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『統合失調症がやってきた』と『相方は統合失調症』を読んでみた…♪
この本を読もうかな…って思ったキッカケは…、樋口直美さんの『誤作動する脳』『「できる」と「できない」の間の人』『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』を読んでいた時に、Amazonで、樋口さんの本をポチッ買いしていたら、Amazonのオススメに、松本ハウス 著『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』が出てきて、この本の存在を知ったんです。
樋口さんの本を読むキッカケも、義父がレビー小体型の認知症になったので「レビー小体型の認知症の人のリアルな記録を知っておく必要があるな…」と思い、読み始めたんですが、Amazonのオススメに出てきた『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』も、14~5年前だったか…、学生時代の友人から「ウチの子供が統合失調症になってさ…」…って話しを聞いた事があって…、当時は、もう僕は鍼灸師になっていたんですが…その時…「僕は統合失調症の事をどれだけ知っているのだろうか?」って思った事があったのを思い出したので、…この2冊は読まなければいけないな…って思ったのが読むキッカケなんです。
統合失調症って、以前は精神分裂病って呼ばれていたって事は知ってました。
確か…僕の記憶を遡れば…中学生の時に読んだ本で…、森村誠一さんの小説だったか…?…人間の証明だったかな?…何の本に書いてあったかは忘れましたけど、何かの小説に「精神分裂病」って言葉が載ってたんですよねぇ~。そこで初めて精神分裂病という病名があるんだぁ~…と認識したんだと思います。
僕が鍼灸の専門学校に通っていたのは2000年~2003年なんですが、専門学校では現代医学に関して、基本的な医学生の基礎知識程度は教わるんですけど、精神的な病気に関しては、教わった覚えはありませんでしたねぇ~。何かの情報で精神分裂病は不可逆的な病だという情報が、どこからともなく頭の中にインプットされていたように思います。
調べてみると、2002年までは精神分裂病という病名を使われていたようですが、精神が分裂してしまう病気という、偏見を助長する可能性があるし、症状としては病気と言うより、症候群的な、様々な症状が起こりうるという事で、名称が変更されたらしいんですよね…。
また以前と比べて、治療も進化して不可逆的ではなく、一般的に約1/3の患者さんが治療により回復して、正常あるいは、ほぼ正常の生活を送ると言われているそうです。ただ、全てが治るという訳ではなく、約20%くらいの患者さんに重度な障害が残るらしいので、決して楽観的に捉えられる病気ではないようです。
松本ハウスに関しては「そう言えば…『ボキャブラ天国』っていう番組に出てたよなぁ~。確か…片方の人が、坊主頭でピッチピチのシャツとパンツを履いていた、お笑いコンビ…。」という認識しか持ち合わせていなかったんですよ…。だから彼らの芸…は、多分、…昔にTVで見てはいるんだけど、坊主頭の人がテンション高めに騒いでいたっけ…というような記憶しかないんですよねぇ~。
今回、最初に『統合失調症がやってきた』を読んだんですが、凄くリアルに「あの時…こんな感じだった…」とか「こんなふうに思ってた…」という、子供の頃から、病気が発症するまでの過程や、色々な症状が細かく書かれていました。
この本の最後に、精神科医のお医者さんが『解説』を書かれていて、統合失調症の罹患率は約100人に1人だという事を知りました。それと…幻覚とか幻聴の事が書かれていて「僕は経験した事は無いんですが…」と、この精神科のお医者さんが書かれているのを読んだ時に…フッと我に返ったというか、僕の昔の記憶が頭に浮かんだんですよ!
