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鍼を刺したくらいで病気が治るわけないじゃん!
先週だったか…先々週だったか…、日曜日の夜の9時にNHKスペシャル…だったかな???東洋医学や漢方、鍼灸の特集番組をやっていたみたいで、今週、ウチに来られる患者さんが口々に「NHKでやってましたね!」…と言われてました。
僕は見てなかったんですが、患者さんの話を聴く限りでは、以前、何度か同じような番組をNHKが放送していて、その映像の使い回しでNHKスペシャルを、ひと番組作った…そんな感じみたいですねぇ~。
東洋医学は、30~40年前に比べると認知度も高くなり、漢方薬に対する認識も以前に比べると信頼度も高くなっていると思います。…まぁ~未だに漢方薬は緩やかに効く薬だと誤解してる人も多いのは確かですけどね…(^^;)
鍼灸はどうなんだろうか???
「鍼は痛い!」「お灸は熱い!」という恐怖感も相まって、やはりどこかに「鍼を刺したくらいで病気が治るわけないじゃん!」って思っている人も少なくないんじゃないかな?…って思うんですよねぇ~。
僕も患者さんや、色々な人に話す機会があれば「病気を治してるのは薬や医者ではなく、患者さんの身体自身が免疫力や修復力を使って病気を治してるんですよ!」…「身体は不具合を起こすと、筋肉のコリや痛みなどで不調を訴えてくるので、鍼灸でコリを取ったり、痛みを無くす事で、身体が病気を治そうとしているのをサポートしてるんですよ!」…と、お伝えしてますが、疑念を持ってる人が、たかだか…いち鍼灸師の言葉を、どこまで信じてくれてるものやら…(-_-;)
鍼灸や健康相談に限らず、プライベートとかで知人や友人から相談事を受けて、アドバイスしても聞く耳を持ってくれないと、何ともしがたい感じで、なす術無しとなってしまいますよねぇ~。
まぁ~…よく,女性からの相談事は、解決策を求めていなくて、ただ…話しを聞いて欲しいだけ…、逆にアドバイスをされるとウザい!…という話しも聞きますから、アドバイスをすること自体が野暮なのかも知れませんね…(^^;)
「鍼を刺したくらいで病気が治るわけないじゃん!」…と思っている人達に対しては「鍼灸を試したくなったら、いつでもいらして下さい。」…て感じで待つしかないと思うんですよねぇ~。
いくら、鍼や灸の良さを伝えようとしても、馬耳東風では、どうしようもありませんもんねぇ~(^^;)
まぁ~…人からの受け売りだけど…「去る者、追わず…、来る者、拒まず…。去る者には幸せを…、来る者には安らぎを…。」こんな感じで、鍼灸院の門を開いておくしかないんだろうなぁ~。…って最近、つくづく思う、今日この頃でございます…(^^;)
世の中には治る病気もあれば、治らない病気もある。…それは皆さん御存知だと思います。治る病気の中には、鍼やお灸で治る病気も多いんですよ!でも鍼やお灸や、お薬の前に重要なのは、睡眠であったり食事であったり,運動であったり…日頃の日常生活をいかに過ごすか?…ここが重要なポイントなんですよねぇ~。
車やスマホやパソコンは、新しい機種が発売されたら、買い換える事はできますが、身体は買い換える事はできませんもんねぇ~。
ストーリーって必要ですか?…(^^;)
僕は美術館で絵を見る時、とりあえず展示場の中央から展示されている絵を見渡して、気になった絵を近くで見たり…、遠くから眺めて見たりした上で、絵の横に書いてある題名だとか、書かれた年代などを見る事にしてるんです。
そんでもって,ある程度、気になった絵をいくつか見たら、他の展示してある絵を見ていく…。
何となくですが…、美術館に絵を見に行くと、まず入り口に書いてある作者の半生や年表などを読み、その後、列をなして展示されている絵を順に見る。多くの人は…絵を見る前に題名を見てから絵を見てる…っていうのが定番というか、それが当たり前になってるようなんですが、…いつも僕は思うんですよ…。「あなた達…絵を見に来てるんじゃないの?…絵より、作者の人生というか半生や蘊蓄が絵より優先ですか?」…って。
ストーリーがあっての絵なんだろうか?…有名な人が書くから素敵な絵なんだろうか?無名な人が書いても素敵な絵は…素敵な絵なんじゃないかな?…って思うんですよぉ~。
まぁ~…素敵かどうかを判断するのは観客だと思うので、ある人にとっては心を打つ素敵な絵かもしれないし、またある人にとっては駄作に見えるかもしれないし…。
でも、画廊ならいざ知らず、美術館で見るような絵は、著名な画家の絵で…しかも歴史がある物ばかりなので、その歴史やストーリーも知りたいという気持ちも分からなくはないけど、なんのフィルターも通さず、今の自分が感じる「良い・悪い」の判断を、物語で邪魔されたくない。
…そう思うんです。
ストーリーより、その時の自分の感覚を大事にしたいんですよね~。若い頃に見た時は何とも思わなかったものが、歳を取るにつれて気になり始める…。その時は「悪い」と思っていても、後々、嗜好が変わり「良いね~」となる事も、当然ありますよね!
