症反射」って、迷走神経と脾臓を介して起こる抗炎症作用なんだそうな…。

習ったけど、僕が忘れているだけなのかな?と思って調べてみたら、この「炎症反射」は論文が2002年にネイチャーで発表されているらしいんです。…2002年って事は、もう、僕が鍼灸の専門学校の3年になってる頃なので、その時は国家試験の勉強でイッパイいっぱい…の頃ですねぇ~。

2002年にネイチャーに発表されてから、その事柄や考え方が一般に浸透するまでには数年かかる事を考えると、僕が知らなくても当然か…と思う反面、こういう事は、日頃から情報を収集するアンテナを張っていないと、知らないままで過ごしてしまうわけですよねぇ~。…普段、よほど親切な人が傍にいない限りは、誰も教えてくれないしねぇ~…(^^;)

今回の「炎症反射」の件に関しても、この本を読まなければ、僕は知らないままで終わっていたわけで…

何歳になっても…、臨床経験が長かろうが、短かろうが…、情報収集は必須だな…と思いましたねぇ~。

後半に書かれていた漢方薬の事も、手前味噌という訳ではなく…、父が漢方医なもので、僕が子供の頃から漢方薬に慣れ親しんで育ってきた為「門前の小僧、習わぬ経を読む…」的な感じで、一般の人よりも少し詳しい程度…、爪の垢ほどの漢方薬の知識は持ち合わせているので、なんとなく知ってる事が書かれてました。

そんな中、なるほどなぁ~って思ったのが…「漢方薬が腸内細菌の上質なエサになる…」って項目は…面白かったですねぇ~。

漢方薬を構成する生薬には、それぞれ抗炎症作用があったり、鎮痛作用があったり、解熱作用があったりするので、その生薬の作用だけをみると、現代医学の解熱剤とか、痛み止めと同じ感じで、漢方薬を捉えてしまいがちですが、その症状を取る漢方薬もあれば、飲み続ける事で効果を高める漢方薬もあるわけなんですよねぇ~。

よく薬は飲み続けるものでは無いと言われる場合もあれば、飲み続けた方が良いと言われる場合もあったりと、矛盾している感じで「漢方薬って難しいなぁ~、結局、飲み続けていいと言う事は、お茶と同じ感覚で、あまり効かない…、即効性がないという事でしょ!?」…と、誤解してる人も多いと思うんですが、「漢方薬が腸内細菌の上質なエサになる…」という実験結果を見るに、漢方薬は大きく分けて2パターンの使い方があり、漢方薬を構成する生薬の作用で症状を取る場合は、短期的に漢方薬を飲む事で、副作用を出さず、薬が身体にダメージを与える事なく症状を緩和させる場合と、腸内細菌のエサとなり免疫力アップに貢献する事で身体をより良い状態に持って行く場合があるって事なんでしょうねぇ~。

いやぁ~勉強になりますわぁ~。

ただね…、この本の終わりの方…。第4章「人に効く」を科学する …という項目を読み進めていて、おや?…本当?そうなのか?…僕は違うと思うなぁ~と疑問に感じた事があるんです。

「そもそも「効く」とはどういうことか」サンタ論法の戒めと科学的根拠…という項目で、鍼灸治療が腰痛に対して効果がある事を主張するためには、どんな科学的根拠が必要なのか?という事が書かれていたんです。

それによると…

「鍼を打っ…、腰痛が治っ…、だから鍼が効い…」という「」が3つの「サンタ論法」は効果を単純化し過ぎなので科学的根拠とはならない。

…という事だけれど、僕が思うに、なぜ、そんなに科学的根拠に拘るのだろうか?そんなに裏付けの証拠が必要なんだろうか?…って思うんですよ!

必要なのは、科学的根拠で何が効いたかではなく、症状に苦しんでいた患者さんが楽になる事が、一番重要だと思うんです。

この本では、ランダム化比較試験という「腰痛患者を対象に鍼灸を受ける人と受けない人をランダムに振り分け、効果を比較検討して、鍼灸治療を受けた人の方が、腰痛の改善率が高かった」という比較試験が一番有効で、医学・医療の領域で治療法が客観的に「効く」と主張するには、ランダム化比較試験で有効性が示される事が重要だそうなんです。

でもね…、この本にも書かれているけど、「効く」はずの治療法を受けても、全員の病気が治ったり、症状が改善するわけではない。これを「医療の不確実性」と言い、医療行為に於いては100%と断言する事はできず、いつの医療にも、どの医療にも、必ず不確実性というモノが付きまとうわけなんですよね!

…という事であるならば、なおの事、「何が効いたかではなく、症状に苦しんでいる患者さんが楽になる事が、一番重要なのではないか?」…って思うんです。

裏を返せば…、エビデンスだの…、科学的根拠が必要だの…、と言っても「効く・効果がある」という言葉の裏側には「統計的に、どのくらいの割合の人に、どのくらいの効果が期待できる…」という、超曖昧な土台の上に成り立っているのがエビデンスだったり、科学的根拠だったりするという解釈も成立しますよね!