公で言う事では無いかも知れませんが、もうすぐ60歳になりますし…42~3年前の話しですから、僕の経験談として少し書きますね…。
僕は高校生の時に1度だけ、幻聴を聴いた事があるんです。空耳とか、聞き間違えでは無いんですよねぇ~。あぁ~…そうそう!休日の晴れた日の昼間に、ベッドに横たわって、トランペッターのハーブ・アルパートの曲をラジカセで聴いてた時でした。あの時の事を思い返せば…、僕自身、精神的に結構、追い込まれていたと思うんです。
正直言って、僕は人とのコミュニケーションを上手に取れる人間ではないと思います。今は、ある程度、大人としての経験値が作用して、コミュニケーションを上手に取れるようになってますが、子供の頃…、特に思春期の頃は、人と、どう付き合っていいかが分からなかったんですよねぇ~。
そんでもって…僕は高校3年間、寮生活をしていたので、四六時中、誰かが周りにいる訳なんですよ…。家から学校に通う生活なら、学校から家に帰ってプライベートな時間を作れますし、引きこもろうと思えば引きこもれる訳なんですが、寮生活では引きこもろうにも、そんな空間もありませんしね…(^^;)
そんな生活をしている時…人間関係が上手くいかず、多分…、自分で自分を追い込んでいった感じで、ある出来事を期に、半年くらい、人と話しをしなくなった事があったんですよぉ~。その時、一度だけ、幻聴を聞いた事があるんです。とても怖い言葉だったので、覚えてるんですが…、正直言って、その瞬間「ヤバイ!」って思いましたねぇ~。たしか…それ以降、ハーブ・アルパートの曲を聴きたくなくなった…というか、聴けなくなったんですよぉ~。
それ以降は、一度も幻聴は聞いた事は無いし、その一年後くらいに高校を卒業して、大学に行ったりと…、生活環境も変わったりした事が幸いしたようにも思いますが、この本の解説に書かれていた「統合失調症の罹患率は約100人に1人」…だという事を考えると、僕も統合失調症になっていた可能性があるような気がするんですよねぇ~。
ただ、僕は運良く…というか、タイミング良く、環境を変える事ができた。…なんとなく、それだけの違いのような気がするんです。
今にして、幻聴を一度だけ聴いた事があるという、自分の薄っぺらな経験を加味して思うんですが、人って、精神的に追い込まれると、幻覚・幻聴を見たり聞いたりするものなんだろう!…って思うんですよねぇ~。
だから…統合失調症って、条件が揃えば、誰にでも起こりうる事のように思えます。
2冊目の『相方は統合失調症』は、加賀谷さんが、長い時間をかけて社会復帰できるようになり、松本ハウスとして、お笑いの世界に戻る過程と、相方のキック松本さんが、家庭を持ちながら、どのように統合失調症の相方と接して、お笑いを成立させているのかが書かれてました。
この本の中でも書かれていたと思うんですが、加賀谷さんが社会復帰できるようになって、松本ハウスを復活させる事になるんだけども、加賀谷さんの体調が不安定な時も多く、以前のような舞台ができないというジレンマが生まれて、色々と悩まれ、試行錯誤の末に「失敗を恐れず、ネタやセリフを忘れたら、忘れたでいい…。とりあえずやってみるか…」という境地で舞台に挑むようになったそうなんです。
その文章を読んだ時に、以前にもブログに書いたと思うんですが…
「病気が治る」という事に関して、皆さんが勘違いしている事があるよなぁ~…って思ったんです。
「治る」という事は「元に戻る」という事ではなく、「今の状態で一番、良いバランスを保つ」という事が、病気が治るという事なんですよねぇ~。
病気には種類や程度にもよりますが、病気になると何かしらダメージが身体に残るものなんだ…という事を忘れてはいけないと思うんです。
…だから、出来るだけ病気にならない方が良い。病気にならないような生活を、日頃から心がけて、日々を過ごさなければいけないんですねぇ~。
人と言わず…生き物は全て歳を取るものですし、生きていれば老化していきます。
病気とは、、バランスが崩れる事で起こる症状に名前を付けたものを「○○病」と呼び、すぐ治るモノもあれば、治るのに長期間かかるモノもあります。
単純に考えれば、バランスが崩れる事で病気になるわけですから、バランスを整えれば病気は治るわけですよね!