先日、北九州の美術館で見た横山大観も、絵を見終わった後に、読んだ説明書きによると…、横山大観の特徴って輪郭をハッキリ描かずに色の濃淡で表現しているって言うのは、なんとなく知ってたんですが、若い頃、その技法は、日本の画壇から全く相手にされず、30代後半くらいに世界各国への歴訪に同行した際、大観の絵が世界から称賛されたのを機に、彼の技法は日本でも認められるようになったそうなんです。
本当に…、日本っていう国は世界からの評価とか、良さを逆輸入で再確認しないと、目の前のモノの良さに気が付かない人種なんだなぁ~って思います…~(^^;)
出来れば、僕自身、逆輸入で外国からの評価が無いと、自国の良さに気が付かないような…、そんな判断しか出来ない人にはなりたくないなぁ~って思うんですよねぇ~。
そう言えば…、僕の知り合いで服を作ってる人がいるんです。
その人は以前、長い間、洋服のメーカーに勤めていて、パターンやデザインを自ら手がけていたんですが、独立を機に自分のブランドをいくつか立ち上げ、商品サンプルを数社のバイヤーに送ったそうなんです。
バイヤーの反応は「この服にはストーリーがないので、売り方が分からない…」という返事ばかりだったんですって!
商品自体は、どこに出しても恥ずかしくない,デザインや縫製もしっかりしているものなのに…「ストーリーが無い…」という一言で相手にされなかったそうなんです。
…そのストーリーって何?…って言う話しですが、アパレルでのストーリーって、所謂、デザイナーが10年間ニューヨークで活躍し…とか、素材に珍しい綿を使い…とか、アフリカの部族の人が書いた絵がプリントされている…とか、有名人の○○○も認める…とか、そういう物語が必要で、生地や素材の良さや、縫製の細かさや、デザインの良さなどは二の次なんだそうな…。
裏を返せば…、バイヤー自らが「私には商品の善し悪しの判断が出来ないんです」…って言っているのと同じで、”ストーリー”というパワーワードに頼らざる終えない…っていう感じなんじゃないかな?って思うんです。それって…、商品が粗悪でもストーリーがあれば流通される…という事なんですよねぇ~。
どうりでね!…最近、服屋さんに行っても、全く…興味をそそるというか、魅力的というか、「あ!コレ…欲しい!」って思う服に出会わないんですよねぇ~。素材とか着心地より、ストーリー重視の服が大量に流通しているから、服屋さんに行っても買いたくなるような服に出会わないんだろうなぁ~。
鍼灸も似たような側面も…あるには…あるか…。(^^;) 何代も続く家系というストーリーを売りにしていたり、流派というストーリーを看板に掲げたり…、治す・治さない…より、鍼を痛くなく刺す事を売りにしていたり…(^^;)
「そんな肩書きやストーリーより、治す事が第一義なんじゃないの?」…って、僕は思うんですよねぇ~。
不安だからストーリーに左右されるという人間の心情は理解出来るけど、良い物と悪いモノの判断を、物語で曖昧にされてしまうのは、勘弁して欲しいなぁ~って思うんです。
料理ならば、ストーリーより…美味いか?不味いか?