…ならば、無理矢理、東洋医学を現代医学のリング上に引きずり出さなくても良いと思うんですよねぇ~。

例えて言えば…東洋医学と西洋医学って、柔道と空手くらいの違いがあると思うんです。東洋医学と西洋医学の場合、病気で苦しんでいる人を助けるという最終目標は同じですが、アプローチも思考も違うわけですよね!

空手と柔道も、相手に勝てば勝ちですが、ルールが違いますよね!

東洋医学と西洋医学って、同じ道着を着ていても、柔道と空手みたいな感じで、ルールが違うモノだと思うんです。その違うルールの競技を同じリングというか舞台に上げて「このルールに従わなければ医療として認めない!」って、無理矢理感が満載ですし、医療や医学の原点に立ち返るとするならば、人を治療して、病気を治す…。もしくは症状を緩和させる事が目的なわけだから、科学的根拠やエビデンスが成立しなくても、患者さんが楽になれば、それで万々歳だと思うんですよね!

楽になったけど、患者さんが、まだ不安であるのならば、現代医学が得意とする、エビデンスや科学的根拠で「統計的に…どのくらいの割合の人に、どのくらいの効果が期待できますよ!」…と患者さんの不安を払拭すれば良いと思うんです。

なぜ?科学的根拠やエビデンスという1つのルールに全てをまとめなければいけないのかが、疑問に感じる部分ですねぇ~。

話しは少し変わりますが…

数ヶ月前に、大学時代の後輩が脊柱管狭窄症と診断を受けて、腰が痛いとSNSに書いていたので、「大変だね!身体を冷やさないようにね!」って書き込んだら、後輩が「ありがとうございます。フロにつかって揉んだりしてます。お医者さんから鍼灸院や整骨院には行かないでと言われました。」って返事があったんです。なんでも、そのお医者さん曰く「どの治療で良くなったか分からなくなるから…」という理由で「鍼灸院や整骨院には行かないで…」と言っていたらしんですね。

僕は根本的には脊柱管狭窄症は鍼灸で治るものではないと思っています。

でも、どんな病気にも程度(重症から軽症)があるので…、脊柱管狭窄症の病態を考えるに、体の構造・構成を考えると、骨と筋肉で体は支えられていて、脊柱管狭窄症は、いわゆる背骨(頸椎・胸椎・腰椎)の内部の脊柱管という管が靭帯の肥厚などで狭くなって、脊柱管内部で脊髄が圧迫される事で痛みや血行不良を引き起こす病気なんですよね!

あと、もう一つ脊柱管狭窄症の症状を起こす原因があるとするならば、患者さんが糖尿病を患ってる、もしくは糖尿病予備軍で、糖尿病により脊柱管の中の血管のダメージが大きい場合、脊柱管の血管の血行不良が起こる事で脊柱管狭窄症の症状が現れるんですよ…。

お医者さんの治療としては、血行を良くする薬を処方し、リハビリで体を動かす…、もしくは「歩きなさいよ」と患者さんに運動する事を勧めるか、最終手段としては手術で圧迫している部分の骨を一部除去して圧迫を緩めるしか方法がないのが実情だと思うんですよねぇ~。

糖尿病が原因の脊柱管狭窄症であれば、生活習慣や食事の改善が最優先でしょうし、加齢が原因の場合、投薬と運動で血液循環を良くしようとしているのであれば、鍼灸で患部の血行を良くする治療は、脊柱管の中の血管…とまではいかないまでも、脊柱を支えている多くの筋肉のバランスを整える事は、患者さんにとって有用な事だと思いますし、病院の治療と併用してもOKだと思いますが「鍼灸院や整骨院に行かないでね」と言うお医者さんは鍼灸に理解が無いか、もしくは鍼灸の事を認めていないお医者さんなんでしょうねぇ~。

このお医者さんがいう「何が効いたかわからないから…」って、例えば、学会で、この症例を発表したいという思惑があったりすると「色々な治療をすると、何が効いたか分からないから…」という理屈が通ると思いますが、その場合、患者さんは実験対象として扱われる事になるって事ですよね!

「どの治療で治ったか…」っていうのは治療する側のエゴであって、患者さん的には、早く治る…。もしくは治らないまでも、早く症状を軽くする事が重要だと思うんですよね!

…ちょっと後輩の話で脱線しましたが…

この本に書かれている…「『サンタ論法』は効果を単純化し過ぎなので科学的根拠とはならない」「ランダム化比較試験で有効性が示される事が重要」という考えって、患者さんの事を考えてる風でありながら、目の前の患者さんを楽にさせるより、医学・医療というブランドの信頼性を高める事を重視しているように、僕は感じるんですよねぇ~。

この本に関して、これ以外の部分は,楽しく読めたし、復習できて良かったです。