ただ、崩れたバランスが、すぐに調い…治るのが早ければ、元に戻るという感覚で「病気が治る=元に戻る」と定義づけできますが、大病で治療期間が長くかかったり、摘出せざるおえない場合…、また、摘出する事で、以前のような事ができなくなった場合は、行動や動きに制限がかかったり、老化などによる、体力や記憶力の低下で、以前出来てた事ができないって事にもなるわけです。
そうなると「以前は出来ていたのに…」「あぁ~不甲斐ない…」「自分はダメな人間だ…」とジレンマに陥りやすくなっている人も多いと思うんですが、そんな時に、頭の片隅に留め置いて欲しい思考としては…、「治る」という事は「元に戻る」という事ではなくて、「今の状態で一番良いバランスを保つ」という事が、病気が治るという事だという事なんですよねぇ~。
話しがチョット脱線しちゃったかな…(^^;)
この『統合失調症がやってきた』『相方は統合失調症』の2冊は、統合失調症を患った当事者の気持も含め、周りの人がどう接していくべきか…が書かれていて、読んで良かったな!って思える本でした。
あぁ~…そうそう!この本に書かれていた言葉で「障害」ではなく「障がい」と書かれていた事に、凄く気配りと、心の温かさを感じたなぁ~。
患者さんが、よく口にするセリフ…
うちの治療院では、比較的、年配の患者さんが言われる事が多いかな…
「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?」
仕事三昧だった生活から一転し、定年でリタイアして、5~10年くらい経過した患者さんが、体調の不調を感じて病院に行くも、お医者さんからは「コレと言って異常はない…」と言われるんだけれど、やはり、体調は良くないので、お医者さんに「最近、眠りが浅い…」だとか「胃が痛い…」だとか、「頭痛がする…」「耳鳴りがする…」などの、諸症状を訴えると、お医者さんは患者さんが訴える症状の数の分だけ、お薬を処方してくれる訳なんです。
あまりに訴える症状が多いと、+アルファとして、抗うつ剤や精神安定剤も処方されたりするんですよね…。
で…患者さんが、真面目に処方されたお薬を飲んでいても、コレと言って身体に何の変化も無く、何かにすがるような気持で、鍼灸治療を受けに来られる人が、よく口にするセリフが…
「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?…何で僕だけが!…何で私だけが!」です。
かつて出来ていた事が出来なくなってきたという恐怖心や、今まで、健康で病気とは無縁の生活を送ってきた人が、体調不良を初めて体験し、ビックリ!…(゜_゜)
…単純に考えれば、そういう事なんですが…
若い人は「何もしてないのに…、何でこんなに体調が悪いんだろう?」…という体調不良は、あまり無いのでは?…と思ったりもしますが、実は、そうでもなかったりするんですよねぇ~。
最近、僕自身の体験というか、思う事がありまして「何もしてないのに…」という事に対して、ちょっと考えてみたんです。
人って寝て起きて…目が覚めれば15~17時間、覚醒して、アレやコレやを、こなすというか、何だかんだやるわけですよね!…仕事をしていなくても、寝ている時間以外は、人って何かやっているわけなんですよ!
確かに「仕事をしていると疲れる…」という図式は、誰でも理解出来る事で「理由と結果」みたいなものなんですが、人って仕事をしていなくても、起きて動いているわけですから程度は違えど「疲れる」わけなんですよね!
もちろん、疲れ具合には「程度」というもはあります。仕事をしている時は疲れ具合は大きいでしょうし、仕事をしてない時の方が疲れ具合は小さいでしょう。…でも、疲れている事には変わりないんですよね!
長時間のドライブで、一番疲れるのは運転手なんですが、助手席や後部座席に乗っている人も、ドライバーと同じ時間、車の振動を感じ、同じ距離を移動しているわけですから、疲労度合いは違えども、疲れている事には変わりない。
前にも、このブログに書いたと思うんですが、人って何にでも許容範囲ってあるんですよねぇ~。許容範囲内で物事が収まってくれれば、万事OKで問題無し!…なんです。仕事をしていようが、仕事をしていまいが、疲れるような事が許容範囲内ならば、コレと言って疲れによる体調不良は感じないはずなんです。
でも許容範囲が狭くなっている人の場合は、歳を取っていようが、若かろうが、疲れを感じやすかったり、体調不良を感じやすかったりするんだと思います。
「じゃぁ~…許容範囲が狭くなる理由は?」
…と問われると、僕の頭に浮かぶワードは「老化」と「脳疲労」かな…。