服ならば、ストーリーより…着心地が良いか?着心地が悪いか?、似合うか?似合わないか?
鍼灸ならば、ストーリーより…治せるか?治せないか?
ストーリー…って基本は付属品というか、アクセサリーのようなもので、引き立て役のはずなんですよねぇ~。主役あってのストーリーのはずなのに、いつの間にか、その引き立て役に重きを置きすぎ、全ての事柄に、ストーリーがないと成立しないという図式を構築してしまったが為に、ストーリーが主役を凌駕してしまう存在になってしまっている。
それが、今の流通というか、世の中の流れになってしまっているように思えます。
裏を返せば…「ストーリーに騙されるヤツが悪い」…という言い方も成立しますねぇ~(^^;)
今の日本は景気が悪いので、安売りの店…、服ならユニクロ、家具ならニトリ、生活小物ならダイソーで、なんとかなる世の中になってしまいましたが、ユニクロが幅を効かせはじめて、日本のアパレル業界がおかしくなり、縫製技術が低下しましたし、ニトリが幅を効かせはじめたから、家具屋さんの廃業が目立ち、ダイソーが幅を効かせはじめてから、街の文具屋さんが壊滅状態になりました。
弱肉強食は世の常ですが、今の日本の景気の状態が、このままで良いわけないよな!…って思うんです。
少しでも今の状況を変えたいのであれば、まずはストーリーに頼る事をやめた方がいいんじゃないかな?日本の景気を良くしたいなら、良い物と悪いモノの判断ができる目というか、思考を持つべきだと思うんですよねぇ~。
そんなにストーリーって必要ですかねぇ?
そんなにストーリーが必要ならば語って聴かせてあげましょう!
…Once upon a time, there lived an old man and an old woman…(^^;)
『サーノ博士のヒーリング・バックペイン 腰痛・肩こりの原因と治療』を読んで…思った事…
本の帯には「アンドルー・ワイル博士推薦 腰痛、肩こり、関節痛患者が最後に読む本。 投薬、手術、物理療法によらない画期的治療プログラム!」…と書いてあります。
アンドルー・ワイル博士って…誰???(^^;)…ネットで調べてみると…
アメリカ合衆国の健康医学研究者、医学博士。伝統中国医学など代替医療の伝統も取り入れ、人間に本来備わっている自然治癒力を引き出すヘルスケア・システムである統合医療を提唱している人…
…とあり、現在、81歳なんだそうな。
この本はジョン・サーノという博士の訳本なんですが、この本によると緊張性頭痛、片頭痛、胸やけ、食道裂孔ヘルニア、胃潰瘍、大腸炎、痙攣性大腸、過敏性大腸症候群、花粉症、喘息、湿疹など…様々な症状は、TMS(緊張性筋炎症候群)と呼ばれる現象で起こり、TMSは心の緊張が原因で起こると定義しているようなんですね!
因みに…○○症候群と、「…症候群」が付く病名は原因がハッキリとは分かっていないんだけれど、お医者さんが診断する時に、カルテに病名を記載しなければいけないので、…○○症候群と、仮の病名というか、病名に準じて使う医学用語として、色々な症状で使われている言葉なんですよねぇ~。
この本の、サーノ博士によれば、TMSを治すには、患者さんが自分の抱えている問題を自覚する事が必要だとしていて、心の現象が身体の症状として現れているのがTMS…なんだそうな。
また…こんな事も書かれていました。
現代医学は、身体はきわめて精巧にできた機械とみなされ、病気は感染や外傷、遺伝的欠損、老化、癌などにより生じた機械の故障とみなされる。
心に関しては数値測定したりできないので、現代医学は無視を決め込み、健康や病気には、どうも、あまり関係がないようだと信じる事になってしまった。
…との事。
あぁ~なるほどなぁ~…そう言えば、いつだったか、ある人から聞いた話しでは、医学の世界で科学的に解明できない事は「遺伝的な事…」というパワーワードで納得する傾向にある。…って聞いた事があるけど、これと同じように、宗教的には、理解不能な物事に対して、原因は「カルマ(所謂…業です)」というパワーワードで全てを治めるのと似てるよなぁ~…(^^;)
この本によると、1982年に背腰痛の患者さん177人を対象に,どの世代に背腰痛が多いかを追跡調査をしたところ…
(77%:30歳~50歳)(9%:20歳代)(2%:10歳代)(7%:60歳代)(4%:70歳代)…という結果になったらしいんです。
博士曰く…、
もし脊椎の退行変化(変形性脊椎症や椎間板変性が背腰痛の主因なら、ヘルニアや椎間関節症候群や脊柱管狭窄など…)は60歳~70歳代の人が多いはず…。
…この統計の数値から、背腰痛は器質的・構造的なものが原因ではなく「責任を負う世代(30歳~50歳)」に多く発症するという事は、心が原因の場合が多いのではないか…、と論じてます。いわゆる…不安や怒り…、個々の考え…,性格…、生活環境…、受け入れがたい感情…が原因だという事なんですねぇ~。
なるほどなぁ~…統計の数値だけで考えると、然もありなん…って感じですねぇ~。
本の後半で『監訳者のあとがき』で…
現代医学による診断が役にたたなくなると、人は非主流医学の代替医療に目を向けたがる。カイロプラクティック、オステオパシーなどがそうである。こうした方法においては骨盤に歪みがある証拠として下肢長差を問題にする事が多い。
…人間には利き腕もあれば、利き脚もある。人体は本来、左右対称には出来ていない。
…と書かれてあったんです。
たしかに!…ごもっとも…。
なんでも…、人が直立姿勢で立つ場合の重心点は、歩き始めは正中よりやや右側にあり、5歳頃になると、一度、正中に移動して、その後、徐々に左側に移っていくらしい。
これは右側にある肝臓が重いためなんですって!
歩き始めの時期は肝臓の重さを補正できないけど、徐々に重心を左に移すことで補正して、大部分の人は自然に左足が軸足になるんだそうな…。
本の後半に書かれていたんですが…
アメリカやカナダで発表されたガイドラインでも指摘されているが、慢性の痛みを身体的アプローチだけで解決するのは不可能である。治療に対する受動的な姿勢は、かえって慢性化を助長するという見方まである。
…とありました。
たしかになぁ~。…これは頷けるなぁ~。
…とはいえ、私は何もTMS理論が唯一絶対の治療法だなどと言うつもりはない。一つの理論に固執するあまり、その他の可能性に対して扉を閉ざすのは人間の性といえ愚かな事である。
…と、監訳者の人が、あとがきに書いてありました。
本の前半では、なぜTMSが原因で病気になるのか?という感じで解説されていたんだけども、本編の真ん中辺りから「こんな症状も…あんな症状も心が原因です!…今の医学は間違っている!!!」…と連呼している感じになり、読んでいて、「おいおい!ちょっと言い過ぎじゃない!?」…って思いながら読んでいたんですが、想像するに、監訳者の人も「誤解をまねきそうだから、ちょっと修正いれておこうかな…」と、「…とはいえ、私は何もTMS理論が唯一絶対の治療法だなどと言うつもりはない。」という一文を入れたのかな?…(^^;)…と思ったと同時に、この監訳者の人…何て名前なんだろう?と思い『著者、訳者、紹介』を見てみたら、長谷川淳史さんという人で『腰痛は〈怒り〉である』という本の著者だった。
そう言えば…14~15年前に腰痛治療で、ウチの治療院に通われていた患者さんが「先生!この本…知ってる?私…読んでみたんだけど、もう読まないからあげる!」と言って、本をくれたんですよねぇ~。そう言えば、『腰痛は〈怒り〉である』というあの本…どこに行ったんだっけ?…と本棚を見回したら、赤い表紙の本が僕の本棚で鎮座しておりました。…あぁ~…あの本を書いた人なのね!