老化がすすめば、比較的考え方に柔軟性が無くなりがちではありますし、歳を取ると怒りっぽくなったり…、我慢が出来なくなったりしますよね!…これって許容範囲が狭くなってる事だと思うんですよ。
脳疲労の場合は、情報過多が原因だと思うんです。若い人はSNSやスマホで情報を洪水のように浴びる生活が、当たり前のようになってますし、意外と年配の人でも、体調不良の症状に関してYouTubeで情報をあさってみたり、ググってみたりと、情報過多になっている年配の人も多いと思います。
対処法としては…
脳疲労を解消する為には、情報を遮断するしかないでしょうねぇ~。
あと老化に関して言えば…、老化を止められない事は周知の事実ですが、仕事をしていようが、していまいが人間、生きていれば疲れるわけなんですよね!…ならば、どうせ疲れるんだったら、情報過多で疲れるより、身体を動かして疲れた方が睡眠も取りやすいでしょうし、食事も美味しく頂ける。
では…身体を、どう動かすか?…なんですけど、一番のオススメは、土いじりですねぇ~。
マインドフルネスって言うんでしたっけ?…これからの自分の事とか…、体調不良の不安に関する事とか…、未来に対する不安を思考するのではなく、ただ目の前の事に集中する…。集中する事で、自分の思考や、感情や、行動などについて、善し悪しの判断や評価をするのではなくて、第三者的な目線で、今の状態を把握する。
第三者的な目線で、自分の事を観れるようになれば「何をすべきか…」が明確になると思うんです。
アドバイスって、人から言われても、本人が気が付かない限り、何を言っても無駄だったりするものなんですよねぇ~。
このマインドフルネスという状態に持って行く行動として、土いじりって最適だと思うんです。家庭菜園でもいいし、雑草取りでもいいし、…僕の経験上、土いじりをしてると心が落ち着くんですよねぇ~。
じゃあ…土いじりが出来ない環境の人は、どうすればいいのか?
コレに関しては営業トークでも…何でも無く、僕は鍼灸治療をお勧めします。
鍼灸は筋肉を緩める効果もありますが、自律神経系でいうと、副交感神経を優位にする事に長けています。自律神経は交感神経と副交感神経に分類される訳なんですが、車に例えると交感神経はアクセルで、副交感神経はブレーキなんですよ!副交感神経を優位にするとリラックス効果を得られるわけなんですよねぇ~。
リラックス状態になるとマインドフルネスでいう、第三者的な目線で、今の自分の状態を把握する事が出来やすくなるんですよぉ~。
あとは…、患者さんが第三者的な目線で、今の自分の状態を把握し、何をすれば良いかという事に気がつけるか?…気がつけないか?…行動できるか?…行動できないか?…がポイントになると思います。
「何もしてないのに…、何で体調が悪いんだろう?」という感覚に陥った方で、病院に行っても、お医者さんからは「コレと言って異常はない…」と言われた場合、『土いじり』もしくは『鍼灸治療』を試されて下さい。
頭を柔軟にして『祈る…と医療について』考えてみた…♪
先に言っておくと…、僕自身は無宗教に近い感覚で生きてますが、神社の傍を通ると「お参りしておこうかな…」と、お賽銭をチャリンと入れて、お参りしますし…、お盆…もしくは、彼岸が近くなると「墓参りしないとなぁ~」って思います。また、どこからともなく賛美歌が聴こえてくると「綺麗なメロディーだなぁ~」って思いますしねぇ~。
学校の授業では教えてくれなかったから、大人になって「ユダヤ教や、キリスト教や、イスラム教の違いくらいは知っておかないとな。」…って思い、宗教に関する本を何冊か読んだ事はありますが、表面的な事しか理解してないと思います。
もし誰かに…「あなたの家の宗教は何ですか?」って尋ねられたら…「たしか…、お墓がある寺は禅宗だと思うけど、曹洞宗だったかな?臨済宗だったかな?」…っていうくらいの宗教観ですゎ!
前もって、なんでこんな事を書いたかというと、「祈る」っていう事について書くと「もしかして…この人は、何かの宗教にハマっている人なのかも…」なんて思われるかも知れないから、とりあえず「僕の立ち位置は、自己診断ではフラットな感じです。」…って言っておかないと、勘ぐられるかな?って思ったもので…(^^;)
今回、なぜ「祈り」について書こうと思ったのか…、というと「祈りと医療」に関して、ふと…思った事があったもので、ブログに書く事にしたんです。
まぁ~歴史的な事を知ってるか?知らないか?で、考え方も違うと思うんですが、簡単に言えば…、医療が日本に伝来して根付いたのは奈良時代だったかな…?