この長谷川さん…曰く、
TMS理論は性格の問題点を指摘して改善しようというものではない。発症について自分に責任を感じる必要はまったくない。ただ抑圧されている不快な感情に気づく事が背腰痛の特効薬になると主張しているだけである。
…とTMS理論を説明していた。
確かに…、患者さんは背中や腰が痛くて通院しているのに、性格の問題点などを指摘されたら苛つく人も多いだろうし、治療者と患者の信頼関係が低下してしまう可能性もあるし「お前なんかに、そんな事言われたくないわ!!」…となる事は目に見えてるしねぇ~。
いかに患者さんに、自分自身の心の不安定さを気づかせるか…というのがポイントなんでしょう。
鍼灸というか東洋医学では「心身一如」という言葉を重視するんですよねぇ!
この言葉は東洋医学の言葉なのか?仏教の禅宗の言葉なのかは知らないんですが、「心と身体、肉体と精神は一つであり、切り離すことはできない…」という意味なんですよ…。
この「心身一如」という言葉を僕ら鍼灸師は、鍼灸の勉強をする時に教わるので、このTMS理論で言う「痛みの原因は心」という理屈は無理なく受け入れる事ができるんです。
ただね…
この本を読み進めていると、背腰痛などの痛みの原因は心以外に有り得ないと言わんばかりの内容になっているので「おやぁぁぁぁ~~~????」と思ったりもしました。
文部科学省のHPによると、科学は自然の事物・事象について観察・実験等によって原理や法則を見いだす。…とか、科学は完璧な間違いを見つけるのが得意…と思われていたり、言われていたりしてますが、過去の歴史を振り返ると、科学を万能だと思うと、しっぺ返しのように、結構、危ない事になる場合も少なくないので、科学は常に仮説と思って対応した方が良いって…、誰かが言ってたなぁ~。
臨床を長年やってると、TMS理論が言う「心が原因」かも…と思う患者さんを治療する事は、鍼灸師なら誰でもあると思います。
でも…心だけが原因だと決めつけてしまうと、視野を狭くしてしまい、治療が上手くいかなくなると思うんですよねぇ~。
鍼灸は基本的な治療として、鍼や灸を使い身体のコリを取る。そうすると身体が緩めば心も緩む。
身体が緩めば器質的・構造的な不具合も改善できますし、身体が緩んで心も緩めばTMS理論がいう「心が原因」という理屈にも対応できます。
やっぱ…鍼灸って理にかなっている治療法だなぁ~って思うんですよねぇ~
この本の前半は…「ふ~ん」っていう感じで読めましたが、後半はちょっと…「…ん?」って思いながら読みました。まぁ~『あとがき』でプラマイゼロって感じかな…(^^;) 全てを鵜呑みで信じる事は出来ませんが、こういう事もあると認識する事は必要だと思いますねぇ~。
「病気を治す」について一歩踏み込んで考えてみた…
「とは」検索で「医学とは」と検索してみると…
病気を予防して健康を維持することや、病気を治療して健康を取り戻すことを通じて、人の命を守り人生の質を向上させることを目的とした学問…
…と書いてあります。
ウィキペディアでは
医学または医科学とは、生体の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発する学問。
…と書いてありました。
まぁ~難しく考えずに「医学とは?」と問われると、「病気を治す学問」っていう答えでいいと思うんですが、何をもって「病気を治す…」「病気が治る事とは?」…どういう事なのか?と一歩踏み込んで考えてみたんです。
ちなみに…「病気が治ることとは?」…と検索してみると、
治癒は病気や怪我が完全に治ることを指し、「完治」と同じ意味になる。 しかし、「寛解」は症状が軽くなったり消えたりしたものの、それが一時的な可能性もあり、そのまま治るかもしれないが、また再発するかもしれないものを指す。 治癒の場合は、再発する可能性がないときに使う言葉である。 治癒には、「自然治癒力」という言葉もある。
…と書いてありました。
僕自身、鍼灸師になって感じている事なんですが、鍼灸師になる前までと、鍼灸師になって人を治療する立場となった、この21年間で「病気を治す」という考え方が変わったんですよ!
多分、多く人は「病気を治す」という事を「身体を元に戻す」という意味合いで捉えていると思うんです。
よく…アメリカは訴訟大国と言われます。何か不備があったりすると、すぐ訴訟を起こされる。医学や治療においても同じで、治らなかったりすると治療の不備を指摘して医者や病院を訴える。…そんな話しをよく聞きます。
戦後、日本も、随分とアメリカンナイズされているので、医療ミスや治療に対しての訴訟がニュースになったり、最近では患者さんを「患者様」と呼ぶ風潮が広がり、クレーマーと化した患者さんのクレームに、病院側も右往左往しているという話しを聞いたりします。
僕も子供の頃は「病気を治す」という事は「身体を元に戻す」という事だと思っていました。病気になったりケガをしたりしたら、お医者さんが手術をしてくれたり、薬を出してくれて、その薬を飲めば身体は治るものだと、子供の頃は思っていたんですよねぇ~。
でも、今は「病気を治す」⇒「元に戻す」という考え方は、間違っていると思うようになりました。
身体の回復能力がとても凄い人ならば、病気やケガでダメージを受けても、身体は元通りに回復する事はあると思います。なので、元気で若い人なら身体は元に戻るでしょう。でも身体の回復力が低下している人や、若くても元々身体が弱い人は、病気やケガでダメージを受けると、なかなか元には戻せない。
ケガや病気でダメージを受けると、100%の体力が80%までしか力が出せなくなったり、100%の体力が50%までしか出せなくなったりと…、歳を取れば取るほど、こういう現実に直面する事が多くなるんですよねぇ~。
でも、頭の中で、気持というか、脳裏では「若くいたい…」とか、「昔はこれくらい出来ていた…」と考えてしまうから「病気を治す」という事は「元に戻す事だ…」という考えになってしまうんだと思うんですよ…。
…この21年間、東洋医学を学び、鍼灸師として、人の身体を治療して感じてきた事をまとめると、今の僕の考えとしては、
「病気を治す」⇒「バランスを整える」という事だと思うんです。
もともと100%のパフォーマンスが出来ていたのに、ケガや病気で80%までしかパフォーマンスが出来なくなったとしたら、治療で80%のパフォーマンスが維持出来るようにバランスを取る。…これが病気を治すという事だと思うんです。
東洋医学や漢方を学ぶと…
身体のバランスを取る事を重視しているな!…って感じる事が多いんですよねぇ~。
例えば…
やじろべい…、若い人は「やじろべい」を知っているのだろうか?…(^^;) 左右でバランスをとるシーソー…。右に傾くと、左が浮く…。う~~ん(-_-;)
もとい…
例えば…、ある患者さんの身体の中のバランスが右に傾いて咳という症状が出ているとします。もう一人の患者さんは、身体の中のバランスが左に傾いて同じような咳が出ている。
…こういった場合、漢方や東洋医学の考えでは「咳」という症状は二の次で、身体のバランスを戻し整える事を重視します。
右に傾いて咳が出ている患者さんと、左に傾いて咳が出ている患者さんとでは、症状は同じ咳ですが、別な薬が処方されたり治療方法が違ったりします。右に傾いている患者さんには左を重くする薬や治療で身体のバランスを整える事で咳という症状を取る。左に傾いている患者さんには右を重くする薬や治療でバランスを整え咳を治める。(右に傾く…左に傾くは、例え話ですからね!(^^;))
症状が違う場合…例えば、Aの患者さんは右に傾いていて咳が出る。Bの患者さんも右に傾いていて頭痛がする。症状が違う場合でも、右に傾いている事が原因なら、頭痛薬とか、咳止めの薬ではなく、Aの患者さんへもBの患者さんへも同じ薬や、同じ治療をします。
…こういう理屈なんですよね!
東洋医学や漢方を学んでいる人にとっては「病気を治す」⇒「バランスを整える」という考えは理解しやすいと思いますし、一般の人でも、大病を患った事がある人は、この事を理解されていると思うんです。
漢方薬に関して「緩やかに効くもの…」「即効性がない薬…」という認識を持っている人が多いのではないでしょうかねぇ~?