…それと共に?…いや…、もしくは、それ以前から、大陸から仏教と、ともに医学が伝来して来る以前から、祈って病気を治すという事は、そこかしこで行われていたわけなんですよねぇ~。
良く映画などで描かれてる、弘法大師・空海や、陰陽師の安倍晴明などは、祈る事で人の不安を取り除こうとしていたスパースター的な存在ですよねぇ~。
で…、祈るという行為が非科学的だという事で、祈る事を医療行為から排除したのが明治時代。
医療行為と言っても、奈良時代の頃から明治時代初期の頃までの医学は、今の医学とはかけ離れていて、手数というか…?手段というか?…治療の方法?も、今に比べて少なかったわけなんですね。
明治以降、現代医学の発展で、僕らは、今みたいな医療の恩恵を享受できているわけですが、「今の医療が当たり前!」「祈るだけで病気が治るわけ無いじゃん!」と思っているステレオタイプの人は、「祈る事と、医療を同等に考えるなんて、非科学的でナンセンスだ!」って思うんでしょうね。
でも…、そこで…
「病気って、どうして…病気になるんだろか?」って考えると、まぁ~色々と原因は思い浮かぶと思いますが、凄くシンプルに考えると、一般的な病気は「ストレス」「血行不良」が病気の始まりだと思うんです。
血行不良は運動不足を解消する事で解決できるとして、ストレスって色々な原因でストレスが溜まるものだし…、ストレスを解消する薬って現代医学をもってしても、未だ開発されてませんよね!病院に行っても、お医者さんからは「好きな事でもして、ストレス発散して下さいね!」…というようなアドバイスを受けるくらいでしょう~。
生きていれば、体調不良を感じたり、病気になったり、…もしくは大病を患ったりして「病気になって、神にもすがる思いで…」っていうシチュエーションは、誰しも望みはしないけど、現実的には多々ある事だと思うんです。
僕が思うに、別に…、すがるのは、神でも仏でも、何でも良いと思うんです。
祈る事で自分の不安を取り除く…。
その人にとって…、その患者さんにとって…、祈る事でストレスが少しでも軽減するのであれば、それは病気の予防や治療と、何ら変わりなく…、病気の原因であるストレスを、病院に行く事で軽減してくれないのであれば、祈る事でストレスを軽減しようとする行為って、とても大切で大事な行為だと思うんですよね。
ただ、御存知の通り、人の弱みにつけ込んで「信じる…祈る」という気持を嵩に掛け、金品をボッたくろうとする輩がいるのは、いつの世も変わりないわけで…、その点は要注意ですよね…(^^;)
やはり病気を治す場合…、治療も大事ですけど、患者さんの心って、とても重要な要因の一つではあるので、「祈る」って大事な事だと思うんですよね。
「あぁ~なるほど…」…と思った事。
近所のお寺の入り口に標語というか…『お寺の掲示板』的な、仏教の教えや、見る人が「だよねぇ~」と思う言葉が数ヶ月おきに張り出されているんですよぉ~。
先日、お寺の前を通りがかると「人の正義は誰かを傷つける」って書いてあったんですよねぇ~。
ほほぉ~…なるほどねぇ~…(゜_゜)
確かに…。今、世界中で起こっている紛争や戦争もさる事ながら…、身近で起こる、仕事上や友人同士のトラブル…、はたまた…御近所トラブルに至るまで…、トラブルの当事者達は「自分が正しい!」「正義は我にあり!」って思ってるはずなんですよねぇ~。
そう言えば…、映画監督の是枝さんも「正義というものは、悪意よりも人を傷つける事がある…」って何かのインタビューで言ってたっけな…。
僕も気をつけないとなぁ~…って思います。
話しは…少しだけ変わりますが…
先日、実家に帰省した時に感じた事なんですけど…
僕の実家の街には、ロータリーと呼ばれる6本の道がつながっている交差点が、昔からあるんです。その交差点には信号機は無く、必ずロータリーに入る時には一旦停止をして、左右確認した後、左側にしか曲がれません。右の道路に入りたい時は、ロータリを時計回りに周り、目的の道に入る。
確か、有名なロータリー交差点は、パリの凱旋門がロータリー状になっていたと思います。
このロータリーの交差点を上手く走るコツは、譲り合いなんですよねぇ~。ロータリーに入っている車が多い場合は、ドライバー同士の判断での譲り合いになります。
このロータリーを走る時に、いつも思うんですが…「譲り合っていれば事故なんて起こるはずはない…」って思うんですよねぇ~。
更に言えば…、車も法定速度を守って、イライラせず、スマホを見たりせず、急いでいたり…考え事をしながら運転したりしなかったら,事故が起こる確率って、凄く低いと思うんですよねぇ~。
先日、この事を友人に話したら「そんな事、言うけど、誰かにぶつけられたらどうするの?…もらい事故っていうのもあるだろ!?」って言われましたが、皆が譲り合う気持で運転していたら、もらい事故すら起こる確率は低くなるとは思うんです。
でも、確かに…理想と現実は違いますよねぇ…。
人って、いつ何どきも「自分は正しい!」「正義は我にあり!」と、心のどこかで思っているものですし、「誰も見てないから、これくらいは、いいかぁ~」…とも思っているでしょうしね…。
車に乗ればイライラしたり、スマホが気になったり…。自然と、自己中心的な行動を取ってしまいがちになる生き物だとは思いますが、「人の正義は誰かを傷つける」という言葉を、心の片隅のどこかで記憶しておけば、もしかしたら、いざという時に、間違った行動ではなく、正解の行動が取れるやもしれませんね…。
『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』を読んでみた。
樋口直美さんの本で、最初に読んだのは『誤作動する脳』で…、その後に読んだのは『「できる」と「できない」の間の人』でしたね…。
…で、ちょうど『「できる」と「できない」の間の人』を読み終えた時に、この『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』が文庫化された事を知り、先日、この本を読み終えたんです。
以前、ブログに『誤作動する脳』『「できる」と「できない」の間の人』の感想を書いて、はりきゅうふくたのHPの『最近読んだ本』に記載してますが、数年前に義父がレビー小体型の認知症と診断を受けた事が、樋口さんの本を読むキッカケなんです。それと昔からの友人が、最近、若年性の認知症らしい…という診断を受けたので「レビー小体」「認知症」「脳萎縮」という言葉をとても身近に感じていた事もあり、レビー小体型認知症の当事者が出筆されている本って、とても貴重な体験談ではあるし、鍼灸で、この症状が治る・治らない…という話しではなく、この症状の当事者が、どういう気持で、どんな状態なのかという事を、少しでも理解出来れば…と思い、読み始めたのが『誤作動する脳』という本なんです。
…で、その後、武田砂鉄さんのラジオを聴いていて、番組の『金曜開店 砂鉄堂書店』と言うコーナーで『「できる」と「できない」の間の人』が紹介されていて…「あっ!樋口直美さんの新刊が出るんだ!…買って読~も~お!」…と思い、本を購入し、読み終わったあと、感想をブログに書き、SNSにリンクを貼ってたら、樋口さん御本人から「丁寧なご紹介、ありがとうございます!」…と、ポストを頂き、『私の脳で起こったこと「レビー小体型認知症」の記録』が文庫化された事を教えて頂いたので、今回、この本を読んだんですよぉ~。
樋口さんの本を読んだのは、この本で3冊目なんですが、読んでいて、気がづく事が多くありました。
書かれていた中で、「将来、どうなるか分からないのは健康な人も同じだ…」って書いてある事に,「確かになぁ~」…って思いましたね…。あらゆる病気は…、誰がなっても不思議ではないって事を、誰もが健康体の時は、あまり意識してないんですよねぇ~。
あと、目からウロコだったのが「心配や過度の気遣いは不要です。「元気?」「大丈夫?」ではなく、「どうしてる?」と、たまに連絡してもらえたらうれしいです。…「どうしてる?」と訊いてもらえたら、何と答えるか悩むことなく、自然に本当のことが話せます。」…っていうような事が書かれていて、これは病気になった当事者でしか分からない事だなと思いましたね!