漢方薬にも効能というものがあって、例えば、水のような鼻水には小青竜湯…とか、咳には麦門冬湯…とか、症状を取る事に特化というわけではないけれども、特化した症状を抑える事が出来る漢方薬の効能が、薬のマニュアルや箱に書いてあるので、それほど漢方薬の勉強をしていない、お医者さんでも、簡単に漢方薬を処方できるんですが、一歩踏み込んでその患者さんの身体が、右に傾いているのか?左に傾いているのか?前のめりなのか?後に倒れているのか?…(例え話ですよ!(^^;))…そこまで把握せずに、症状を取るだけの漢方薬を処方していたとすると、その時は効果が出るかもしれないですが、症状が取れても再発したり、別の症状が出たりするので「漢方薬って効かないなぁ~」…という事になってしまうんですよねぇ~。
あっ!そうそう…全てのお医者さんが漢方薬に対して深い知識を持ってるとは限らないのは事実です。今では、だいぶ漢方薬に対しての認知度は高まりましたが、20~30年くらい前は、体調不良で病院に行った際、お医者さんに「漢方薬を飲んでます」って言うと、「漢方?…効かないでしょ!?」って面と向かって言うお医者さんがいたりしましたもんねぇ~。
もう、今はそんな、お医者さんは少ないとは思いますが…
ちょっと話しが脱線しちゃいましたね…(^^;)…話しを戻すと…
漢方薬って、いかに患者さんの身体の状態を把握して、身体の状態に合った薬をタイミングよく投与してこそ、効果を100%発揮できるものなんですよねぇ~。
鍼灸も同じです。…鍼灸は、患者さんの体の持つポテンシャルを、いかに引き出すかがポンイントとなるので、毎回、違うツボにアプローチする事もあれば、根気強く同じツボにアプローチする事で地固めしていく場合もあるんですよね!ですから…、鍼灸の治療をした後にすぐ直後効果が出る場合もあれば、効果が出るのを根気よく待たないといけない場合もあるんですよぉ~。
僕は鍼灸師ですから、漢方薬とか東洋医学の考え方で、病気を治すという事は、身体のバランスを整える事だという事を解説してきましたが、洋の東西を問わず医学に於いて、病気を治すという事はバランスを整える事だと言っていいと思うんです。
ただ、現代医学と東洋医学の違いと言えば…
現代医学は患者さんの期待というか、患者さんのリクエストに応えようと試行錯誤している事だけが、違いだと思うんですよねぇ~。
何て言うか…、現代はコンビニエンス社会で、手軽に便利なモノを好む社会だと思うんです。なので、病気も手軽に治したい。身体の具合が悪くなっても、自分の生活パターンを変えずに治したい。睡眠不足や偏食は身体に悪いという事は理解しているけれども、そんな事よりも仕事が大事だし、自分の時間が大事だから、出来れば薬を飲むだけで治したい。もしくは注射を一本打ってもらうだけで治したい。
…そんな患者さんの希望に応えようとしているのが現代医学で、東洋医学は、生活の改善や食生活の改善を口うるさく言う…。
そんな図式になっているように思えるんです。
以前、脳科学者の先生が言ってましたが、この国は天災とか気候変動が多い地域性からかもしれませんが、日本人は不安になる人が多い人種なんだそうなんです。ですから昔から…山に対して…空に対して…八百万の神々に対して祈る事で不安を和らげていたんだそうです。でも明治時代に入り、科学的な文化が西洋から入ってきて「祈る事に全てを委ねるのは非科学的だ!」という事になり、人々の不安を一手に担うようになったのが、科学であったり医学であったりしたそうなんですよねぇ~。
なので、現代医学は…人々の不安な気持も一手に引き受けている側面があります。例えば…、寿命を延ばそうとしたり、老化を止める事に着目したり、難病といわれている病気の克服に力を注いでいたりと、ありがたい側面もあれば、進歩なのか?進化なのか?やり過ぎなのか?…首をかしげてしまう側面も垣間見えたり…。まぁ~良い面もあれば、悪い面あったりと表裏一体なのが世の中というモノですしねぇ~。
何が良いのかという事は、個人個人の判断で決めていいとは思うんですが、「病気を治す」という事は「元に戻す」という事ではなく、「バランスをとる事」だという事は、頭の片隅に入れておいて下さい。
この考え方を頭の隅に入れておくと、自分の身体に不調が起きた場合、自分でどのような判断をすべきか、何をすべきか…などの考えがまとまりやすいと思います。
『心の病気はどう治す?』…を読んで思った事。
数ヶ月前にTBSラジオの『プレ金ナイト』で武田砂鉄さんが、この本を紹介していて、以前から気になった、同じ著者の『精神医学ダークサイド』と合わせて2冊購入しまして…
さぁ~…『精神医学ダークサイド』を先に読むべきか?…現代の日本の精神医療オールスターを紹介している『心の病気はどう治す?』を先に読むべきか…?