…後日、数年前に大病した友人に、この事を話したら、「確かに!「元気?」とか「大丈夫?」って言われると、気を使われてる感が前面に出すぎて、訊かれて話す方も気を使ってしまうもんね!「どうしてる?」って訊かれると、普段の会話みたいな感じで話せるから「どうしてる?」の方が良いと思うよ!」って言ってました。
あと…、これは、以前、読んだ,樋口さんの本にも書いてあったと思うんですけど、認知症は医学的な病名ではなくて、認知機能の低下によって、日常生活や社会生活に支障をきたす状態を示す言葉なんだけど、現在では認知症を引き起こす様々な病名の総称として、十把一絡げで「認知症」という言葉が使われている為、本来なら認知症を起こす病気は何十種類もあり、多くのパターンがあって、記憶障害がないパターンの病気もあれば、そうではないパターンがある事を、一般の人は認識していない為、認知症というカテゴリーで一括りにしてしまいがちになり、多くの矛盾や誤解や偏見を生んでいる。…というような事が書かれていました。
認知症だけに限らず、色々な病気に於いて、病気を一括りで語ってはダメだ!…という事ですよね。…肝に銘じておかなければいけない事だな…と思った次第です。
あぁ~それと、コレも、以前、読んだ,樋口さんの本にも書かれていたと思うんですが、幻視・幻聴は本人には本当に見えてるし、聞こえているという事を,僕らは理解しておかないと、「本当に見えてるモノが見えるからビックリして反応しているし、言葉が聞こえるからビックリしているのに、認知症だから無い物をあると言って狂人扱いされる」…というような事が書かれていました。…確かになぁ~。この状況の当事者になったら、本当に孤独になるよなぁ~…。
あと…この本に書かれていた事で、樋口さん御自身が、ツボの本を読まれて、ツボ刺激をされてみたり、お灸を試されてみたり、漢方医に漢方薬を処方してもらって、それが効いたり…体調とともに効かなくなっていたり…、という事が書かれていたんですが、鍼灸師の僕が、このくだりを読んで「あぁ~なるほどな!」…と思ったんです。
これはどういう事かというと…
やはり…治療というものは、その時のバランスを整える事なんだな!って事を再認識したんです。
体調というものは、その都度、変化するものなんですよね!でも健康体であれば、体調の許容範囲の幅が、ある程度あり、その許容範囲から、はみ出ない限りは体調のバランスを整える必要はない。…いわゆる「治療を受ける必要はない」って事なんです。
病気になると、その許容範囲が、著しく狭くなるので、許容範囲からはみ出す事が多くなる。…だから、その都度、バランスを整えるための治療が必要なんだけれども、体調って、その都度、変化するものなので、数日前は効いても、今の状態は、以前効いていた薬が効かない…。もしくは以前、使ってたツボの刺激が効かない…。というのは当たり前の事なんでしょうね。
なので、その都度、変化している体調に合わせて、バランスを整えていく事が、本来、治療のあるべき姿だと思うんです。
『治療⇒治す⇒元に戻す』…という感覚で病気と対峙していると、どこかで必ず「今の技術では治る病気もあれば、治せない病気もある」という非情な現実を直視しなければいけない時もあると思うんです…。でも、いつ、いかなる時も希望は持っていたい。…そのために『治療⇒身体のバランスを整え、今、出来る限りの良い状態を保つ』…これって、とても重要な事だと思うんですよねぇ~。
現代医学の良いところは、日進月歩で進化し続けているって事だと思うんです。今,治せない病気でも、いつか治せる時が来るかも知れない。そのためには、今、その都度、変化している体調に合わせて、バランスを整えていく事って重要だと思うんですよね!
この本にも書かれていたんですけど、樋口さんの症状が悪くなり、今までの薬が効かなくなった時に、漢方医が「また…一からだな!」と、脈を取り、問診し直して処方した漢方薬は、その時に効いて楽になったと書かれていたように記憶してます。
この漢方医のお医者さんも、体調のバランスを整える事に、重きを置いていらっしゃったんでしょうねぇ。
僕は鍼灸師ですが、認知症やレビー小体…その他、色々な病気、全てが鍼灸で「治る」…とは思っていません。やはり…治る病気もあれば、治せない病気があるのは事実です。でも、どんな病気であれ、その都度、その人の身体のバランスを整えて、出来るだけ良い状態を維持する、お手伝いは出来ると思っています。
あとは、患者さんが、どのような状態なのかを、体験談や、こういう本を読む事で、少しでも理解出来たら…とも思います。
万能ではないんですけどね…、少しでも力になれれば…。とも思っています。