う〰︎ん…
今回は現代の精神医学のアベンジャーズが紹介されている『心の病気はどう治す?』を先に読む事にして、一昨日、読み終わったんです。
まぁ〰︎、ここで紹介されている先生方は、精神医学の場合、薬物を使わなければならない場合もあるけれど、投薬以前のコミュニケーションや対話が重要だと説いてらっしゃいます。
でもね…、ちょっと気になったのが…
紹介されてた、お医者さんの1人が、過去、このお医者さんにアドバイスをくれた先輩の先生を紹介されている文章で「精神科医に必要な力は、情報収集力、ストーリーを読む力、本人に納得して治療を受けてもらう力、この3つだと思います。◯◯さんは診療にOリングとか経絡とかツボ療法とかを取り入れてきましたが、ベースは手品なんです。若い頃は手品と落語の練習に没頭した人なので、人の心をつかむ事に長けていて、患者の不安を減らしてしまう。不安が減るとプラセボ効果が高まり、薬がものすごく効きます。患者から信頼される優秀な医者は、偽薬を出しても効くんです」…と書かれていました。
人の心を掴み、安心させる事で薬の効果が高まり、その薬が偽薬だとしても身体は健康体に戻っていくという考え方は、僕も同意見で納得できます。
でもね!そこで経絡やツボ療法が手品だと言い切る…必要ってあるのかな?…僕が鍼灸師だから「手品?」って疑問に思うんだと思うんですが、一般の人が、この文章を見ると「優秀な、お医者さんが言ってるんだから間違いないよ!ツボ・経絡治療は、まやかしで手品みたいなものなんだ…」って思いますよねぇ…
全てのお医者さんの考えではなく、このお医者さんの思考がステレオタイプだという事だとは思うんですが…
でも、このお医者さんは、精神科の優秀な、お医者さんなんですよね…。先輩の優秀さを紹介するのに、経絡・ツボ療法を引き合いに出し、手品だと貶す必要があるのかな?…そういう気配りの無さに、患者さんは心傷つくのではないんじゃないかな?よしんば…このお医者さんが経絡・ツボ療法を医療とはかけ離れた手品まがいのものだと思っていたとしても、…酒の席でのリップサービスならいざ知らず…こういう相手を見下すような事は文章として残すべきではないと思うんですよね!
優秀な精神科医なら、その辺…気をつけて欲しいなって思うんですが、自己紹介で「子供の頃の俺は空気を読むのが苦手で『王様は裸だ』とすぐに言ってしまうタイプで…」と書かれていたし…
このお医者さんは子供の頃から性格が変わらないタイプの医者なんだろうな…
…とも思いました。
まぁ〰︎ね…お医者さんだからって全知全能ではないからな…って思いながら最後まで読みましたけど、患者さんとの対話やコミュニケーションって、どの医療にも重要な要素だと思います。
さぁ〰︎次は精神医学のダークサイドかぁ〰︎…読み終わったら、ドイィ〰︎ンって気分が落ちるかも…(^^;)